対談・庵野秀明×野火ノビタ: 序破急

庵野秀明、貞本義行、山賀博之の発言集、作品に関する資料などを掲載

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月刊アニメージュ 1998年2月号 より

庵野秀明×野火ノビタ

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“野火ノビタ”は榎本ナリコ氏の同人活動時代のペンネーム。

あと半分ぐらいでアップ完了。

自作のエヴァンゲリオン批評誌をきっかけに、エヴァの語り手の一人として知られるようになった野火ノビタさん。当誌においても「DEATH」編の批評をお願いしたことがあった縁から、この対談を企画した。対談当日、まず野火さんの口から(我々にとって)意外な話が飛び出した。一昨年末、批評を通して庵野監督と知り合った野火さんは、監督とたびたび会い「映画版25話・26話の脚本に関して、これを先見させていただき、同時に、僭越ながら所見を述べさせていただく」(野火さんの同人誌より)立場にあったというのだ。お二人の主導で対談は始まった。

寒い冬だから夏が刺激になる。

野火

完成おめでとうございます。

庵野

ありがとうございます。

野火

えっ、もう出来たんですか~という感じですね。単純に、個人的な感想として、おもしろかったです。

庵野

ありがとうございます。アニメと違って、実写は撮るのが速いですよ。そこが一番惹かれたところなんですけど。テレビアニメで1カ月半と言ったら、原画、作監作業のスケジュール。実写だと絵を撮り終えてしまう。それでも時間もらったほうなんです。通常だったら、2週間ぐらいで撮らなきゃいけない。

野火

撮影したのは、夏だったんですね。

庵野

この夏しかチャンスがなかった。女の子たちも夏休みだったし。

野火

で、公開は冬。ちょっと惜しいですね。

庵野

でも、暑い話は冬の寒い時期にやったほうがいいんですよ。暑いときに映画館に入って暑いものを見てもつまんない。暑いときに雪を見ると、すごい新鮮に見えると思ったんです。寒いときに温かいココアが飲みたいなと。

野火

……ココアなんですか、なるほどね。それは、リアルさと幻想の対比ということで?。

庵野

いや、ただの刺激です。あとは、物理的に、夏撮って、すぐに公開すると、冬にしかならない。来年(98年)の夏では、もう古い。この冬がぎりぎりですよね。もう援助交際は終わっているし、女子高校生というネタとしても古い。

野火

見てて思ったんですけど、風俗的には1年前かなと。

庵野

1年前……。原作が出た頃(96年末)がぎりぎりなのかな。このネタでやるんだったら、今か、もう10年後ですね。

 今回、準備稿の段階で、取材協力ということで、現役の女子高生、何人かに来てもらってたんです、知り合いのツテで。それで準備稿を読んでもらって、いろいろ意見を聞いて。それとあと、何が好きなのか、とか。どういうものがはやっているのか、かばんの中に何が入っているのか、小道具的に全然わかんなかったので。でも、そういうのは、キリないですからね。だから、形だけにしておこうと。

野火

女子高生への理解は、ずっと放棄してたと……。つまり、理解ということは、女子高生になるっていうことですよね。

庵野

だから、それはやめました。野火さんは、女子高生だった時期が、人生の中にあるじゃないですか。

野火

ある。一応、それを切り刻みながらやっているわけですよ。

庵野

今ではもう全然感覚が違うと思うけど、そこにまず何か引っかかりがあるわけだし。

野火

そうですね。だから、私はずっと、自分が14、5歳だった頃のことにこだわってきたんです。14のときは15になりたくなかったし、15のときは二十歳になりたくなかった。15のときに、「あっ、終わった」って気がすごくしたんですね、少女期というものが。そういった感覚っていうのを忘れたくなくって、務めて忘れないようにして生きてきたわけですよ。だから、思い出の中でセピア色になってはいるけれど、一応、覚えてはいる。根本的なところでは、今の女子高生達も、あの年頃のつらさとか、感じ方とか、そんなには変わってないと思うんです。ただ、自分を取り巻いている環境が違うから、それに対する反応が違うだけで…。だからその分、自分は得でした、女だからね。

庵野

僕のその方面の情報源といえば、少女漫画ぐらいしかないですから。

野火

庵野さん、少女漫画を読む男ですか。

庵野

読む男です。少年漫画を見るより、少女漫画のほうがおもしろいですよ。昔ほど読まなくなって、今は、人の勧めるやつしか読まないですけど。

映画とドキュメンタリー。

野火

私、一応(映画の)原作を読んでたんですけど、それで思ったのは、村上龍さんには悪いんですけど、主人公の裕美ちゃんっていう子の、像が結ばなかったんです。どうしても、日焼けサロンに行くような子にも、彼氏と何でもやりまくりの子には見えない。最後のシーンで、援助交際で、男とホテルへ行って犯されそうになるときの反応が、やっぱり処女くせ~というか、もっと清純な感じで「これは村上さんの幻想なのだなあ」と思って、それはそれでまた良しだわと思っていたんです。でも、映画を見たら、逆に、すごくきちっと像が結ばれた気がして、妙に納得したんですけど。

庵野

そこに本物がいるからね。生身の人間が写ってるから、それはしようがないですよ。

野火

生身の人間のリアルさによって…。

庵野

いや、存在。そこに裕美という名前で、そのキャラクターがいるわけ。それで曖昧さがなくなった。

野火

でも、ウソみたいな演技をさせることだってできるわけじゃないですか、役者に。

庵野

ウソなんですけどね。

野火

映画だから?

庵野

映画だから。ドキュメンタリーじゃないから。シナリオが存在する以上、全部つくり事ですから。

野火

でも、生身の女の子のリアリティを追っていたというのは、非常によくわかりましたね。たとえば、一番最後のほうで、自分の荷物の中に、指輪が本当はあるんじゃないかしらと思って、ガサガサガサと荷物を引っ繰り返したじゃないですか。あそこのところの、ポ~イ、ポ~イと物を投げていく女の子の手つきが、「あー、今の子、こうだわ」って感じ。そういうすごく曖昧なことで。繊細なこと…。それって伝わりにくいと思うんだけど、そういう手つきの簡単なリアルさみたいなものが、すごくリンクしてたと思って、おもしろかったです。

庵野

どうも。あれは、動物の生態を撮っているのと、そんなに印象的には変わんないですよ。だから芝居も、難癖つけたら、ロクなことはたぶんないと思うから、そういうことはほとんどやらなかった。どうしても気になるところだけチョコっと言って、それ以外は、基本的には、あるものでOK。

「エヴァ」と気分直結だった。

野火

私、機材のことはよく分かんないんですけど、あれはマイクロカメラで…。

庵野

デジカム(デジタルビデオカメラ)って言って、街の電気屋さんで売ってる…よくワイドショーで、「この映像は家庭用ビデオで撮影されています」っていう、アレ。

野火

映画って、普通はフィルムで撮るわけですよね。

庵野

16(ミリ)か35(ミリフィルム)。

野火

それを、あえて全部VTRで撮ったっていうのは、どうなんですか。

庵野

野火さんも同じことを聞いちゃダメだよ、他の人と(笑)。

野火

だって、一応押さえておかないと…と思って(笑)。

庵野

それは、どの質問でも「軽いから」って言ってるんです。ホントに軽いんですよ。色んな意味で軽い。

野火

家庭用ビデオでササッとやっちゃったら欲しいと思う一瞬が撮れるという意味で、軽い…。

庵野

それも大きい理由。35のデメリットを極力クリアしたかったんですよ。

野火

私は、できた絵で見るしかないですけど……。何だろうな。

庵野

35ミリカメラというのがどういうものかっていうと、(両手を広げて)このぐらいでかいのに、10分たったら一回フィルムを取り替える…要するに、ロールチェンジしなければいけない。一番長いのでも11分ぐらいなんです。10分以上のカットは撮れないんですよ。だから、どんなに長回しをやりたくても、時間がきたら一度カットを切って、そこからまた始めなければいけないんだけど、ミニDVというデジタルビデオだと最長で60分ワンカットというのが可能なんです、やろうと思えば、6倍回せる。

野火

画面がクルクル回ってて…。楽しそうでしたよ。

庵野

片手で撮影できるから。

野火

「ウワーッ、回ると楽しい」みたいな。私、アニメのことはよくわかんないですけど、アニメの回り込みが技術的に難しいって言うじゃないですか。だから、う~ん、楽しそうって。

庵野

アニメにできないことを、とにかくやろうと、それはもくろみとしてあった。実写なら当たり前なんだけど、アニメじゃ難しいですね。そういうのを選んでやってるのは確か。初期はそういうのが多いです。キャメラを動かすのがうれしかった。途中からそれにも飽きてしまって、結局、アニメみたいに、止めで、ポンと来るような絵になってたね。

野火

隅から隅まで庵野さんの味が出てました。庵野味。だから、やっぱり、引き合いに出されるのは「エヴァンゲリオン」だと思うんですけど、私自身も、「わッ、エヴァっぽ~いッ」とかって思うわけじゃないですか、どうしても。たとえば、冒頭の、水の中から撮ってる、水面に制服で浮かんでいる女の子のシーンとかも、あれは、「エヴァ」を見ていた人だったら、100人が100人、きっと綾波レイだと思うと思うんですよ。

 だから、「ラブ & ポップ」に「エヴァ」を見ることは、すごく簡単だったんですよ。でも逆に、「いやいや、『ラブ & ポップ』のほうが本当で、これをやりたかったんだけど、その前にアニメでやったのが『エヴァ』だったのかなあ」と思ってもみたんですが、そのへんは……。

庵野

気分直結だから、そうなっちゃうんじゃない?

野火

同じものだと。

庵野

同じ気分になっちゃったんでしょうね。連続体だと思ったんです。変える行為そのものが無駄というか、違うような気がして、じゃ、そういうのは素直に流そうと。冒頭も、ああじゃなかったんですけど、やっぱりそっちのほうがしっくりきたんです。とりあえず、続いてやっている以上は、やっぱり続きなんだなというのがあって。かといって、前のやつに不満があって、あれでやり残したことを…とかっていうわけではなかったんですね。

野火

確か、私、この映画を観る前に、「『ラブ & ポップ』を『エヴァンゲリオン』の補完と思ってよいわけですか」と聞いて、そのときは「はい、いいです」とおっしゃったと思うんですけど、今はどうなんですか。

庵野

夏の「映画」で唯一計算違いというか、全然変わっちゃったのは、後半の実写パートなんですよ。

野火

それは思いましたね。

庵野

あれは、ああいう代物じゃなかったんだけど、それは僕自身の力不足と、それを許さなかった状況と、僕の見通しの甘さ。これが一番デカかった。全部僕の責任なんだけど、路線変更をしてるんです。“路線変更の前”が形として残っているのが、劇場版の「予告」です。最初は、あのなかにドラマみたいなものを入れようと思ったんだけど、ウソにしか見えなかった。原因ははっきりわかってるんだけど、…全然イメージと違ったんですよ。

 最初に、現像所で上がったラッシュを見たときに、キャメラが悪いわけでもなく、スタッフが悪いわけでもなく、ただ僕の見通しの甘さだけで、死にたい気分になった。あ、全然ダメだと。ダメでも何とかなるかもしれないと思って、しばらく努力はしたんだけど、マズい料理は、何加えてもダメなんですよ。よけいマズくなるだけで、そこで一度、その路線を破棄して、撮り直すことになったんですけど。

 実写パートはあの曲をつけるということ以外はどういう形になるのか、編集の直前までわからなかったんですよ。どういうものになるか、全然皆目見当がつかない。その時の失敗した気分というのを、今回、クリアしたいという気持ちはあったけど、それぐらいかなあ。

 でも、僕自身、あの形になったところで、(路線変更の)前のやつっていうのは、もう「夏の映画」(Air/まごころを君に)には要らないと思ったんです。無くて良かった。そういうのに気がつくと、そういう気分が消えてなくなる。もし「不本意ながら、そういうものになってしまった」という気分だったら、「エヴァンゲリオン」の補完というか、復讐戦みたいになったかもしれないけど、そういうのはなくなっちゃったんですよ。キッカケの一部にはあったんだけど、それは「夏の映画」を作っている最中にクリアしちゃったから、平気で、予告をああいう形で出せた。

野火

庵野さんの中では、その問題は、もはやクリア。

庵野

クリアです。

毒を入れた料理は出してない。

野火

「ラブ & ポップ」を見て、「エヴァンゲリオン」に還るということは、してもいいわけ?

庵野

どうなんだろう?。

野火

それは、見る人の自由…。

庵野

それは自由だけど、作っている時間軸が違うからね。「エヴァ」とくらべるとすごいラクですよ。肉体的なものと、“時間がない中でまとめ上げなければいけない”という物理的制約による精神的な苦しさはあったけど、精神状態そのものは、「ラブ & ポップ」ではすごいラクだった。人様の原作だし、制作の現場も違うし

野火

それは、「エヴァンゲリオン」は自分自身を刻み込まなければいけなかったから、つらかったけど、これはそうではないという意味で。

庵野

もあるし、やっぱり「夏の映画」の作業というのは苦痛でしたね。あれは、自分が終わるためのものだったし、あと、付き合ってくれたスタッフが、終わったときに、いい顔してくれれば、それでいい。この2点で、以上、終わり。お客が存在しないですね、あの映画は。だから、そのあとの騒ぎとかって、僕にとっては、それは何の意味もないんです。

野火

それは、第三者が見ても見なくても良かった。

庵野

良かった。興行的には大丈夫だったし、そういうことはすでに僕には関係なかった。

野火

もうやったことはやったと。

庵野

やったことはなくて、終わらせるためだから、もういい。

野火

つまり、終わらせるということだけで、完成ではなかったということ?

庵野

いや、終わることが完成でもあります。終われば良かったんです。あとは、テレビのリテイク作業は、つまり後片付け。皿を片付けて棚に戻すだけですね。メインディッシュはすでに出しちゃったから、それは食うも食わないも、僕にとっては関係ないですよ。お客の前に皿を出すというのは、出した皿に関しては、持てるものは全て出しきっているから、それでいいんです。

野火

客がそこで、「まずいわ~」って言って、ガシャ~ッとテーブルを蹴って帰っても、構わなかった。

庵野

構わなかった。「うまい、これは最高ですよ」とほめられても、けなされても、もう心が動かない。……ほめられれば、付き合ってくれた人に対してはうれしいんですよ。それはいいことだと思うんですよね。スタッフに対する評価だから。自分自身というよりは、そっちの方ばっかりだった。

野火

自分自身への評価は、自分の上をスルスルと通り抜けていく?

庵野

唯一の客はスタッフだったんですね。だから、スタッフがいい思いをしてくれたらそれで良かった。そこから先は存在しないです。すごいクローズドですね。

野火

庵野さんのそういう発言を聞くと、怒りっぽい人が、「プロじゃない」とか言うと思うんだけど。

庵野

言わせとけば、いいんですよ。その程度でしかモノ事を計れない人達だと思うから。

野火

なるほど。聞いているほうとしては、そういう発言を聞いて、怒るか、怒らないかを決めるラインっていうのは、わざと、オレたちにひどい飯を食らわそうとしているのか否かということだと思うんですよ。

庵野

ひどい飯を出した覚えはないです。

野火

なら、私は怒らない。

庵野

人に出す以上は、毒を混ぜることはしないです。「おまえら死ね」と言って、毒の混じった料理を出してるわけじゃないです。出すときには、今できる中での最高級のもの。もし、卵と冷や飯しかなかったら、それでできる卵チャーハンの一番いいやつを出す。そのときに、それまでずっと甘いデザートばっかり食ってた人には、ちょっと塩を強くしたほうがいい。それぐらいです。

野火

私は、テレビ版の「エヴァンゲリオン」のときに、すごく心配してというか、怒りながら思ってたことは、毒を混ぜられたかということだったんです。

庵野

あれは、毒というよりも、そういうのを食ったほうがいいと。

野火

それは、自分も含めて?

庵野

自分も含めて。あとは、どういう皿を出しても怒るんだったら、可能な限り怒らせたほうがいい。それはあるんですよ。中途半端が一番良くないと思うし。あと、同情を買いたくなかったというのもケッコウでかいですね。

野火

「同情するなら金をくれ」って、古いですね(笑)。

庵野

あそこで同情を買うのが、一番ラクなんですよ。そこだけは行きたくなかった。同情されるぐらいだったら、怒らせたほうがいい。それも徹底したほうがいい。だから、一番客が怒るのをやる。そのほうが、食ったほうもすっきりする。一口食って、「パーン、マズイ!」って言ったほうが、お客としてはうれしいわけでしょう。こんなまずい飯食わされてって、人に話題を提供できるじゃないですか。

野火

そこには情動があるから。

庵野

それはコントロールだと思うんですよ。そこも含めてのものだと僕は思う。客にものを出す以上は、そこまで計算しないと。少なくとも予測。そのあとは、確立と“客筋”みたいなものを見越すこと。「テレビ版エヴァンゲリオン」のときの客筋というのは、それでちょうどだと。それでも足りない部分というのは、さらにそのあと、塩をまいて帰す。それぐらいやらないと、僕の気も済まなかったし、あちらさんの気も済まないだろうし。

 そういう意味では、無意識に、常にそっちのほうに行っちゃうんですね。猛毒を混ぜているつもりはないです。少なくとも、致死量にはなってないです。これ以上混ぜたらマズいというのを、ギリギリ自分の中で持っていると思うんですけど。

 つまらなかったのは、(そういうコントロールを)超える人があまりいなかったこと。でも、予測の範疇外という人はいたし、そういうことに対して、わかってくれた人も少しいてくれました。そういう人がいてくれただけで、うれしかったですね。

野火

「ジ・エンド・オブ・エヴァンゲリオン」(夏エヴァ)に関しても?

庵野

いや、「夏の映画」には、そういうのすらない。それは、お客さんが「おいしいです」って、いい顔してくれたほうが、もちろんうれしいですよ。うれしいけど、根本は、もっと関係ないところまで行っちゃっている。わかんないだろうなあ、こういう感覚、他の人には。やっぱり難しい。わかんないと思いますよ。

 さっきお会いした藤井フミヤさんも、「自分が出したアルバムは、出したら、もう聞かない」って言ってました。そういう感覚だと思うんです。アルバムを出すまでは、本当にガーッとやるだろうけど、出したあとというのは、それを聞いてくれるも、聞いてくれないも……。少なくとも自分ではもう聞き返さないし。それに近いです。ただ、当たったほうが、次を作りやすくなる。だから、当たらないよりは当たったほうがいい。あとは、元は取らなければいけない。それはお金を出してくれた人に対する最低限の礼だと思う。「エヴァ」に関しては、もう十二分に元を取っているから、もういいです。

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