99.8.30
通常国会終了後の政局−自民党総裁選を中心にして


 危機を脱した小渕政権
 通常国会が終わった翌々日の8月15日、フジテレビの報道番組に出演した亀井静香元建設相は、「もし自由党が連立を離脱していたら小渕さんは苦境に立たされていたのか」との質問に対し「そうなっただろう」と答え、こう付け加えた。「われわれ一〇二名の『突破議連』は、(自自)連立を決断し成果を上げている小渕総理・総裁の再選を支持しようということになっている。もしもこの前提である(自自)連立が崩れてしまった場合は、もう一度検討し直そうという状況になってしまう危険性はあっただろう。だから、自由党が連立を離脱していたら大混乱になってしまっただろう」

 亀井氏のこの分析は当たっていると私は思う。自由党が連立から離脱すれば、小渕内閣には二つの道しか残らない。
 第一は自民党単独内閣に戻ること。
 第二は自公二党で連立を組むこと。

 第一の道では政局は不安定になる。
 第二の道は政局の安定は得られるが自民党内が納得しない。自公二党連合では次の総選挙を戦えないと考える者が多く、小渕氏の総裁再選が危うくなったかもしれない。
 いずれの場合も小渕首相は苦境に立つことになっただろう。だが、小沢氏の妥協により小渕首相は救われた。危ないところであった。危機を脱して小渕首相はまた強くなった。


 「小沢騒動」後の政治状況
 小沢騒動が結果的に「大山鳴動して鼠一匹」に終わったあとの政治情勢の特徴は、第一に小渕体制の一層の安定である。9月の自民党総裁選での小渕再選はほぼ確実とみられている。その後の自自公三党連立内閣の発足も確実視されている。政局は超安定局面に入り、総選挙の時期は遠のき、2000年秋の事実上の任期満了選挙との見方が政界の大勢になってきている。

 第二に、自民党と自由党との合同論が活発になり、1955年につぐ第二次保守合同が現実化してきた。合同という名目での自由党の自民党への集団入党である。すでに合同の時期まで議論され始めている。(1)小渕再選後・総選挙前、(2)総選挙直後の二案である。

 自民党総裁選で小渕首相が圧勝すれば合同の時期は早まるだろう。自自合同ということになれば、小沢氏は自民党副総裁に迎えられる可能性がある。小渕派における後継者の地位が与えられる可能性すらある。旧竹下派大同団結の動きが顕著になれば、新たな政界再編の引き金になるかもしれない。血は水より濃し。旧竹下派大同団結論が動き出す気配もある。

 自自合同論について小沢氏は8月15日のNHKの報道番組に出演し、「違った政党同士が一緒になるのはそんなに簡単なことではない」「選挙協力は突き詰めると単一政党になる以外ないが、それは言うべくしてなかなかむずかしい」と慎重な姿勢を示す一方で、「将来は政治思想や理念、政策で政党が再編される必要がある」と前向きの姿勢を示した。

 自自合同の成否は多数党の自民党側の姿勢で決まる。自民党内には合同待望論が根強いが、一部に反対もある。少数党の自由党側が色気をみせれば自民党内の反対論を誘発する。小沢氏の慎重さの裏には、自民党内のデリケートな空気に対する配慮もあるだろう。

 自自合同について、小渕首相と対決する総裁候補の加藤紘一氏は8月15日のテレビ朝日の報道番組で「私と小沢さんとの間には個人的な確執はあるし、わだかまりもあるが、それは個人的なことでやはり政策中心に物事を考えるべきだと思っている」と断ったうえで、「ただ、末端の組織に至るまでの信頼関係を考えるとまだまだ時期は早いと思っている」と語り、自自合同論を批判した。
 自自合同論は自民党総裁選での議論のテーマの一つになるだろう。そのなかで方向が見えてくる。今回の妥協のあとの自由党は自自合同論に引きずられるように動くだろう。

 第三に、公明党の存在感が強まった。定数削減問題では譲歩を強いられ辛抱せざるを得なかったが、これにより公明党の政権参加への決意がきわめて固いことが明らかになった。いかなる屈辱に耐えても政権に参加したいとの公明党側の執念が示された。

 さらに、創価学会が個々の自由党議員に圧力をかけ自由党を分裂状態に追い込んだため小沢氏は妥協せざるを得なくなったとの情報が永田町を駆けめぐったことで、改めて創価学会票の威力が示された。総選挙目前の状況のなかで何人かの自由党議員が「小沢氏をとるか、学会票をとるか」と迫られて動揺したと伝えられたことは、小沢氏にとってイメージダウンになり、同氏の神通力を低下させた。反面、創価学会の巨大な集票能力が政界を動かしている現実を見せつけた。
 政界全体が「学会票依存症」にかかり始めた。「学会票依存症」は、いったんこれにかかったら治療することが困難な不治の病だ。


 自民党総裁選の真の争点
 通常国会が閉幕した8月13日、小渕首相、加藤前幹事長、山崎前政調会長の三氏が9月の自民党総裁選への出馬表明を行った。これにより政局の焦点は自民党総裁選に移った。

 自民党総裁選をめぐる情勢について言えば、小沢自由党党首による定数削減騒動の危機を乗り切った小渕首相が圧倒的に優位にある。
 総裁選の序盤戦では明確な争点はまだ示されていないが、マスコミの関心は「自自公連立の是非」の問題に集中している。この問題が重要な争点になることは確実である。

 加藤氏は8月16日、産経新聞のインタビューに答えて、「(自自公連立構想は)先に数合わせの連立論では順序が逆だ。極めておかしい」「自自公連立で、衆院は三百五十議席ぐらいになる。これでは逆に規模が大き過ぎ、お互いの必要性を確認できずに政権は不安定になる。参院側は昨年の選挙で国民の審判により自民党は過半数を割ったが、これにより政府提出法案を原案通り成立させることができなくてもやむを得ない。(自自公連立で)衆参両院で過半数を確保しても政治の復権にはならない」と批判した。

 山崎氏も「(自自公)連立政権の組み方は厳粛さを欠いている。綿密な政策協議が先行すべきだ。まず三党間で政策合意をしなければならない。それができなければ、何のための連立政権かわからなくなってしまう。ただの数合わせだけなら連立など組むべきではない」と批判した(8月15日、テレビ朝日)。

 自自公連立問題は自民党総裁選の中心テーマであるにもかかわらず、国会議員の間ではこの問題の議論を避ける傾向が見られる。これは、どの陣営も参議院でキャスチングボートを握っている公明党と巨大な集票能力をもつ創価学会を敵に回したくないからである。
 そのうえ、大半の国会議員は派閥のしがらみのなかにいる。さらに、支配術に長けた小渕派によるポストをちらつかせた一本釣りに抵抗するのは至難の業だ。

 ここで注目されているのが派閥の拘束を強くは受けない一般党員票の動きだ。総裁選の勝敗を左右するほどの力はないが国民意識のバロメータだ。
 国民レベルでは自自公連立は支持されていない。8月15日のフジテレビの報道番組の世論調査では「期待する」二一・二%、「期待しない」七六・五%。各種の世論調査にもほぼ同様の傾向が現れている。
 だが、このような国民世論の動きは政界には反映されない。自民党、自由党、公明党三党の幹部は強い政治権力をつくれば世論を変えることは可能だとみている。小渕政権の政治姿勢は、極論すれば「世論に従うのではなく世論を従わせる」というものである。


 公明党の政権参加と憲法二〇条
 自自公連立構想の最大の問題点は公明党の閣内協力の是非、すなわち政教分離問題だ。自自公推進派は政教分離問題の議論を避け、曖昧にしている。しかし、自民党の内部には少数とはいえ勇気ある批判者がいる。自民党団体総局長の白川勝彦衆議院議員はその一人。

 白川氏は8月4日こう発言した。
「自民党なんて、本当にろくな政党ではないと思う。しかし私がひとつだけ、自民党のために命がけで守りたいものは、他の政党に比べ、自由だけは大事にしてきたという一点だ。その自民党で経世会(現小渕派)がまた復活し、票を持つ公明党・創価学会に遠慮して、政治家が何も言わなくなった。これでは自民党の存在価値がなくなってしまう」
 同氏はさらに8月8日にテレビ朝日で「(公明党の連立参加には)憲法上の問題がある。公明党が連立に入るということは、憲法二〇条(「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」)にもろにぶつかる。私は(公明党が政権に入ることは)憲法違反だと思っている」と公明党との連立をきびしく批判した。
 白川氏は小渕派一極支配の復活と小渕派と創価学会の連合に政権をゆだねることを批判しているのである。

 自民党内には白川議員らを支持する声が少しずつ広がり始めている。8月13日、19名の自民党衆議院議員が「公明党との閣内協力については憲法に定める政教分離の原則に照らして疑義があり、よって私たちは、これに慎重に対処することを強く望むものである」との意見書を発表した。
 19名の自民党国会議員は以下のとおり。
 石原伸晃、江口一雄、江渡聡徳、奥谷通、小澤潔、小此木八郎、尾辻秀久、小林興起、小林多門、佐藤剛男、白川勝彦、自見庄三郎、鈴木俊一、原田義昭、平沢勝栄、穂積良行、武藤嘉文、森田健作、渡辺具能(50音順)。

 今後の最大の注目点は、公明党の閣内協力での連立政権参加に強く反発している反創価学会系宗教団体がどんな動きに出るかである。とりわけ九月末に自自公連立が発足し、公明党議員が入閣したとき、どうなるか−注視しなければならない。政界で宗教対立が激化する可能性がある。


 加藤・山崎両氏が小渕氏に挑戦する理由
 加藤氏は自社さ連立時代のリーダー。山崎氏は加藤体制の副将軍だった。これに対し小渕氏は自自公連立時代のリーダーだ。政治の姿勢、理念、手法において両者の間には大きな差がある。
 加藤・山崎両氏が国民との関係において説明・情報公開・納得・民主的手続きを重視するのに対して、小渕氏の方は非民主・強権・秘密・強引である。ただし小渕氏の巧妙な「へりくだりパフォーマンス」が奏功して国民はいまだ小渕首相の権力主義的政治姿勢に気づいていない。

 加藤・山崎両氏の間にはとくに憲法改正について大きな違いがある。戦略用語に「別々に進んで一緒に攻める」という言葉があるが、両者はそれぞれ別個に進みながら、小渕氏を一緒に攻めようとしている。両氏は対小渕氏との戦いにおいては同盟関係にある。

 しかし最大の狙いは、復活した経世会(竹下・小渕派)一極支配プラス公明党・創価学会大連立政権の阻止にある。挑戦者の加藤・山崎両氏はいまだこのことを明確に表現してはいない。鮮明にすれば、小渕派の「虎の尾を踏む」ことになり、小渕派の怒りの大攻勢を誘発し、小渕派得意の仁義なき戦いに巻き込まれてしまう。これを回避するため「初めは処女のごとく」行動している。しかし、時熟せば、挑戦者の側の本音は出てくる。

 今回の加藤氏の挑戦について政界には「なぜ加藤派は長い間盟友関係にあった小渕派と戦うのか」との疑問がある。

 池田勇人と佐藤栄作−これが加藤派と小渕派の元祖である。その上にいたのは吉田茂。吉田茂という一つの源から生まれた「池田−前尾−大平−鈴木−宮沢−加藤」の流れと「佐藤−田中−竹下・金丸−小渕」の流れの二つが保守本流を自認し政界を牛耳ってきた。この二つの流れは池田−佐藤の時代に一時争ったことがあるが、それ以後はおおむね協調関係を維持してきた。なかでも大平と田中は盟友関係と言われた。宮沢時代も竹下派との友好関係はつづいた。

 しかし加藤氏は過去の宏池会領袖とは違う。あえて小渕派との対決の道を選ぶ。加藤氏は本質的には理念重視の民主主義者である。竹下・小渕派の強権的・非民主主義的で理念なき「何でもあり政治」とりわけ竹下・小渕派と公明党・創価学会の政権の共有に、加藤氏は我慢がならないのではないかと思う。

 竹下・小渕派と創価学会との関係は長期にわたる積み上げのうえに築かれたものだ。
 これを創価学会側からみるとこうになる。創価学会が反権力・反体制主義を転換して政治権力との協調を志向し始めたのは一九七〇年、佐藤内閣のときだった。藤原弘達著『創価学会を斬る』をめぐる出版言論妨害事件で窮地に立った創価学会・公明党は二つのルートで自民党主流派に接近した。池田大作会長は佐藤首相に、竹入義勝公明党委員長は田中角栄幹事長(いずれも当時)に接近し、友好関係構築に成功する。
 佐藤−田中派と創価学会・公明党との協調関係は、竹下登幹事長・首相−矢野絢也書記長・委員長、小沢一郎幹事長−市川雄一書記長の関係を軸として維持された。

 この関係は1993年の小沢一郎氏の反乱に市川雄一氏が加担したため一時混乱するが、しかし1996年10月の総選挙で竹下・小渕派と創価学会の協調関係は修復される。そのうえ、竹下・小渕派と創価学会の関係は運命共同体的関係にまで高まっていく。
 96年10月20日の総選挙において、300すべての小選挙区で創価学会は新進党候補を支援するものとの新進党側の期待に反して、竹下氏および竹下氏に親しい候補者のいる数十の選挙区において、創価学会は新進党候補ではなく自民党候補を支援した。

 自民党対新進党の「天下分け目の関ヶ原」といわれた大決戦において自民党が勝った最大の原因は、創価学会の竹下・小渕派支援にあった。
 同時に、竹下・小渕派は92年の分裂で第四派閥に転落したあとの屈辱的状態を脱して第一派閥に復活した。自民党の政権再奪取と竹下・小渕派の最大派閥への復活の最大の功労者は創価学会の指導者だった。

 1998年夏、竹下氏が秋谷創価学会会長に「小渕内閣を助けてほしい」と要請したことは毎日新聞により伝えられたが、これは連立政権への公明党の参加を求めたものだった。

 自自公連立の成立は創価学会側からみると30年来の努力の成果である。これからの日本を竹下・小渕派と創価学会・公明党の二本の柱で担おうというのである。
 加藤・山崎両氏の挑戦の目的はこの流れに抵抗することにある。注目したい。