制度発足から十年目の介護保険。想定された通り、だれもが介護と向き合う時代になりました。介護は国、社会のあり方を問う最も身近なテーマです。
ヘルパー二級の資格を取得した五十八歳の熟年作家本岡類さんは東京近郊の特別養護老人ホームで介護職員として働いた記録をまとめ、新潮社から出版しました。
その本のタイトルが「介護現場は、なぜ辛(つら)いのか 特養老人ホームの終わらない日常」でした。
◆辛く悲しき介護現場
勤務した老人ホームが特に劣悪だったわけではありません。全国約六千の特別養護老人ホームのごく平均。むしろヘルパー資格取得時の現場実習で見聞した病棟の地獄図やドタバタ劇に比べて<しっかりした施設><高齢者にとって楽園>が初めの印象。その特養に「なぜ辛い」の題名を付けざるを得なかったところに介護現場の悲しさが表れています。
ヘルパー資格取得は、両親の介護や地域ボランティアに役立ち、取材になるかもしれないが動機。特養での勤務は春から秋まで、週二日の非常勤で時給八百五十円、過酷な夜勤は勘弁してもらったのですが、このノンフィクションは挫折の記録ともいえます。「最低でも半年」は、上司との仕事上のすれ違いで気持ちが切れ、五カ月での辞表提出になってしまったからです。
特養は年中無休の二十四時間体制です。三度の食事とお茶、排泄(はいせつ)ケアが介護の中心ですが、慢性的人手不足のなかでの日中三回、夜中二回のオムツ交換やトイレ誘導は、ひたすら肉体的疲労と精神の緊張を強いる重労働でした。
五分の休憩さえ難しい忙しさのうえに常勤職員には月に五から六回の夜勤が加わります。睡眠不足と肉体疲労と精神的ストレスの循環。介護職場ではだれもがイラ立ち不機嫌です。ストレスを他人にぶつけたり、命にかかわる重大事故につながりかねません。
◆せめて未来と希望を
本岡さんは「びっくりするようなハードワークを低賃金でやらせて、働く人が集まるわけがない。将来が見えない職場に若い人が定着するわけがない。長期休暇が取れないのが普通なんて、あっていいわけがない」と職場の不条理に憤り、辞表を提出できる自分に安堵(あんど)さえしています。
介護は質の高い仕事が求められ家族から深く感謝されながら、報われることが少な過ぎるのです。二〇〇七年度調査では、福祉施設で働く男性介護員の平均年齢が三二・六歳と若いこともありますが、給与平均は二二・六万円。全産業男性(平均四一・九歳)の三七・二万円より十五万円も安く、女性も平均二〇・四万円で四万円ほど低くなっています。
離職率25%の高さは昇給の見込みもなく将来の生活と希望が見えないところにあります。「優しく扱われない人が他者に優しくなれるわけがない。当たり前のことを」と待遇改善、大幅な賃金アップを求める本岡さん。本の最終章は「せめてもの未来を」です。全く同感です。
二〇〇〇年四月スタートの介護保険は、老後の最大の不安の介護を社会全体で支える「介護の社会化」が理念でした。確かに介護保険の総費用は三・六兆円から〇八年度予算で七・四兆円に、介護サービス利用者は百五十万人から三百八十万人に増えていますが、実はこの間の社会保障費抑制策で社会化の理念は揺るぎ、介護は後退を余儀なくされたのが実情です。
新設制限で施設は足りません。特別養護老人ホームの待機者は四十万〜五十万人、二、三年待ちが常識です。二度の保険法改定による介護度の切り下げや同居家族がいる場合の在宅サービス使用制限は、家族を再び介護地獄に陥れるものでした。
しかし、社会の超高齢化は急速です。一四年の要介護・要支援認定者は現在の四百六十万人から六百万〜六百三十万人に達する見込みで、介護労働者も現在の百十万人から百五十万〜百六十万人が必要とされます。介護員や介護施設の確保は喫緊の課題で、緊急経済対策程度ですむ話ではありません。
しかも、家族介護は妻、嫁、娘の伝統的な女性依存型から、夫や息子を加えた全員参加型に変わっています。すでに家族介護の担い手の三人に一人は男性で、だれもが介護に取り組む時代です。ここでも財源問題にぶつかりますが、長い政官の無駄遣いが続いてきました。安易に消費税増税にうなずいていいとも思えないのです。
◆信頼できる政府が絶対
将来の安心のための税体系の見直しと負担増の覚悟、暮らしや社会保障の主体としての地方重視の思想もあるでしょう。どんな社会を望むのか、われわれの意思を明らかにすべき時です。信頼できる政府の下で、が絶対条件です。
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