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がんを生きる:/37 記者の目・根本毅 「患者には時間ない」 /大阪

 ◇通算104回 地域格差、治療費、課題なお多く

 28年前、父方の祖母ががんで死んだ。中学1年の夏休みだった。すぐに父の実家に車で向かったと思う。鮮明に覚えているのは、無言でハンドルを握る父の険しい横顔と、いつもよりスピードが出ていて感じた怖さと不安。私にとって初めての身近な死、そしてがんだった。

 月1回以上は、家族でおばあちゃんちに遊びに行っていた。だが入院してからは、私と妹は1度見舞っただけで会わせてもらえなかった。闘病中の姿は見せない方がいいと、両親が判断したのだろう。まだ緩和ケアやホスピスなんて知られていない時代だった。

 当時を思い出したのは、がんを患った男性(当時57歳)をホスピスで取材した時のことだ。すい臓がんが再発し、他にも転移していた。苦しい抗がん剤治療をやめ、ホスピスで過ごすと決めた理由を聞いていると、話は男性の父親の死に及んだ。

 「父は肺がんで、95年3月に亡くなった。入院中、月に1回ぐらいは見舞いに行ったが、人間とは思えない姿だった。おむつをして、声を出してずっと体を揺すっている。見舞い中の1、2時間でも、見るに堪えなかった」

 男性自身もがんで終末期を迎え、「延命治療にどういう意味があるのか」と自問自答した。「父を思い出す時、どうしても苦しんでいた姿が浮かぶ。残される者にとっても、ああいう姿はつらい。苦しむ姿は家族に見せたくない」。そう考え、ホスピスに行こうと決めたという。

  ◇   ◇

 祖母が亡くなった81年にがんが死因の1位になり、その後も死亡数は増え続けている。今では、3人に1人ががんで死ぬ時代だ。

 05年10月に始まった毎日新聞大阪版のがん連載はタイトルを変えながら続き、今回で通算104回を数える。「在宅ホスピス日記」「ホスピスの現場から」「がんと向き合う 緩和ケアとホスピス」「がんを生きる」--。私は06年6月から筆者の1人に加わり、今回が42回目となった。たくさんのがん患者や家族から話を聞き、たくさんのことを学んだ。取材しながら、自分ががんになったら、とも考えた。

 がんを取り巻く状況は、祖母の時代から激変した。治療法は向上し、痛みを抑える緩和ケアも広がった。07年にはがん対策基本法が施行され、都道府県はがん対策推進計画の策定が義務づけられた。

 だが、課題は多く残る。医療の地域格差は埋まらず、治療費の高さに苦しむ人も多い。悪性リンパ腫の告知を受け、がんについて猛勉強した堺市の松原良昌さん(66)は指摘する。

 「男性の胃がんや肺がん、女性の大腸がんや乳がんなどは標準治療がほぼ確立しているが、割合の低いがんは取り残されている。早く格差をなくさないといけない。がん患者には時間がないんです」

 今後も、がんを生きる人々の声に耳を傾け、紙面で伝えたい。久しぶりに松原さんの元気な声を聞き、その思いを新たにした。

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 ご意見や情報提供は、毎日新聞おおさか支局(ファクス06・6346・8444、メールat‐osaka@mbx.mainichi.co.jp)まで。

毎日新聞 2009年6月29日 地方版

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