* * *
群馬県高崎市の小1女児殺害事件ですが、残念なことに、幼女を手にかけた男は、オタクでした。
こうした事件が起きると、
「ああ、またオタクに対する風当たりが強くなるな」
と気が気でないのですが、一方で私に言わせれば、
「あのような男はオタの風上にも置けぬ」
といった具合です。
私の妹などは、この種の犯罪が起きるにつけ
「きっとオタクは、大人の女性が怖いんだね。だから幼女に手を出すんだね」
と、結構厳しいコメントをサックリと突き刺してくれますが、実際にこのような事件が起きてしまうと、私の必死の反論も、やや精彩さを欠くというものです。
今回のように、ひとたびオタクが何かをしでかすと、マスコミはこぞってオタクを興味本位で取り上げ、結論としては
「キモ〜い」
というあたりに落ち着くわけですが、これについては、今さら何を言う気もありません。
オタクが何を考え、何をしているのか。
このことを、今まで一般人は知ろうとしなかったし、オタクも伝えようとしませんでした。
分からないものに対して、得体の知れない恐怖を感じるのも、もっともな話だと思います。
落ち着いて考えれば、犯人がオタクだったからといって、オタクがみな犯罪者のように扱われるのは、論理的におかしいことです。
しかし、世間の大半は真実よりも「分かりやすい結論」を求めているのが実情。
「警察官はみな不正をしている」
「中国人留学生はみなピッキングをしている」
「イスラム教徒はみなテロリストだ」
といったような誤った認識と同様、
「オタクはみなロリコンで、道行く幼女を狙っている」
のごときイメージ付けをしているのは、なにもマスコミだけが悪いのではなく、何をおいても受け手の大衆が「分かりやすさ」を求めているからに他なりません。
彼らに対して、いかにオタクが無害な存在か主張したところで、おそらく聞く耳を持たないでしょう。
私が上述のような、やや諦観めいたことを述べたのも、そういった次第です。
* * *
それにしても、小学生女児を殺害した男というのは、本当に迷惑なことをしてくれたものです。
我々オタクが、常に世間の荒波と戦いながらも、
「きっといつの日か、マンガやディスプレイの中からスクール水着を着た娘さんが飛び出してくるに違いない」
と、いつか来るであろう栄光の日を信じ、堅忍不抜の精神で生きているのに、この男ときたら、ばったり出会った近所の女の子を部屋に連れ込み、騒がれたから殺してしまったとは。
警察の取調べに臨んで、
「ロリ本を読んでいるうちに、実際にやってみたくなった」
とでも言うつもりでしょうか。
なんたる不覚悟。なんたる短慮。
オタクの道から外れて、リアルの世間様にご迷惑をかけるような不届きに及ぶのであれば、所有するところのオタグッズを全て「まんだらけ」ないしは「K-BOOKS」あたりに売却し、身辺を整理してからにしていただきたいものです。
幕末の志士がことに及ぶ時は、藩に迷惑がかからぬよう、脱藩してから決起したというのに、この男の志の低さには、あきれたものです。
彼はオタク文化から、一体何を学んだのでしょう。
フラグも立っていない女の子に手を出せば、たちどころにバッドエンドとなるに決まっているではありませんか。
そんな基本的なことは、当サイトをご覧の諸兄にとっては言うまでもないことでしょうが、残念なことに、この男は、それを知らなかったのです。
ロリ本とか同人誌などを読んで、そこに描かれた性的快楽ばかりにあこがれる一方、女の子と心を通わす素晴らしさを学ばなかったのです。
私は、
「オタクとは「待つこと」を知った、極めてプラトニックな存在である」
と見なしているのですが、悲しいかな、この男はそれができませんでした。
いつかくる栄光の日を待てず、己の欲望の赴くままに行動し、オタクの令名を汚してしまいました。
* * *
冒頭にも述べましたが、オタクが「キモい存在」として見なされるのは、世間の人々にとって、わけのわからない存在だからでしょう。
私に言わせれば、何に熱中するでもなく、ただ漫然と生活している「一般人」と称する人々に対して、どうして我々オタクが劣等感を感じる必要があるのかと思うのですが、とは言いながらも私は、一般人と接する際はオタクであることを隠しています。
それはやはり、
「こいつはオタクらしい。きっとキモいにちがいない」
という偏見を恐れてのことです。
偏見は無知から生じます。しかし一方で、我々オタクは、一般人に知られることを恐れてきました。
時々マスコミに露出する自称オタクは、世間の偏見をはじき返すどころか、これをあおることで小金をもらっているような曲学阿世の徒ばかりで、全くもって論じるに足りません。
事ここに至っては、オタクは人畜無害どころか、清冽無比の志を抱いた精神集団であることを、世間に対して声高に主張する必要があるのではないかとも思うのです。
とは言え、今ここで外に飛び出し
「俺はオタクだ!文句あるか――ッ!」
などと叫ぼうものなら、またしてもマスコミを喜ばせるだけです。
はてさてどうしたものか。全く八方ふさがりで手の打ちようもありません。
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しかしながら、今までのように
「ああ、これで同人誌が取り締まられたらいやだな」
と、まるで嵐を恐れるがごとく、ただひたすら身を縮めて時を待つのでは、あまりに芸がありません。
それに、我々オタクは犯罪者ではないのです。犯罪に走ったのは、オタクの高潔な精神に耐えられなかった、オタク崩れなのです。
であるならば、むしろこちらから、
「たしかに私はオタクだが、道行くおにゃにょこに手をかけたりしませんよ」
ということを、世間様に伝えなければなりません。
オタクという人種の多くは、全く人畜無害であることを、少しずつでもいいから、主張しなければなりません。
でないと、また同じことのくり返しです。
活動の方法は人それぞれあるでしょうけれど、サイトを中心に活動している私としては、さしあたってサイトを中心にオタクの無害性を主張をするのが妥当でしょう。
そんなわけで、今回、
「オタクだからこそ女の子をまもります」
という宣言をするに至ったのであります。
オタクはかわいい女の子が大好きです。
それはすなわち、かわいい女の子が辛い目に合うのを断固否定するものです。
世の中のかわいい女の子は、ボクたちオタクの共通の妹なのです。
妹の小さな胸に秘めた幸せをまもらずして、どうして兄の面目が立つというのでしょう。
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こんなことを言っておきながら、実は世のオタのほとんどが、今にも幼女をその歯牙にかけようと狙っている危険な存在であったなら、私の主張は全く的外れなものになってしまいます。
しかし、私とお付き合いしてくださるオタサイトの管理人様方は、サイトの内容はアレげな感じでも、実際に会ってみると、人格的に尊敬できる方ばかりです。このことから私は、「オタ=犯罪予備軍」のような見方は、全くの誤りであると大いに主張したいのであります。
今回の「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言の趣旨は2つあります。
ひとつはオタクに対する偏見を和らげるため。
何も知らない一般人が、たまたま迷い込んだオタサイトに書いてある文章を読んで、無知から来る恐怖を覚えるのも、無理からぬことです。
そこで事前に、「自分はオタですが、犯罪に手を染めない」という旨を主張し、その偏見を和らげようという狙いです。
そして、もうひとつは、サイトに来るお客さんに対する抑止効果です。
残念ながら、このたびの幼女殺害事件の犯人はオタクでした。そして悲しいことに我々オタクは、身内から犯罪者が出ることを防げなかったのです。
もしかしたら犯人の男は、どこかのサイトに書いてあった
「ああ〜、おにゃにょこのスク水から滴る水をチュウチュウ吸いたい!」
などといった妄想文に惹起され、犯行を決意したのかもしれません。
オタサイトを巡回するお客様のうち、99.9%が清廉潔白なオタク様であったとしても、残りの0.1%が志の低い不届きなオタクであったら、もうダメなのです。同じような事件は再び発生し、罪のない女の子がその手にかかってしまうのです。
しかし、そのようなけしからん輩に対して、「ちょっとまて。それはやっても良いことか。」と投げかけることで、「うーん、やっぱり実際にやるのはリスクもあるしなぁ」と思いとどまらせることができるかもしれません。
少なくとも、サイト管理人には、自分以外の誰かに、自分の考えを伝える手段を持っています。
そして何より、オタクの末席に名を連ねる者として、これ以上オタクの中から犯罪者を出したくないのです。
少々、大仰な長文になってしまいましたが、
「もう、オタクの犯罪者はたくさんだ!こっちが迷惑する!」
とお考えのサイト管理人様も多かろうと思いまして、「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言をしてみた次第です。
もし、多少なりとも小生の想いに共感いただけたなら、私は大変心強く思います。
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<宣言概要>
名称:
「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言
バナー:
http://yellow.ribbon.to/~aka7/savegirlsbn.gif
直リンでもお持ち帰りでも、どちらでも結構です。
参加資格:
1.オタク=性犯罪予備軍と見られる風潮に異議ありなサイト様
2.オタクが犯罪に走るのは、もうカンベンしてよ、とお嘆きのサイト様
上の1、2のいずれかに該当すること。
活動内容:
ご自身のサイトで、
「おい、我等はオタクなりに節度をもって活動しようじゃないか。リアルの女の子にツライ思いをさせないよう、自戒しようじゃないか」
のようなことを訴えかけ、ご自身のサイトの閲覧者に対して、オタクとしての自尊心を再確認させる。
現実の「まもる」行動に移すことまでは、当サイトでは求めません。万が一の時に、自戒のストッパーが働くような、心構えを作っておくことが、当宣言の主たる目的です。
「もう十分、啓蒙した」
「もう飽きた」
ということでしたら、いつでも宣言から脱退していただいて構いません。
リンクの際も、外す際も、当サイトへの連絡は不要です。
旗揚げから4ヶ月内に協賛してくださったサイト様リンク集(現在、追加しておりません)
<当ページ作成にあたって&謝辞> (04/03/19)
こんにちは。呼びかけ人のMAS-Rです。
今回の「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言ですが、予想された通りの批判と、予想以上の協賛を賜りましたために、このような別ページを設けた次第です。
オタクが幼女に手をかけるような事件があった時、必ずと言ってよいほど、我々オタクは叩かれます。
そのつど、各サイト様では思い思いの言説が展開されましたが、これらがまとまった意見として発展するはずもなく、時とともに風化してしまうのは、皆さまが今までに痛感されてきたとおりです。
こうしたくり返しには、多少疑問を感じていたため、議論にある一定の方向性を与えて、多くのオタクサイト様の間に、最低限の共通認識を醸成できればという思いから、今回の宣言を提案させていただきました。
今回、当サイトで皆さまに示させていただいたのは、
「もう一度、オタクとしての覚悟を見直したらどうだろうか」
という、非常に内面的な指針です。
具体的に、
「1サイトにつき1人ずつ、近所のまもるべき女の子を決めて、週に1回レポートを提出」
とか、
「女の子をまもったら、各人サイトの『まもりましたグラフ』を伸ばしてよい」
とかいったような、ハードルが高くて、しかもどう考えてもイタタな感じのノルマは設けず、あくまで、サイト管理人自身と、そこにやってくる閲覧者に対する啓蒙活動の域にとどめました。
なによりもまずは、議論を高めること。
そのためには、できるかぎりハードルを低くして、気軽にまじめな議論ができる環境を整えることが肝要だと考えたからです。
「オタクだからこそ」「女の子を」という限定語を用いたのも、議論が発散してはまとまりがつかず、また、何より今回の事件が「オタク」によって「小1の女の子」が殺害されたという状況にあり、そのことが今回の議論の契機になったのは、言うを待たないからです。
「オタクが幼い女の子を殺害してしまった。今、オタクとして考えるべきことは何か」
私が今回、議論の中心に据えたかったのは、まさにこのことであり、できるならば皆さんに、オタクとしてのプライドや覚悟のようなものを再認識していただきたい。
そう願ったからこそ、
「人として他人の命をまもりましょう」
でもなければ、
「男なら女性をまもりましょう」
でもない。
「オタクだからこそ女の子をまもります」
という宣言を掲げました。
幸い、私の訴えかけに共感してくださったサイト様は実に200を超えました。
ネットに存在するサイトの総数から比べれば、200サイト。たった200サイトです。
しかし、オタクが幼女に手をかけるという、凶悪かつ卑劣な犯罪に対して、
「オタクだからこそ、実際の幼女に手を出すなどというマネは、断じていたすまいぞ」
という不退転の決意を、200ものサイトが共通認識として持ったのです。
本件について、これだけのまとまった行動指針(覚悟でも良い)を持ったサイト群が、他に存在するでしょうか。
オタクにとって、きわめて関心の高い今回の事件のこと。
こうした企画を立ち上げる以上、予想していたとは言え、やはりそれなりの批判や疑問の声もありました。
曰く、「オタクに何ができる」
曰く、「そんなものは自己満足だ」
曰く、「あの文では一般人に理解されない」
批判は批判として、結構。
むしろ、このような宣言に、万人が例外なく賛同する方が、かえって不気味です。
私が批判者に望むのは、批判だけでなく、代案を示してほしいということでした。
小学校の学級会ではないのですから、「反対、反対!」では、議論にもなりません。
反対することだけに終始したのでは、ただひたすら、出る杭を打っているだけにすぎません。
どうしてご自分のサイトを持ちながら、ご自分の考えを述べる手段と機会がありながら、「出る杭」が生じた土壌について、議論を発展させないのでしょうか。
斜に構えて「そんなことやるからキモいんだ」と言い放つことで、
「出る杭を叩いてやったぞ。してやったり」
と満足している節はないか。私はその点を注意喚起します。
先に出された意見の弱点を見つけるのは、容易なことです。
しかし、弱点を指摘し、批判に終始するだけで、更なる議論に発展させる意思がないのであれば、その批判は現状になんらの寄与もしません。
今までどおり、近い将来、オタクの中から犯罪者が輩出され、そしてオタクは再び叩かれるでしょう。
今回、多くのサイト様が、当サイトの提示した宣言に賛同してくださったのは、
「このままでは、まずいな」
という危機意識の表れであると、私は認識しております。
何もしなければ、何も変わりません。
ですが、今回、
「危機的状況を認識し、意識改革に努める」
という、内面的な是正を行いました。
これでは不十分だ。これには意味がない。
そうお考えの方は、どうか当サイトの提示した方針の誤りを正し、より良い、効果的な動きへとつなげていただきたいと思います。
それでこそ、私も批判された甲斐があるというものです。
最後に、今回の宣言を提示するにあたり、私に勇気のようなものを与えてくれた、m-hiro、つくね両氏にお礼をば申し上げたいと思います。
ご存知の方もおられましょうが、過日、経緯あって私は、痴漢を捕まえました。自分でもやや興奮した状態の中で、その話をしましたところ、なんと両氏も痴漢捕縛経験がおありとのこと。なんと、身近に2人も、そのような方がおられるとは、想像だにしておりませんでした。
押しも押されもせぬオタクサイト管理人であられる両氏も、そして私も、その時の勢いさえあれば、女の子を痴漢からまもることくらいは、どうにかできるのです。
このとき私は、
オタクだって、義憤にかられて、行動に移すことができるではないか。
このことを確信しました。
この確信がなければ、「オタクだからこそ〜」などという、ややもすると大仰に聞こえる宣言を掲げることはなかったでしょう。
このことは皆さまに「ぜひ痴漢を捕まえよう」などと、蛮勇を薦めるものではありません。
しかし、何をするにも、またはしないにも、明確な意思と覚悟は必要です。
今回の宣言で皆さんに求めたものは、覚悟のみです。
覚悟は誰でもできます。
しかし、貫徹することは難しいのです。
今回の議論を通じて、おそらく皆さまの心中には、
「まあ、犯罪に走るという選択肢は、ないな」
という当然の覚悟が生じたことでしょう。
その「当然の覚悟」を、いつまでも当然たらしめるのが、今回の宣言の主眼です。
よくよく考えるとこれは、ゴールがないマラソンのようなものです。
ですから、折をみてバナーやリンクを外していただいても構いません。
しかし、今回の議論によって認識を新たにした覚悟は、ぜひとも生涯持ちつづけていただきたいと思います。
……とか言うと、なにやら企画が終わったっぽいですけど、先ほども述べましたように、終わりはありません。
まあ無理なく、適度に頑張りましょう。