最新記事は この下に毎日更新しています。Chip
【2009.3.1.毎日新聞】 発言席「青年と平和」 創価学会名誉会長 池田大作
危機の打開へ若き活力を アインシュタインが精神分析の創始者フロイトに「戦争を避ける方途」を尋ねた。答えは明快であった。「人と人の間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻む」「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!(浅見昇吾 訳)。すなわち対話によって、心の温かみのある社会を建設することだ。そして文化の創造と交流である。特に良質の活字文化は絶対に護らねばならぬ平和の砦だ。
ノンフィクションライター泉流星 辻井正次理事長 辻井正次CEO
イルカ・セラピー 名誉毀損原告 浅見昇吾 浅見淳子
「子供たちの叫び
」 尾崎ミオ
ノンフィクションライター品川裕香
「イジメのプロ集団」による執拗な自閉症イジメ、差別は、私達患者や家族が自殺するまで続く。
本部 愉快犯によるたびたびの放火により改築に次ぐ改築現在の姿
2004年 「自閉症と発達障害研究の進歩」2004/Vol8 寄稿 山岸美代子
自閉症の話は、出し惜しみする事にしました。仕事と裁判と忙しいんでね。
その代わり厳選して出しますから、みなさんどんどん遠慮なくコメントください。 Chip
メールはこちら risco002@yahoo.co.jp
須賀川第一中学で、リンチにあった女子中学生の名前は知らない。しかし、本になったそうだ 。
私が同じ構造の事件だと考えているのが、栃木の須藤正和君の事件だ。
日産自動車に勤め、真面目で大人しい須藤君。
それに目を付けたのが、悪質な男とその仲間。
金をせびり取り、貯金を下ろさせ、借金させ、その上イジメ殺した。
なんの裏付けも無いが、この二人は「アスペルガー症候群」だったと考えている。
動物と言うのは、どんな動物でも残酷な物である。
その集団を維持するためなら、弱い個体を平気でなぶり殺しにする。
それをしないように、不自然に決め事を作っているのが、「人間」である。
「法律」とか、「モラル」とか、「よそ様の目」とかで、何とか規制しているのだ。
しかし、中には「ケモノ」のままの人間が居る。
そんなケモノのターゲットになるのが、殺しても構わない相手「自閉症」だ。
ケモノから見れば、自閉症の子供たちは「ヒト」ではない。
彼らは、ケモノだけあって、そういうところだけは、天才的に敏感で、嗅ぎ分ける能力を持っている。
そのケモノが、野放しになったとき、こういう事件が起きる。
事件に至らなくても、同じような話は、「自閉症の子供」がいるところにはいくらでも転がっているはずだ。
そして、今、「自閉症」という科学、医学、そのものが、ケモノの生け贄になっている。
私には、言葉がある。知能がある。彼らの代わりに私は戦う。 簡単に生け贄にはならない。
2009年6月22日 テレビ朝日の「ドキュメンタリ宣言」で福島県須賀川市の女子中学生の事件が放送された。
全く非道い話で、柔道部の部活の時に、上級生が中学一年の女子部員を好き放題の乱取りをして、
挙げ句に脳障害で植物人間にまで追い込んだ事件。
現場の教師、教頭、校長は一貫して暴行の事実を認めなかったが、約1億5000万円の損害賠償を認める事で、
原告側の全面勝訴となった。しかし、それでも尚、県側はハッキリと事実を認めようとしない。
これは、彼らなりの「教育的配慮」等の勝手な理屈があるんだろう。
一歩さがって見てみれば、思春期の男子が、幼い少女(中1)を暴行したのだ。
もし、部員の目が無ければ、強姦まで発展していたかもしれない。そんな事件だ。
何処かの教室に、女子教師を閉じ込めて、暴行しても、教育的配慮から、警察沙汰にしないのだろうか。
彼らなら、しないのかもしれない。
京都教育大学の学生達も、居酒屋で婦女暴行強姦に至った。
学長は、「教育的配慮」から、事実を公表しなかったと言う。そりゃ、暴行した側への教育的配慮はいいよ。
では、暴行された女子学生への「教育的配慮」はどうなるんだ。
須賀川市の校長、教育委員会の連中は、「暴行は無かった。私達は生徒を信じるんです。信じなきゃいけないんです」と言う。
では、「リンチがあった」「この話をするなと脅された」という生徒の話はどうか。「ヤラセじゃないですか?」
一方では、生徒を信じると綺麗事を言いながら、勇気を出して真実を語った少年の話は、絶対信じない。
教師とは、そういう物なのだろうか。 教師が集団になるとそうなるのだろうか。
まあ、私が知ってる教授連中は、馬鹿ばっかりだから、そんなモンなのかな。真実の声をあげる人は居ないな。
障害者自立支援法は、始まる前からバカげた法律で、障害者団体もこぞって反対していた法律だ。
賛成していたのは、モロ与党系の団体だけだったのに、あっという間に決まった。
あのバカげた法律を作ったのは、今捕まっている官僚がほぼ一人で仕切って作り上げたと聞いて驚いた。
と、言うことは、発達障害の味噌糞一緒教育法もきっと何処かの官僚が一人で決めたんだろう。
自閉症を他の発達障害とひとくくりにするには問題がある 。その話とは別に、
発達障害があるなら、その反対語はなんだ? 定形発達か? 違う。 英才児だ。
発達障害の教育支援を殊更に騒ぐが、人より勉強が出来る子供はその間何をしていればいいんだ?
発達障害に目を向けると言うことは、発達しすぎている子供も同等に扱うと言うことだ。
つまり、発達に遅れが在る子供は、その子供に応じて教育を受け、発達しすぎている子供は
その子供に応じて教育を受ける。 それが、教育に於ける平等の姿だ。
もし、「真剣に」発達障害の子供の事を考えているならば、教育自体に年齢の枠を取り外し、
個々の発達に応じた教育を施すというのが、正常な姿だ。 間違いない。
選挙が近づくと色々なことが表に出てくる。民主党小沢さんの資金問題はクローズアップされた割に尻すぼみ。
今度は、「白山会」の郵便不正で厚生省の役人が捕まった。これで日本郵政の社長責任を問う声も挙がったが、
私は、逆に「民営化」されたからこそ、やっと表に出てきたんだと思う。 「白山会」は「自称障害者団体」だな。
町で出会う障害者の数の少なさの割に、障害者団体の多さを考えると、「障害者商売」というのは、
やりようによって、非常に儲かる商売で、この儲け話はそういう連中の間では周知の事実だったんだろう。
「自閉症」もモノの見事に障害者商売になったようだ。 儲かったんだな。一部の人は。
厚生省の女性局長は、首謀者なのか、巻き込まれたのかそれは分からない。しかし、
東京都教育庁で主催した「今後の自閉症の理解・啓発はどうあるべきか」で紹介したメインゲストの
「村上由美」は自閉症当事者として堂々と出てきたが、「自閉症の診断」すら受けていない「自称当事者」だった。
これは、村上由美 を呼んだ東京都の役人の責任か 。それとも上手く自閉症と信じ込ませた「村上由美」 の犯罪か。
私が、自閉症の事を書くと、ブログが消される。ランキングに登録すると、ランキングが消される。
FC2というブログでは、アクセスすら今では出来ず、ブログ村の登録は門前払いだ。誰の運動によるものだろう。
2ちゃんねるですら、私は書き込めないようになっていて、日本自閉症協会のホームページは、
書いたことも無いのに、初めからアクセス禁止設定になっている。 誰が、わざわざ設定したんだ?
ブログは、毎週のように削除され、ランキングも毎週の様に外され、その数11回か12回。
おかげで、ほぞぼそと出来上がってきた、自閉症の仲間との繋がりもズタズタだ。
しかし、考えようによっては、最高の選挙運動が出来たと思う。何も私が何処かの党を支援している訳じゃない。
何処かの党を熱心に支援している人たちが、どういう人たちか、逆に心ある人には分かったんじゃないか。
「障害者のため」と声高に叫ぶ人たちが、如何に障害者を食い物にしているか。障害者の家族を食い物にしているか。
障害者とその家族はそんなに金の成る木か? なけなしの金を搾り取っているだけじゃないか。
先日、成人したアスペルガー症候群のパニックを見て、新たなことに気が付いた。
今までの話は、脳が疲労困憊したのにも気が付かず、脳が突然「てんかん状態」になり、パニックを起こすと言ってきた。
この推測は、数あるその様子を観察したところからしても、自閉症に実際接触している人間なら頷けるだろう。
しかし、もう一つの例に気が付いた。
ある事について、1時間ほど討論を交わしていた。その時、一人が突然「パニック」を起こした。
これは、常々本人が「パニック」と定義している状態で、涙が止まらなくなる。
この状態になると、30分ほど放っておくしかない。やがて、「パニック」がおさまるとケロッとした顔で笑う。
その、切り替えの早さというか、その様子のギャップから見ても「パニック」と言って良いだろう。
ところが、今回の「パニック」は原因がハッキリしている点が今までのモノと違う。
今まで言っていた「パニック」は原因が特定出来ず、突然「パニック」が始まる。だからこそ、脳の疲労と表現した。
しかし、今回の「パニック」は原因がある。何か?
定形発達であれば、突然涙が出てきたとき、自分の感情を把握し、「怒り」「悲しみ」「喜び」等の言葉に統合する。
だから、すぐに「嬉しくて泣いたの」「悲しくて泣いたの」と説明出来る。
ところが私達自閉症は「マインド・ブラインドネス 」、自分の状態、感情を上手くモニター出来ない。
いくら「マインド・ブラインドネス」(心の理論 を備えて無い人)でも「ハート」はある。だから感情はある。
感情があっても、その感情を簡単に「概念化」出来ない。
だから、自分自身何と言って良いか分からない感情が爆発し、制御できなくなる。
これが、「制御できない感情」を原因とした「パニック」である。
「原因」はある。 → 「感情が爆発する」 → 「制御できない」 → 「自然鎮火を待つしか無い」
これが、もう一つの自閉症のパニックである。
自分自身、この感情が何によるもので、何に属する感情か分からないから、他人がどんなに慰めようと、
慰めにはならず、うるさいだけである。
ここは、ただただ、自然鎮火を待つのが一番効果的だと私は思う。
「ニキリンコ」や「アスペ」の連中は、みんな「・・のせいでパニックになった」と簡単に言う。
パニックの原因がそんなに簡単に分かったんだったら、その原因に近づかなければいい。
みんな都合の良いところで、パニックを起こしたり、我慢したり出来る。
それが、「パニック」か?
パニック障害で口に紙袋を当てて、落ち着かせたり、何とか回避するのとは違う。
自閉症の「ヒステリー」は突然起きる。
何が原因かは分からない。だから、周りはビックリするんだ。
「ニキリンコ」は女性自身の記事の中で、
「いまのは悪い言葉!悪い言葉!私は悪い子!悪い子だ!悪い子だあっ!」
握りしめた左の拳が、容赦なく頬を叩く。唇が切れた。真っ赤な血が歯の間ににじむ。
絶叫と殴打は、3分間ほど続いた・・・。
ここで「ニキリンコ」はパニックを起こした原因「悪い言葉」を説明し、カナー型の子供が
起こす「パニック」の様相を呈する。
ほとんどの人が勘違いしているのが、この様な「パニック」の様子は、「知的な遅れ」が
引き起こすモノで、「自閉症」の部分で起きているのでは無い。
だから、表面だけを見ていると、知恵遅れで自閉症の子供と、ただ知恵遅れの子供と
本当に見分けが付かなくなってしまうのだ。
とにかく、自閉症の子供や、患者が「ヒステリー」を起こす原因(きっかけ)は、些細な事が多く、
しかし、突然起きる。
私が、この突然起きる「ヒステリー」を観察していると、やはり「脳味噌の疲労」がある限界を超えると
発生するように見える。
ただ、この「限界」はその時のコンディションや、環境などで、変化するが、
何れにしても、くたびれてきて(この時自分自身では分かっていない)それが、
何かきっかけを見つけると、それをきっかけに突然「ヒステリー」になる。
慌てた両親や、周りの人間はそのきっかけが「原因」だと思い込むが、
次の時はすでに、そのきっかけは、原因では無くなっていて、注意したほうが、肩すかしをくらう。
「ヒステリー」を起こしたとき、或いは、起こすとき、「原因」ばかり探さずに、
疲れた彼らをとにかく休ませてあげて欲しい。
「ニキリンコ」や「アスペ」の連中の話を読むと、「パニックを起こしそうになったのを我慢した」と言う。
「自閉症のパニック」は我慢して押さえられる物か?
現実に自閉症の子供を目の前にしている親なら、簡単に答が出ると思う。
一度起きたら、なんともなだめようが無いのが「自閉症のパニック」である。
昨日も言ったように「ヒステリー」と言った方が余程しっくりくるのは、この様子を見なれているからである。
ヒステリーが電気的用語のヒステリシスカーブ
から来ているのか、その逆なのかしらないが、
(ヒステリーの語源が子宮ということで、ヒステリーの方が先で後にヒステリシスカーブが命名されたようだ)
このカーブを見て貰うと、下の赤いラインを感情のカーブとすると、いきなり高ぶる。
高ぶったところで行き着くと、それ以上高くならず水平に右にそのまま移動する。
この高ぶった水平の部分(ここのグラフの右外側)が、ヒステリーを起こしている部分である。
さあ、なんとかこの子をなだめなければならない。仕方ないから、そっとしておこう。
一度ヒステリーを起こしたのが、右から戻ってくる。
戻ってくるときは、立ち上がった部分を戻るのではなく、簡単には納まらない。
水平のまま左へ移行し、縦の黒いラインを超えた所で、ようやく気が納まってきて、
マイナス側の100の位置で、ようやく気が静まり、200の位置で平常に戻る。
簡単に言うと、我慢に我慢を重ね、+側の100の位置で突然ヒステリーを起こし、
静かにしても、-側の100の位置を過ぎなければ納まらず、200の位置でようやく静まる。
下側の赤の線を辿り、感情が高ぶり、上側の赤の線を辿りようやく感情が納まるのである。
ある医者によると、自閉症の8割は脳にてんかん波を持つそうだ。
昔、自閉症と診断された、厳密には自閉症では無い症例が混じっていると考えると、
自閉症であれば、脳にてんかん波を持っていると考えて間違いないようだ。
それから、考えると、「自閉症のパニック」はてんかんを起こしていて、我慢して押さえられる
物ではないと考えれば、皆さんの子供を思い返せば、納得出来るだろう。
私が、子供の頃、泣いて止まらないとき、なんとか「深呼吸」を繰り返し、より早く泣き止むように
努力していたことを思いだした。
一度、ヒステリーを起こしてしまったら、しょうがない。
肩の力を抜いて、深呼吸をする事を、子供たちに教えてあげて欲しい。
子供たちだって、いつまでも泣き続けていたい訳じゃない。自分だって泣き止みたいんだ。
但し、ここで強く言いたいのは、「てんかん持ち」だからといって、「自閉症」ではない。
「自閉症」が「てんかん波」を持つ事と、
「てんかん持ち」だから「自閉症」といのは全く成り立たないことを忘れないで欲しい。
「ニキリンコ」がパニックと一言で言うと、ほとんどの「アスペ」の連中はすぐ納得する。
自称、自閉症児を持つ親たちも簡単にパニックで納得する。
ところが、誰ひとり、「パニックってどうなるの?」と疑問を持たない。
「パニックってどうなるんだ?」「どうなることがパニックって言うの?」
「ニキリンコ」は「パニック」をパニック障害のパニックと混同して、
ずっと「自閉症のパニック」と「パニック障害のパニック」を同じ様に説明してきている。
そして、その話に同調する人間も全く同じ理解をしている。
ところが、「自閉症のパニック」と「パニック障害のパニック」は言葉は同じでも中身は全く違う。
「自閉症のパニック」は、自閉症がその時点で既に脳内での処理能力をオーバーして、
「ヒステリー状態」になったと考えた方が説明が付く。
この「ヒステリー状態」は「てんかん」とも密接な関係がありそうだ。
私が4/2’09東京都教育庁のシンポジウムに出席した時、アスペルガー当事者夫婦として
NHKに出演し有名な村上真雄氏が、休憩時間に突然私の所に近寄り、話し始めた。
「きいてくださ~い」「きいてくださ~い」「私は自閉症の診断を必要としないんです~」
「きいてくださ~い」・・
・・・・・「わ・わかりました」「わかりました」「あなたの話は、正式な場所で改めて聞きますから」
「きいてくださ~い」
あまりの気味の悪さに、私は「わかりました」「わかりました」と言いながら、
手で、向こうに行ってくれと合図した。
しかし、彼は「きいてくださ~い」と私にまとわりついていた。
結局、休憩時間の15分間これが続いた。
この様子を見た妻は驚いた。「ああ、これがパニックか」
私は、「私はパニックを起こしたことがない」とずっと思っていたが、
私が村上氏を向こうに行ってくれとする姿は、まるでカナー型の子供が手をぱたぱたさせている姿
そのものだったそうである。
確かに、小学6年生の頃までは、家で感情が高ぶりすぐ泣き出してしまった。
泣きたい訳ではなく、言葉に言い表せられない時に、言葉ではなく涙が出てしまうのである。
そうか、あれがパニックだったか。 そして、村上氏が目の前に現れ突然話し出したのを受けて
パニックを起こしていたのか。
妻曰く、村上氏の出現から、私の挙動が不審になり、今までとても見たことのない様子だったそうだ。
パニックと言っても、単純じゃない。奥が深いモンなんだよ。
ニキリンコの読者となんちゃってティーチは何故かいつも一緒なんだよな。
ここ で、現実に自閉症の子供を育てている親からの、貴重なコメントを貰った。
この本の11ページ、TEACCHプログラムの基本の中に、
「失礼を承知で言えば、読者各位の中には『ADHDもLDも高機能自閉症も軽度発達障害なのだから
同じ方法で教育すればよいのではないか』と考える方がおられるかもしれない。
どうしてTEACCHが自閉症だけを対象にするのか、本書を読み進めていただきながら
ご理解願いたいと思う。」
と、ある。
私は、1999年頃から、掲示板や新聞の投書、自身のホームページ、ブログなどで、一貫して
自閉症とLD等のと「味噌糞一緒教育」に反対してきた。
私の主張と同様の自閉症関係者の意見を公式な形で見たのは、初めてで大変驚いた。
そもそも、この本は、自閉症の子供を持つ親や、自閉症に関係する教育者などが読む本なので、
本当に、つい先日まで読んだことが無かったんだよね。貰いもんなんだ。
これ、いい本だわ。 こめんね内山先生。 みんなは「買って」読んでね。
ブログをやっていると、滅多にないが、現場の「真実」が明かされる時がある。
消されたブログの中にあった、貴重な親の証言を再録する。
●NO TITLE
息子にはかかりつけ医が2人いるのですが、診断名が双方で違います。
片方はリハビリセンター付属の小児科医師で、診断名は「高機能自閉症」です。
診断基準はDSM-ⅠⅤ(米国精神医学会の診断基準)とICD-10(国際室秒分類)。
2つはほぼ同じ内容とあります。
もらった冊子には、IQ70以上で言葉の発達に遅れがあるものを「高機能自閉症」
ないものを「アスペルガー障害(アスペルガー症候群)」と呼ぶとあります。
テストは発達指数(DQ)を調べるもので、83でした。
もう片方は国立の精神病院の医師で、診断名は「広汎性発達障害の疑い」です。
診断基準はどれとは言われませんでした。
対人関係の障害が認められるものが「広汎性発達障害」。
知能に遅れがあれば「自閉症」、なければ「アスペルガー症候群」ということのようです。
テストは知能指数(IQ)を調べるもので、44でした。
診断書を書いてもらうと、知的障害の欄は「軽度」です。
「疑い」については、「成長著しい時期なので知能指数が正確でない」ことと、
「言葉を話す子は何をもって社会性の障害とするかが難しい」
「もう少し話せるようにならないと正確な診断は付けられない」と説明されています。
正直なところ、初めは「一体何なんだ!?」と思いましたよ。
学派の影響もあるでしょうが。
最近になって、早期療育の影響もあるだろうと考えるようになりました。
実際は就学前に正確な診断は付けられないのだけど、療育や支援を受けるのに
診断名が必要で、どうにか付けなくてはいけない。
誤診は避けたいので本当は付けたくないが、どうしてもと言われるなら・・・で、
医者独自の補足が増えていくのだろうと。
>単純に「自閉症(カナー型)」と「アスペルガー症候群(障害)」に分ければいいのである。
難しいでしょうね。
療育は早い地域は1歳代から始まりますが、1、2歳の子が「カナー」か「アスペルガー」か
見分けるのは。
だから「自閉傾向」や「疑い」という言葉ができるのだろうと思います。
個人的に考えているのは、国が基準を決めて、就学後に一斉検査でもされれば、
診断名は統一されるし、データが明確に残って後に活かされていくだろうに・・・
というようなことです。
親によってはすごいクレームが出そうですけどね(笑;
[ 2009-05-04 ]
●Re: NO TITLE
> 療育は早い地域は1歳代から始まりますが、1、2歳の子が「カナー」か「アスペルガー」か
> 見分けるのは。
> だから「自閉傾向」や「疑い」という言葉ができるのだろうと思います。
現在ここまで事が進んでいるとは知らなかった。
何故なら、認知心理学の点から言うと、18~22ヶ月頃に「自己」を獲得するだろうと 言われている。
その時期を経て、初めて発達障害がある「可能性」が見いだされる。
とすれば、当然1、2才でカナーかアスペルガーか等と言うこと自体が論外だし、
1歳代から始まる「療育」(この場合の療育の定義が不明だが)はすでにその時点でカルトだ。
私が言うのは、かつての私のブログに書き込める年齢でありながら、尚、「自閉傾向」だの
「自閉疑い」にしがみついている事に問題があると言っているのである。
親の心理的プレッシャーが無ければ、小学校入学までならば、特別診断名も、 特別扱いも必要ないと考える。
ただ、道路に飛び出すとか、木から落ちるとか、屋根に登るとか、池に落っこちると言う事には 「特別に」気を付けてね。
[ 2009-05-04 ] [ Chip ]
●NO TITLE
うちの息子も1歳代で療育を受けるところでした。
1歳半検診でひっかかり、その後、保健センターから電話がかかってきて説得。 1歳9ヶ月で発達検査を受けました。
言語理解と表出が著しく遅れているということで、療育をすすめられそうになったのですが、
私の方が「失礼な!」と蹴って帰りました。
結局、月1回保健センターの母子教室には通うことになりましたが。
療育の内容は、母子通園で決められた時間に決められたことをする練習です。
名前を呼ばれたら返事をして前に出て出席表にシールを貼る、お遊戯をする、
イスに座っておやつを食べる、などです。
結局その後、2歳手前で周囲がうるさくなり、「おまえの言葉かけが少ないから話さない」
と家族にも言われ、段々気が滅入ってきて、「自分がおかしいのだ」と思って受診したのが、
後者に挙げた精神科で、診察をしたのが今現在『主治医』と呼んでいる医師です。
主治医には療育について「この子の場合、4歳からで充分ですよ」と言われましたが、
保健センターの例があったので、なかなか納得できず、2歳代の頃は自己流で良いと
言われることを何でもやってましたね。
それでも不安で途中からでも療育に入れてもらおうとして定員がいっぱいで、
自閉症協会など方々電話をかけまくったり、保育園に入れようとしたりしていました。
「早期に療育を始めれば症状が軽減する」という情報をうのみにしていましたから。
息子が言葉を獲得したのも家庭療育のおかげと思っていましたしね。
今振り返れば、きっかけを与えたに過ぎず、「元々話す能力を持っていたのだ」と考える
方が妥当、とわかりますが。
「療育には明確な科学的根拠がない」と知った時は愕然としましたし、療育を受けて
大きくなった子供が2次障害を起こしている話を聞き、「なんだ、私と同じじゃないか」
と思いました。
ノースカロライナで地域ぐるみで行われているティーチプログラムが成果を挙げており、
成人が2次障害をほとんど起こさず社会生活を送っているという情報を目にして以来、
ティーチについてはいくらか取り入れていますが。
これも絵カードを使ってなどという、小手先のことではどうにもならない印象です。
親と医者がコーディネーターになって、地域社会ぐるみで環境を整えてこそ効果を 発揮するものという印象です。
「日本向きでない」と言われる理由ですね。
療育神話とも呼べる、早期療育を推進する動きは加速しています。
最近では、親の掲示板に、1歳未満の赤ちゃんを持つ親によって「自閉症でないか心配」 と頻繁に書き込みがあります。
「生後10ヶ月の子に療育を受けさせたい」というような話もあります。
「早期療育は良いもの」と信じて、「良いなら先回りしてやっておけば安心」ということ なのです。
私は障害児用でない育児関係の本もたまに読むのですが、今は早期療育ならぬ、 「早期教育」も盛んですね。
0歳代からドッツカードやフラッシュカードを見せるような教育です。
そのせいか、2歳にしてカードを見せると顔をそむける子が出てきているらしいですよ。
なんにせよ、おかしいと思います。
>私が言うのは、かつての私のブログに書き込める年齢でありながら、尚、 「自閉傾向」だの「自閉疑い」にしがみついている事に問題があると言っているのである。
まあ、そうですね。
「しがみついている」がどういった状態を言うのかわかりませんが。
「自己診断であれば病院に行った方がいい」というのは、治療の意味でその通りです。
問題点と向き合うのに、「自閉傾向」「自閉疑い」などの視点が必要だと医者が言った
ということであれば、それは確定でなくても治療上有益ではないかと思いますし。
個人的には、自己診断で「自分は何も困ってないけどアスペです」と言うのも、
「自閉症者の気持ちを代弁しよう」とか、「自閉症児の親にアドバイスしよう」とか、
「書籍を出そう」とか利益目的でなければ、良いのではないかなと思います。
商売や顔売りに使われるのは、親としても当事者としても絶対に御免ですけどね。
[ 2009-05-04 ]