1960年の日米安全保障条約改定の際、核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを日本政府が黙認することで合意した「核持ち込み」密約について、87年7月から約2年間、外務事務次官を務めた村田良平氏(79)=京都市=が、西日本新聞のインタビューに応じ、密約の存在を認めた。村田氏は「政府は国民を欺き続けて今日に至っている。首相が腹をくくればいいだけの話だ」と指摘。「北朝鮮の核問題もある。核について、ごまかしはやめて正直ベースの議論をやるべきだ」と話している。
この密約をめぐっては今月初旬、4人の外務次官経験者が共同通信に対して匿名で存在を認めたと報道されてもいる。外務省は取材に対し「政府が以前から申し上げているとおり、指摘のような『密約』は存在しない。この点については、歴代の総理大臣及び外務大臣がいわゆる『密約』の存在を明確に否定している」との談話を出した。
日米外交の裏面史に詳しい菅英輝・西南女学院大教授(国際政治)は「外務次官経験者の実名証言は非常に重い。密約などないと言い続ける政府は、国民の知る権利をないがしろにしている」と批判。「非核三原則を国是に掲げ、『核のない世界』実現に向け国際社会でイニシアチブを取ろうというのであれば、日本政府は核をめぐる密約をすべて公開した上で、その破棄を出発点とすべきだ」と話している。
村田良平氏の一問一答は次の通り(聞き手は東京報道部・山崎健)
‐核持ち込みに関する密約はあったのか。
「1960年の安保条約改定交渉時、核兵器を搭載する米国艦船や米軍機の日本への立ち寄りと領海通過には、事前協議は必要ないとの密約が日米間にあった。私が外務次官に任命された後、前任者から引き継いだように記憶している。1枚紙に手書きの日本語で、その趣旨が書かれていた。それを、お仕えする外務大臣にちゃんと報告申し上げるようにということだった。外部に漏れては困る話ということだった。紙は次官室のファイルに入れ、次官を辞める際、後任に引き継いだ」
‐外相に伝えたのか。
「倉成正、宇野宗佑両大臣には報告した。宇野さんの後任の三塚博さんは宇野内閣が短命だったため、報告する前にお辞めになった。その次に中山太郎さんが就任したが、間もなく私が次官を辞めたため、中山さんにも報告していない」
‐一部の首相、外相だけに伝えていたとの歴代次官の証言があるが。
「私は外務大臣に事務次官がお伝えすべきものということで、政治家によって選別するなんてことはしなかった」
‐昨年9月に出版した著書「村田良平回想録」(ミネルヴァ書房)で密約に触れている。ためらいはなかったか。
「この際、正直に書くべきことは書いた方がいいと思い、意識的に書いた。北朝鮮の核武装問題もある。核について、へんなごまかしはやめて正直ベースの議論をやるべきだ。政府は国会答弁などにおいて、国民を欺き続けて今日に至っている。だって、本当にそういう、密約というか、了解はあったわけだから」
‐90年代末、密約の存在を裏付ける公文書が米国で開示されたが、日本政府は否定した。
「政府の国会対応の異常さも一因だと思う。いっぺんやった答弁を変えることは許されないという変な不文律がある。謝ればいいんですよ、国民に。微妙な問題で国民感情もあるからこういう答弁をしてきたと。そんなことはないなんて言うもんだから、矛盾が重なる一方になってしまった」
‐先日、4人の歴代次官が密約を認めたとの報道後も政府は否定した。
「総理大臣が(認めようと)腹をくくればいいだけの話だ。簡単なこと。明日にだってできる」
‐著書には77年施行の領海法の立法作業時、「核兵器搭載艦の取り扱いが最大の問題となり、対馬東水道、同西水道、大隅など5海峡の幅員は3カイリに留めおくとの方針が立てられた」とある。米軍の核搭載艦通過が、非核三原則に抵触する恐れがあると判断したためか。
「そうだ。核を積んだ船が通ったときに、持ち込みじゃないか、ということになる。そうするとまずい、ということだった。言い出しっぺは外務省。私は担当でなかったので、議論を横でながめていて、姑息(こそく)なことをするなと思っていた」
‐沖縄返還交渉でも、緊急時の核再持ち込みに関する秘密合意があったと、首相密使を務めた若泉敬氏が94年に著書で明かしているが、政府は否定している。
「72年5月の沖縄返還の前後約4年、駐米大使館で1等書記官、参事官として勤務していた。若泉さんから直接聞いたわけではないが、ひそかにそういうような、どうもディール(密約)があったらしいというような格好で、(日本政府関係者から)聞いてはいた。記録を読んだわけではないが、若泉さんが書いたことが本当だ。日本政府は歴史を改ざんしている」
村田氏は京都府出身。52年に外務省入省。外務次官、駐米大使、駐ドイツ大使などを歴任した。
■核の持ち込み
米軍による核兵器の持ち込みは、1960年改定の日米安全保障条約第6条(米軍による施設・区域使用)に関して両国政府が交わした公文の「装備の重要な変更」に該当し、同条約で定めた「事前協議」の対象とされた。日本側に事実上の拒否権が付与される事前協議は一度も行われておらず、日本政府は「事前協議がない限り、持ち込みはない」との見解を堅持。しかし核艦船などの通過・寄港を事実上、事前協議の対象としない合意内容を記した「秘密議事録」(密約)が安保改定時に交わされた。63年には当時の大平正芳外相とライシャワー駐日大使が内容を確認。90年代末、密約に関する米公文書が開示されたが、日本政府は否定し続けている。
=2009/06/28付 西日本新聞朝刊=