2009年6月29日 18時48分更新
太平洋戦争の末期に、岡山市が大規模な空襲を受けてから64年になる29日、岡山市で戦没者を追悼する式が行われました。
岡山空襲は、昭和20年6月29日の午前2時ごろ、岡山市の中心部がアメリカ軍による空襲を受けたもので大勢の市民が犠牲になりました。
岡山市北区の岡山市民会館ではこの空襲や戦地で亡くなった人を追悼する式典が行われ、遺族などおよそ1500人が参列しました。
式では、空襲の犠牲者のうち、新たに名前が確認された6人を含む、あわせて1450人の犠牲者の名簿が奉納され、1分間の黙とうがささげられました。
このあと、岡山空襲で家族を亡くした岡山市戦災遺族会会長の峰島あささんが追悼のことばを述べ、「空襲があったことを知らない人が増え、風化しつつあるが、私は岡山空襲の悲惨さを終生忘れることはできない。2度と戦争のない国にするため若い人にも戦争を語り継いでほしい」と述べました。
式では、参列者が献花台に花をたむけたあと、市内の児童・生徒の5人が平和都市宣言を行い、「平和は、戦災で多くの命を失った岡山市民の願いです。平和で幸せな岡山市を築くため努力を続けます。」と誓いました。
式のあと、空襲で父親を亡くした岡山市の女性は「当時、小学生だったが64年たった今も忘れられない。若い世代には戦争のことをしっかりと語り継いでほしい」と涙ながらに話していました。