(cache) イチロー オリックス時代 イチロー名言.com

イチロー名言.com

TOPページ >イチロー オリックス時代

イチローUSA語録

大リーグでみごと首位打者・盗塁王に輝いたイチロー。その初めての年にアメリカで語られた言葉を、アメリカ人作家がシーズン当初から、丹念に拾い集めたもの。シーズン全記録付き。

イチロー オリック時代

1992年・・ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団

甲子園では優勝こそできなかったが、イチローはその打撃センスを名スカウトマン三輪田勝利氏にかわれ、1992年ドラフト4位指名でオリックス・ブルーウェーブに入団する。(この時のドラフト1位は田口壮)

オリックス時代の記者インタビューで、イチローは「プロフェッショナルの定義」についてこう答えています。

『どんなに難しいプレーも、当然にやってのける。
これがプロであり、僕はそれにともなう努力を
人に見せるつもりはありません。』

同じくオリックス時代、「野球の練習は好きか?」と記者に聞かれ


『そりゃ、僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。
誰だってそうじゃないですか。

つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。 でも、僕は子供のころから、目標を持って努力するのが好きなんです。

だってその努力が結果として出るのはうれしいじゃないで
すか。』


と語っています。

▲サイトトップへ戻る

1994年・・日本プロ野球史上初のシーズン200本安打を達成

オリックス・ブルーウェーブに入団したイチローは、2軍で首位打者を獲得しながらも、自身のフォームに関して一軍首脳陣と意見が合わず、一軍に定着することはありませんでした。

オリックス入団2年目、フォーム改造に反発したときのことを回想してイチローはこういっています。


『自分を殺して相手に合わせることは、僕の性に合わない。まして上からいろいろ言われて、納得せずにやるなんてナンセンスだと思います』

イチローのプロ3年目である1994年、監督に抜擢された仰木彬氏は、イチローの天才的な打撃センスを見抜くと、登録名を当初の鈴木から「イチロー」に変更させて1軍の2番バッターに抜擢します。

その年、イチローは1軍打撃コーチの新井宏昌にも理解されて、2軍に降格することなく、プロ野球史上初のシーズン200本安打の偉業を達成しました。イチロー選手はシーズン終了後の記者インタービューでこの年の事をこう振り返っています。


『僕は仰木監督によって生き返らせてもらったと思っています。監督はたとえ数試合安打が出なくても、根気よく使ってくれました。その監督に感謝するためにも、いい成績を残したかった』

イチローの偉大な成績の影に、このような感謝の気持ちがあることを忘れてはいけませんね。

▲サイトトップへ戻る

1999年・・元TBSアナウンサーの福島弓子さんと電撃結婚

1999年4月、プロ野球最速の757試合で1000本安打を達成。さらに7月には、西武ライオンズの松坂大輔投手から通算100号となるホームランを放ちます。

イチロー通算100号HR↓

このとき、イチローは、「松坂から打てば絵になるから狙った」というなんとも挑発的なコメントを残しています。

同年12月、元TBSアナウンサーの福島弓子さんと結婚。二人の出会いは1994年、ラジオでも共演している。イチローは弓子さんに対して「「話すリズムとか価値観とか同じ空間にいて心地よく感じた」とコメントしています。

1994年~2000年・・パ・リーグの首位打者を7年連続獲得

イチローは、オリックス・ブルーウェーブに入団後の3年目から、メジャーリーグに移籍するまでの7年間ずっと首位打者のタイトルをとりつづけました。この記録はすごいという言葉ではとても表せるものではありません^^;

なぜイチローはこれほどまで偉大な記録を打ち立てる事ができたのでしょうか?その答えのヒントを私達はイチローの発言から少しだけ知ることができます。


『(打率ではなく)ヒットを一本増やしたいとポジティブに考えるのです。そう思っていれば打席に立つのがたのしみになりますよね』

『何かを達成した後は気持ちが抜けてしまうことが多いので、打った塁上では「次の打席が大事だ」と思っていました』

技術も去ることながら、メンタル面でもイチローに学ぶ事はたくさんありますね。

▲サイトトップへ戻る

2000年・・ポスティングシステムでのメジャー移籍を宣言

2000年のシーズンが終わるとイチローは、以前から希望していたメジャーへの移籍を高らかに宣言します。当時珍しかったポスティングシステム(入札制度)での移籍は、世間を賑わせました。

結果、イチローはメジャー球団の中で最高額を入札したシアトル・マリナーズと3年18億で契約。シアトル・マリナーズの入団が正式に決まったときの記者会見でイチローはこんな言葉を残しています。

『期待はいくらかけてもらっても構わないんですけど、僕は僕以上の力は出せないので、自分の力を目一杯出すしかないということですね』

▲サイトトップへ戻る