現在の日本社会の混迷には多種多様な要因が絡み合っていると思いますが、その一つとして、想像を絶するまでの放漫さを露呈した「年金記録問題」があると思います。これによって、ただでさえ多くの問題を抱えていた国民年金制度は完全に国民の信頼を失い、結果として、老後の生活に対する不安が消費を更に萎縮させるという悪循環をもたらせています。前回の参議院選挙で与野党の逆転が起こったのも、ちょうどその時期にこの問題が発覚したことが大きな一因となっていると見る人も多いようです。
ところで、この問題を引き起こした最大の責任者は誰なのでしょうか?
ところで、この問題を引き起こした最大の責任者は誰なのでしょうか?
2007年10月31日、総務省に設置された年金記録問題検証委員会の報告書では、先ずは「厚生労働省及び社会保険庁の年金管理に関する基本的姿勢」に問題があったとし、具体的に下記三点を「問題発生の主因」として列挙しました。
1. 厚生労働省及び社会保険庁に、組織全体としての使命感と責任感が欠如していたこと
2. 年金制度改正・記録管理方式の変更等の際に、「年金記録の正確性を確保すること」の重要性が認識されなかったこと
3. 更に、社会保険庁は、「裁定時主義」という安易な考えの下に業務を継続したこと
しかし、その一方でこの報告書は、社会保険庁職員の多数派組合である「自治労国費評議会(現・全国社会保険職員労働組合)に対しても、「オンライン化反対闘争等を通じて業務の合理化に反対し、自分たちの待遇改善を目指すことに偏りすぎた運動を展開したことにより、職員の意識や業務運営に大きな影響を与え、年金記録の適切な管理を阻害した責任がある」と糾弾しました。現実に、自治労国費協議会と社会保険庁は、「コンピュータ入力の文字数は一日平均5000字まで」「端末の連続操作時間は45分以内」「45分働いたら15分休憩」「ノルマを課してはならない」などの内容を含む「覚書」や「確認事項」をいくつも結んでいます。
さすがにこのような驚天動地の条件が記せられている「覚書」については、自治労本部と全国社保労組も、「1979年に交わされたもので、当時はキーボードを扱うオンラインシステムなどがまだ一般社会に普及しておらず、頸肩腕障害の社会問題化などのコンピュータによる健康面への影響が懸念された時代だった。2005年1月までには、全てが破棄されている」と反論していますが、1979年といえば、CSKの創始者である大川功さんがキーパンチャーの派遣業を始めた1968年から10年間もたった後のことですし、たとえ当初はある程度の懸念があったとしても、このような非常識な労働条件が、誰にも問題視されることなく25年以上も放置されていたこと自体が言語道断とも言えます。(常に競争にさらされている民間企業ではこんなことは起こりえません。)
さて、ここで注目すべきは、産経新聞と読売新聞の2紙が2007年6月16日付の紙面でこのことに関連して労組を批判する記事を掲載したことです。産経新聞は、「社会保険庁は数十人の幹部と1万数千人の職員で構成されており、数年で本省に転出する幹部と違い、社保庁に勤務し続ける一般職員をまとめる役割を果たしていた労組の職場での影響力は大きかった。労使のなれ合いと職員の怠慢が年金記録問題の根本原因である」とし、読売新聞は、「実際に国民から『社会保険事務所が混雑しても、職員は平然と休憩している』『職員向けマッサージチェアの購入など年金保険料が流用された』といった批判が出ているのも事実だ」としました。
責任者追及の過程では「当時の厚生大臣は誰だったか」などという議論ばかりがかしましく、「自分達だけが批判の矢面に立たされているのはおかしい」と政府自民党が苛立ったのは理解できますし、一部のマスコミがそのような苛立ちに共感して、(或いは参院選を控えて危機感を募らせていた政府自民党に迎合して、)こういう記事を書いたのであろうということも容易に推測できます。しかし、私は、2紙の指摘は共に正しいし、「年金問題にはこういう側面もあったのだ」ということを国民に訴えたことについては評価します。(尤も、このような記事は、結局建設的な結果をもたらすことは何も出来ず、基本的に労組側にたっていると見做されていた民主党の勢いに水をさすことも出来ませんでした。)
私が2年前のこの出来事を、わざわざ今の時点で持ち出したのは、二つの理由によります。一つは、北村さんの投稿をはじめとして、日本の大新聞に対する厳しい批判がアゴラの上で今展開されているので、この時の2紙の姿勢を皆さんがどう評価されるかに興味があったこと。そして、今一つは、次第に次期政権の可能性が現実味を帯びてきている民主党が、「政府機関の労使関係」について、とりわけ「合理化に反対する労組」について、どのような基本姿勢で臨むであろうかにつき、私自身が若干の危惧を感じていることです。
とにかく、今回の年金記録問題のような馬鹿々々しいことは、絶対に二度と起こってはならないことです。しかしながら、それを保証できるような「体制の抜本的な改革」は、果たしてその後実現出来ているのでしょうか? 郵政の再国有化を推し進めようとしているかのように見える民主党は、「かつての自治労と社保庁のような馴れ合い関係」を容認する方向に動くのではないでしょうか? そして、「後からあれこれ言ってみた」以外には結局は何も出来なかったマスコミは、今後は「問題を事前に把握して、世論を喚起して事態を正常化する」ことに貢献出来るような力を、次第に発揮出来るようになるのでしょうか?
私の心の中には、不安ばかりが蓄積されていきます。
松本徹三
1. 厚生労働省及び社会保険庁に、組織全体としての使命感と責任感が欠如していたこと
2. 年金制度改正・記録管理方式の変更等の際に、「年金記録の正確性を確保すること」の重要性が認識されなかったこと
3. 更に、社会保険庁は、「裁定時主義」という安易な考えの下に業務を継続したこと
しかし、その一方でこの報告書は、社会保険庁職員の多数派組合である「自治労国費評議会(現・全国社会保険職員労働組合)に対しても、「オンライン化反対闘争等を通じて業務の合理化に反対し、自分たちの待遇改善を目指すことに偏りすぎた運動を展開したことにより、職員の意識や業務運営に大きな影響を与え、年金記録の適切な管理を阻害した責任がある」と糾弾しました。現実に、自治労国費協議会と社会保険庁は、「コンピュータ入力の文字数は一日平均5000字まで」「端末の連続操作時間は45分以内」「45分働いたら15分休憩」「ノルマを課してはならない」などの内容を含む「覚書」や「確認事項」をいくつも結んでいます。
さすがにこのような驚天動地の条件が記せられている「覚書」については、自治労本部と全国社保労組も、「1979年に交わされたもので、当時はキーボードを扱うオンラインシステムなどがまだ一般社会に普及しておらず、頸肩腕障害の社会問題化などのコンピュータによる健康面への影響が懸念された時代だった。2005年1月までには、全てが破棄されている」と反論していますが、1979年といえば、CSKの創始者である大川功さんがキーパンチャーの派遣業を始めた1968年から10年間もたった後のことですし、たとえ当初はある程度の懸念があったとしても、このような非常識な労働条件が、誰にも問題視されることなく25年以上も放置されていたこと自体が言語道断とも言えます。(常に競争にさらされている民間企業ではこんなことは起こりえません。)
さて、ここで注目すべきは、産経新聞と読売新聞の2紙が2007年6月16日付の紙面でこのことに関連して労組を批判する記事を掲載したことです。産経新聞は、「社会保険庁は数十人の幹部と1万数千人の職員で構成されており、数年で本省に転出する幹部と違い、社保庁に勤務し続ける一般職員をまとめる役割を果たしていた労組の職場での影響力は大きかった。労使のなれ合いと職員の怠慢が年金記録問題の根本原因である」とし、読売新聞は、「実際に国民から『社会保険事務所が混雑しても、職員は平然と休憩している』『職員向けマッサージチェアの購入など年金保険料が流用された』といった批判が出ているのも事実だ」としました。
責任者追及の過程では「当時の厚生大臣は誰だったか」などという議論ばかりがかしましく、「自分達だけが批判の矢面に立たされているのはおかしい」と政府自民党が苛立ったのは理解できますし、一部のマスコミがそのような苛立ちに共感して、(或いは参院選を控えて危機感を募らせていた政府自民党に迎合して、)こういう記事を書いたのであろうということも容易に推測できます。しかし、私は、2紙の指摘は共に正しいし、「年金問題にはこういう側面もあったのだ」ということを国民に訴えたことについては評価します。(尤も、このような記事は、結局建設的な結果をもたらすことは何も出来ず、基本的に労組側にたっていると見做されていた民主党の勢いに水をさすことも出来ませんでした。)
私が2年前のこの出来事を、わざわざ今の時点で持ち出したのは、二つの理由によります。一つは、北村さんの投稿をはじめとして、日本の大新聞に対する厳しい批判がアゴラの上で今展開されているので、この時の2紙の姿勢を皆さんがどう評価されるかに興味があったこと。そして、今一つは、次第に次期政権の可能性が現実味を帯びてきている民主党が、「政府機関の労使関係」について、とりわけ「合理化に反対する労組」について、どのような基本姿勢で臨むであろうかにつき、私自身が若干の危惧を感じていることです。
とにかく、今回の年金記録問題のような馬鹿々々しいことは、絶対に二度と起こってはならないことです。しかしながら、それを保証できるような「体制の抜本的な改革」は、果たしてその後実現出来ているのでしょうか? 郵政の再国有化を推し進めようとしているかのように見える民主党は、「かつての自治労と社保庁のような馴れ合い関係」を容認する方向に動くのではないでしょうか? そして、「後からあれこれ言ってみた」以外には結局は何も出来なかったマスコミは、今後は「問題を事前に把握して、世論を喚起して事態を正常化する」ことに貢献出来るような力を、次第に発揮出来るようになるのでしょうか?
私の心の中には、不安ばかりが蓄積されていきます。
松本徹三
待遇面でも、公務員の悪平等は糾弾すべきでしょうが、民放テレビ局など、20代で年収1000万を越え、外車を乗り回すような時代が長く続きました。離職率は1〜2%で生涯賃金が名目上だけで6億を越えるような(他に交際費やキックバックもありました。)他業種では考えられないような特権階級が、果たして薄給の公僕を非難できるのでしょうか。実際、周囲の友人、親戚でみると、民放は同年齢のキャリアの三倍の給与です。新聞社はテレビとはまた違うでしょうが。特に犯罪報道については、こんなことが許されていいのかと思いますよ。以下のものは、どなたが書かれているか知りませんが事実と思います。
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/51013334.html