オリンパス内部通報報復事件に関する意見書

2009年4月21日掲載 

 オリンパスにおける内部通報に関わる配転命令無効確認等請求事件について、3月16日付けで東京地方裁判所に提出した意見書を以下に掲載します。


2009年3月16日


意見書


公益通報支援センター共同代表
関西大学教授  森岡孝二


はじめに

 私は、2009年1月29日に、濱田正晴氏(以下原告)および同代理人の岡本理香氏より被告会社オリンパスにおける内部通報に関わる配転命令無効確認等請求事件について、意見書の作成依頼を受けた。そこで、公益通報者保護法の立法趣旨と公益通報をめぐる日本の企業文化に関する知見にもとづいて、この意見書を提出するものである。
 なお、私は、企業社会論を専門とする関西大学経済学部教授で、経済学博士(京都大学)であるが、1996年2月以降は株主オンブズマン代表、また2002年10月以降は公益通報支援センター共同代表をも務めており、公益通報について雑誌や新聞にコメントや論説を発表してきた。

1.公益通報者保護法の成立事情と立法趣旨

 2000年7月に三菱自動車工業の大規模なリコール隠し事件が発覚して以来、従業員の通報によって企業における違法・不正が相次いで発覚し、内部告発の役割が注目されるようになってきた。「内部告発」が流行語大賞のトップテンの一つに選ばれた2002年には、雪印食品(雪印乳業の子会社)と日本フード(日本ハムの子会社)の牛肉偽装・詐欺、佐世保重工の助成金不正受給、全農チキンフーズの鶏肉偽装、協和香料化学の無認可物質使用、ダスキンの無認可物質使用、USJの賞味期限切れ食肉使用、東京電力の原子炉損傷隠しなどが内部告発によって明るみに出た。
 こうしたなかで、消費者の安全を確保するために公益通報者(内部告発者)を保護する制度を導入しようという気運が高まり、内閣府における検討を経て、2004年6月に公益通報者保護法が成立し、2006年4月1日から施行された。そこでまず、同法の成立事情と立法趣旨について確認しておく。
 公益通報者保護制度に関する議論が内閣府で開始されたのは、国民生活審議会消費者政策部会の自主行動基準検討委員会においてであった。2002年2月に開催された第6回委員会で「内部通報者(whistleblower)」の保護制度の必要性が話題にのぼったあと、同年3月29日の第7回委員会において、イギリスの1998年「公益開示法」(Public Interest Disclosure Act)を参考にして、「公益通報者保護制度」という言葉が使われ、その後、食品安全や表示、リコールなどにかかわる事件が公益通報によって発覚していることを踏まえて、通報者を保護する法制の整備や事業者内部でのヘルプラインの設置等について議論が交わされた。そして、同年12月に発表された同委員会の最終報告「消費者に信頼される事業者となるために――自主行動基準の指針」では、公益通報者保護制度のあり方について検討する必要性がつぎのように提起された。
 「事業者内部の従業員等からの通報を契機として事業者の不祥事が明らかになる事例が相次いでいる中、早期に問題点を発見し問題が大きくなる前に対策を講じ、再発防止策を施すことができるよう事業者又は事業者団体内部で従業員等からの通報を受け付けるヘルプラインを整備する必要がある。また、イギリス等いくつかの国においては、公益のために通報した者が通報をしたことを理由に不利益を被ることがないような法制が整備されてきている。こうしたことを踏まえ、我が国においても通報者を保護する制度のあり方について、早急な検討がなされる必要がある」。
また同年12月に発表された国民生活審議会消費者政策部会「21 世紀型の消費者政策の在り方について――中間報告」においても、「公益通報者保護制度の必要性」が確認されている。
 これらを受けて、2002年12月に、国民生活審議会消費者政策部会のもとに「公益通報者保護制度検討委員会」が設けられ、2003年1月から5回の委員会を経て、同年5月に「公益通報者保護制度の具体的内容について」の報告書がまとめられた。同委員会には、公益通報支援センター共同代表の片山登志子弁護士も委員として参加した。
 この報告書は、「保護される通報の対象」を「消費者利益の擁護」に限定し、また、「保護される労働者」を「事業者に雇用されている労働者」に限定していた。しかし、そうした制度設計では、健康、安全、環境などに有害であっても、消費者利益に関係がなければ、その通報は保護されないことになる。また、事業者と直接の雇用関係にない派遣労働者、請負労働者、子会社の労働者などは、保護の対象から外れることになる。これら二つの欠陥は、各方面の指摘を受けて、その後国会に上程された法案では解消された。
 その後、内閣府によって、この報告書の内容を基本に「公益通報者保護法案(骨子案)」が策定され、同案についてパブリックコメントが募集され、閣議決定を経て、2004年3月に第159回国会に提出された。
 国会上程後は、本法案は、衆・参の本会議における簡単な趣旨説明と質疑の後、衆・参の内閣委員会に付託され、公益通報者を保護する制度の根幹にかかわるいくつかの問題点を残したまま原案どおり可決・成立した。
 本法律は第2条において、「通報対象事実」を「個人の生命又は身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護にかかわる法律として別表に掲げるもの」と定義している。本法律の立法過程では、本則に定義される「通報対象事実」は別表に記載される犯罪事実等(表1のf)に限定されることになっているために、それ以外の通報対象事実(表1のaからe)を通報した場合は保護されない危険性があると指摘されていた。

表1 法令違反の視点からみた通報対象事実の分類
a 法令に違反しないが、多くの国民等の生命、身体、安全等に危険な事実
b 法令に違反する事実
 c 法令に違反するが刑罰等でもって規制されない事実(民法、商法等の
  民事法に違反する事実、公法上の規制法であっても過料になる事実等)
 d 刑罰等で規制される法令違反事実
  e 本法の政令の別表に記載されない犯罪事実等(政治資金規正法、公職
   選挙法、所得税法違反など)
  f 本法の政令の別表に記載される犯罪事実等(本法律の通報対象事実に該当)
  (注:分類は公益通報支援センター事務局長の阪口徳雄弁護士の整理による)

 本法律第6条(解釈規定)の第1項には、通報を理由とする解雇その他不利益な取扱いを禁止する他の法令(原子炉等規制法や労働基準法等)の規定の適用を妨げるものではない、とある。また第2項には、労働契約法の第16条(解雇権の濫用――旧労働基準法第18条2)の規定の適用を妨げるものではない、とある。この第2項の規定が盛りこまれたのは、本法律における保護対象に含まれない通報であっても、通報に至った事情に相当な理由や合理的な理由がある場合には、従来からの一般法理による保護が適用されることを確認したものと理解できる。
 本法律による保護と一般法理による保護の関係については、国会審議でも大きな問題になった。その結果、可決に際しては、衆議院で「本法の保護の対象とならない通報については、従来どおり一般法理が適用されるものであって、いやしくも本法の制定により反対解釈がなされてはならないとの趣旨及び本法によって通報者の保護が拡充・強化されるものであるとの趣旨を周知徹底すること」、参議院で「本法の立法趣旨が通報者の利益の保護を拡充・強化しようとするものであること、及び本法による保護対象に含まれない通報については従来どおり一般法理が適用されるものであることを、労働者、事業者等に周知徹底すること」という附帯決議が採択されている。
 本法律の内容と運用については、条文の「逐条解釈」や「通報対象となる法律一覧」(2009年1月5日現在、425本)を含め「公益通報者保護制度ウェブサイト」の情報が参考になる。しかし、それらをみても、専門的な法律知識をもたない労働者が本法律によって保護される通報対象事実の法的意味を理解することはきわめて難しい。この点は、衆議院内閣委員会の審議過程で、公益通報支援センターの阪口徳雄弁護士が参考人として意見陳述をおこない、法律の仕組みが複雑・難解で、どのような事実の通報であれば保護されるのか、またどの監督行政機関に通報すればよいのかが、弁護士などの専門家にもわかりにくい、と指摘しているところである。
 本法律の複雑・難解な仕組みは、後に述べるように本法律が公益通報を[1]内部通報、[2]監督行政機関通報、[3]外部通報に分け、[1]を優先させるために、[1]よりは[2]、[2]よりは[3]と、保護要件を厳しく限定していることに起因している。そうであれば、内部通報については、労働者の通報を容易にするために、何らかの違法・不正や危害が生じているか生じようとしている場合は、速やかな通報を促すように配慮するべきで、あらかじめ複雑な法的・専門的な判断を通報者に求めるべきではない。そうした判断は通報を受ける側が弁護士など法律専門家を交えた組織で調査・検討を踏まえて行うべきである。
 過去に行われた公益通報では、「犯人探し」がされ、通報者が特定されて解雇その他の不利益取扱いを受けることが多かった。またそのおそれがあるために、通報が封じ込められるか取り止められることも多かった。このことに関連して、本法案の国会審議では、通報者の個人情報を保護する必要性が議論された。その結果、衆議院で「公益通報を受けた事業者及び行政機関は、公益通報者の個人情報を漏らすことがあってはならないこと」、参議院で「公益通報者の氏名等個人情報の漏えいが、公益通報者に対する不利益な取扱いにつながるおそれがあることの重大性にかんがみ、公益通報を受けた者が、公益通報者の個人情報の保護に万全を期するよう措置すること」という附帯決議が採択されている。公益通報のヘルプラインの管理運営にあたる人々は、これらの附帯決議が求める公益通報者の個人情報の保護に厳重に対処しなければならない。

2.日本企業の内部告発の文化と公益通報者保護制度の必要性

 公益通報者保護法の施行からまもなく3年が経過しようとしている。この間、企業その他の事業者の側では、コンプライアンス体制の強化と公益通報ヘルプラインの整備が進んだ。その結果、企業不祥事が減ったかというと、マスコミに報道された企業不祥事は、公益通報を契機とする事件に限ればむしろ増えている。2007年だけでも公益通報によって発覚した事件にはつぎのようなものがある。

 表2 公益通報によって発覚した2007年の主な事件
  不二家消費期限切れの原料使用(1月)
  ミートホープ肉ミンチ偽装(6月)
  石屋製菓(白い恋人) 賞味期限の改ざん(8月)
  赤福製造日付改ざん(10月)
  比内鶏原料肉の産地偽装(10月)
  ニチアス耐火性能偽装(10月)
  栗本鉄工所製品強度偽装(11月)
  船場吉兆牛肉の産地偽装、賞味期限改ざん(11月)

 近年、公益通報が増えている背景には、就業形態の多様化にともなって会社への帰属性が乏しく忠誠心が希薄な非正規労働者が増えているという事情があると言われているが、阪口弁護士が言うように、従来「マイナスイメージ」のあった内部告発が、本法律の施行により、公のため、消費者のための行為だという「プラスイメージ」になったことも内部告発が増えた一因と考えられる(奥山俊宏ほか『ルポ 内部告発』朝日新書、2008年、88ページ)。
 しかし、同法の施行により、企業文化が内部告発を受容する方向に変わったかというと、残念ながらそうではないと言わざるをえない。
 日本の企業社会において内部告発は、しばしば密告や裏切りという暗いイメージで語られ、通報者は「密告者」や「裏切り者」のレッテルを貼られてきた。仕事を通して知りえた職場の違法や不正を社内の上司や通報窓口、あるいは外部の監督官庁やマスコミに通報することは、解雇、隔離、左遷、降格、減給などの不当な処分や不利益な取扱いを受けるおそれをともなってきた。この点は、内部告発が公益通報と言い換えられ、公益通報者制度が整備されたいまも大きくは変わっていない。
 公益通報支援センターへの相談事例からみれば、一般に労働者は公益のための通報対象事実に直面しても、直ちに社内組織や外部機関に通報するわけではない。たいていは組織への忠誠心や職務上の守秘義務と、不正や違法を黙視できない正義感とのあいだで通報するべきか否か葛藤し、踏みとどまることが多い。それは通報することが会社や社会のためだと思っていても、前記のような報復や制裁を受けるという危険にさらされているからである。
 内部告発をしたことに対する報復と闘ったことでよく知られているのは、富山県高岡市に本社のあるトナミ運輸の元社員、串岡弘昭氏である。彼は20代後半にトラック業界のヤミカルテルを新聞などに内部告発して、以後30年ほどにわたり、清掃、草むしり、片付け、雪かき、ペンキ塗りなどのきわめて補助的な雑務しか与えられず、昇格を停止され、隔離同然の扱いを受けてきた。あと4年で定年という2002年1月、彼は会社を相手取り4800万円余りの損害賠償と謝罪を求め、富山地裁に提訴した(串岡弘昭『ホイッスルブローアー=内部告発者――我が心に恥じるものなし』桂書房、2002年)。
 2005年2月23日、富山地裁は、「原告の内部告発は正当な行為であって法的保護に値する」という原告勝訴の判決を言い渡した。判決はまた、被告が原告にきわめて補助的な雑務をさせ、昇格させなかったことや退職強要をしたことを、内部告発に対する報復であって、原告を不利益に取り扱ったものと認めた。
 内部告発に対する報復を跳ね返したいま一人の人として知られているのは、元愛媛県警巡査部長の仙波敏郎氏である。彼は、警察官になって6年後、24歳で巡査部長になった後、偽領収書作成への協力を何度か求められ、すべて拒否し通してきた。そのために、彼は巡査部長になって以降、ずっと昇任を阻まれてきた。そういう経緯があって、2005年1月20日に記者会見をして、警察の裏金にまつわる不正経理を内部告発した。その4日後、愛媛県警は、彼のこれまでの経歴と無縁な、緊急に設置する必要性を認め難い新設の「通信司令室」に彼を配置換えした。2006年6月6日、愛媛県人事委員会が配転取消の裁決をするまで、彼は1年5か月間、「通信司令室」で勤務させられ、以前の鉄道警察隊に復帰できなかった。
 仙波氏は、2005年2月10日、不当配転に対する国家賠償訴訟を松山地裁に提起した。2007年9月11日に、その判決があり、配置換えは内部告発に対する「報復として行われたことが推認され、社会通念上著しく妥当性を欠く」として違法であるという判決があった。 また2008年9月30日の高松高裁における控訴審の判決も、「配置換えは嫌がらせ、見せしめのためと推認される」とし、再び違法と認定した。また、新設の「通信司令室」については、「新設に緊急の必要性は認められず、定期異動を外れた時期に、新たな職務を意に反して経験させる意味があるか疑問」と述べ、必要性がないと判断した。この判決を受けて愛媛県警が上告を断念した結果、原告勝訴が確定した。
 裁判にまではいたっていない事件でも、内部告発をした結果、不利益な取扱いで苦しんでいる人が少なくない。公益通報支援センターには、内部告発によって不利益な取扱いを受けた人からの相談がいくつも寄せられてきたが、そのなかには、会社が通報者に不利益な取扱いをしなくても、上司や同僚によって「仲間はずれ」にされたという例もある。ある地方公共団体のケースでは、上司の不正について通報したところ、その不正は是正されたが、それ以降その上司から「君はこの課に向いていない」などと嫌みを言われて困っているという相談が寄せられた。その後、その人は配転を希望したが拒否され、コンプライアンス担当部署にも相談したが「関与できない」と言われ、告発をしたことを後悔しているとのことであった。
 またある大手上場企業の子会社のケースでは、親会社への部品の納入に関わる通報で上司や幹部に相談したが、いずれも「やむを得ない」という回答であったので、親会社の関係部長に相談した。ところが、それが子会社に伝えられ、内部事項を外部に漏らしたとして懲戒解雇されそうになった。そこで、弁護士に依頼し仮処分を申し立て裁判所で和解した結果、懲戒解雇はされないことになり、今後の配属については「本人の希望を尊重する」ということになった。しかし、その後、希望を出したけれど「内部告発した者を受け入れる職場はない」などと言われ、仕事をさせてもらえない状態が続いてきたという事例もあった。
 これらの報復や嫌がらせは、通報者の個人情報が保護されていないことによって引き起こされている場合が多い。
 個人情報の保護を誤った例として見過ごせないのは、東京電力の原子力発電所の損傷隠し事件の通報への対処である。報道によれば、東電の原発の自主検査を請負った業者の元社員から通産省(現経済産業省)に通報があったのは2000年7月であった。しかし、当時の資源エネルギー庁はそれから5ヵ月後になってようやく証拠書類を添えて東電に質問状を出した。さらに東電から原発損傷隠しが公表されたのは、通報から2年後の2002年であった。
 しかも、あろうことか、経済産業省の原子力安全・保安院は、2000年末に内部告発者の氏名などの個人情報を東電に提供し、同人を「危険人物」とする文書まで渡していた。原子炉等規制法に内部告発の保護規定が盛り込まれたのは、1999年9月に茨城県東海村のウラン燃料加工施設(JCO)で最悪の臨界事故が起きたことがきっかけであったが、東電の原発検査に関する内部告発への保安院の対応はこのときの原子炉等規制法の改正趣旨にも反している。
 公益通報者保護法施行後では、トヨタ自動車系列の販売会社「大阪トヨペット」(大阪市福島区)の社員が、同法に基づいてトヨタ自動車販売店協会が設けた「トヨタ販売店ヘルプライン」へ、不正な方法で売買契約書を偽造し販売実績の水増ししている事実について電話で通報した翌日、同社から自宅待機を指示されというケースがある。その社員は、同協会が契約している東京都内の弁護士事務所に自分の所属や実名を告げて通報したが、個人情報が保護されず実名が会社に伝わってしまったために、自宅待機という不利益取扱いを受けることになったものである(「朝日新聞」2006年6月3日)。
 これについては、「通報窓口に関する問題事例」として、公益通報者保護制度検討委員会委員長であった松本恒雄氏(一橋大学大学院法学研究科教授)も、内閣府主催の「公益通報シンポジウム」の基調講演(2008年1月17日、内閣府「公益通報者保護制度ウェブサイト」参照)で取り上げている。なおこの件で個人情報の漏洩にかかわった弁護士に対し、第2東京弁護士会綱紀委員会は2008年3月4日付で「懲戒相当」と議決した(「読売新聞」2008年3月10日)。

3.原告の内部通報の正当性

 公益通報者保護法は、すでに述べたように、[1]内部通報、[2]監督行政機関通報、[3]外部通報の別に保護の要件を定めている。本法律の組立は、内部通報を重視(優先)して法令遵守経営を促すために、内部通報については、他の二つの通報先に比べゆるやかな要件しか設けていない。監督行政機関通報は、「通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしていると信ずるに足りる相当の理由」がなければならず、また外部通報は、これにくわえて、「内部通報あるいは行政機関通報をすれば解雇その他不利益な取扱いを受けると信ずるに足りる相当の理由がある場合」や、「内部通報すれば証拠堙滅、偽造、変造のおそれがあると信ずるに足る相当の理由がある場合」など五つの要件の一つに該当し、かつ「その者に対し当該通報対象事実を通報することがその発生又はこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者に対する公益通報」でなければならない。しかし、内部通報は、「通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしていると思料する」だけでよい。原告が通報したのもまさしくそのように思料した事実にほかならない。
 原告がNDTシステムグループ営業チームリーダーとしての業務を通じて知って、コンプライアンス室に通報したのは、近い過去に約1億3000万円の機械を2台納入している重要な顧客企業である山陽特殊製鋼から被告会社がすでに専門知識をもつ社員一人を引き抜き、同じく専門知識をもう一人の社員を引き抜こうとしているという事実であった。
 公益通報者保護法は、「通報対象事実」に関連して、個人の生命・身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全とならんで「公正な競争の確保」を挙げている。この一事をもってしても原告が、業務上知り得た事実を公益通報対象事実と考えたのは至当である。取引先からの取引商品に関する高度の専門的な情報と知識をもった社員を引き抜くことは不正競争防止法(政令別表の通報対象法律の一つ)に違反するおそれがある。またたとえ同法の違反に当たらない場合でも、企業倫理に反し、業界で批判を招くことによって、原告の営業責任業務に重大な支障をきたす行為である。
 原告は、コンプライアンス室に通報するに先立って、2007年4月12日、直属の上司であるB部長が関与しているものと確信して、同部長の上司であるA事業部長に引き抜き問題について原告の知る事実を通報している。ところがA氏は、事実関係の調査や引き抜きの中止などの措置をとることなく、本社ビルの一室に原告を監禁状態に置いて、B部長同席のもとで「Bのやっていることに対して邪魔をするな」と原告を叱責する始末であった。
 原告は、5月24日、主張先で咳がひどくなり、宿泊先に近い三重県の青木記念病院で診察と検査を受けた。その結果、単なる風邪で28日から予定されている海外出張も問題なくいけるということだった。医師にはその旨をB部長に伝えてもらった。しかし、その直後にB氏は原告が診察を受けたのは精神病院ではないことを承知しながら、精神病院に行ったかのように第三者に話した。それを知って原告は不信と恐怖を感じた。この件について原告の妻が知ってショックを受けたという事情もあって、後日、原告はA事業部長とB部長に会った機会に二人に謝罪を求めた。その場では二人とも事実を認め、頭を下げて謝罪したという経緯もある。この件を含め、被告等の原告に対するパワーハラスメントは、その後も止んでいない。
 原告は、5月28日から予定通りカナダのケベックに出張した。この出張中、ONDTジャパン(オリンパスNDTの国内販売部)副社長のC氏から、再三にわたり本社のコンプライアンス室に通報するように言われた。帰国後の2007年6月11日、コンプライアンス室に連絡をとり、諸般の配慮から、社外の喫茶店で室長のD氏と、危機管理室のE氏に会い、ONDTジャパン経理部のH氏とともに、事実関係を通報した。また、その翌日には、引き抜きと3号機受注に関わる追加的な事実を記したEメールをD室長とE氏に送信した。
 こうした手続きは被告会社のヘルプラインのマニュアルと内部通報のルールにしたがったもので、原告が咎められるところはなにもない。
 コンプライアンス室は、通報時には引き抜きが事実であるなら問題であることを認め、きちっと調査・対処し連絡すること明言したという。しかし、コンプライアンス室から原告に回答のEメールがあったのは、通報から20日以上経過した、7月3日であった。この間に専門家を交えて社内調査を行った形跡はない。
 公益通報者保護法では「第1号に定める公益通報〔内部通報――引用者〕をした日から20日を経過しても、当該通報対象事実について、当該労務提供先等から調査を行う旨の通知がない場合又は当該労務提供先等が正当な理由がなくて調査を行わない場合」(第3条2のニ)も外部通報の保護要件の一つに挙げられている。この規定はコンプライアンス室も通報を受けた時点で当然承知していたはずである。とすれば同室が通報から20日余り経過した時点で回答したのは、これ以上放置すれば外部通報に至ることを恐れての対応であったとも考えられる。しかも、回答は調査の結果を伝えたものでも、調査を行うか行っている旨を伝えたものでもなかった。
 さらに驚くべきことに、そのEメールは、カバーコピーでA事業部長、G人事部長に同時配信されていた。そこには通報者の個人情報の保護に対する配慮はまったくなかった。これは公益通報者保護法に違反していると同時に、顧客だけなく、社員等の個人情報の厳正な取扱いと安全管理義務を定めた個人情報保護法にも違反している。
 この公益通報者の個人情報の漏洩は、それが意図的であろうとなかろうと、被告会社における公益通報のヘルプラインの設置と運営に重大な欠陥があることを意味するものである。公益通報支援センターは、ヘルプラインは会社と利害関係のない(弁護士事務所の場合は会社と顧問契約関係のない)社外に置くことが労働者の信頼を得るうえでも望ましいと考えている。社内に置けば、たとえ通報時には通報者の個人情報が秘匿されて不利益取扱いが生じなかったとしても、通報時にヘルプラインやコンプライアンス室の管理運営に従事していた社員が将来たとえば人事部に異動して、かつての通報者に不利益取扱いをするおそれがあり、そうしたおそれがあるかぎり労働者から信頼を得ることはできないからである。
 問題はEメールのカバーコピーでA事業部長とG人事部長に同時配信したことにあるだけではない。秘匿を要する公益通報の回答を転送可能なEメールで送信したこと自体が、コンプライアンス室が、個人情報の保護に無神経であること、したがって「公益通報を受けた者が、公益通報者の個人情報の保護に万全を期する」という公益通報者保護法の付帯決議の趣旨にまったく無理解であることを物語っている。
 コンプライアンス室への通報から2か月半余り経過した8月27日、原告はB部長に言われて出向くと、同氏とA事業部長、I部長(IMS事業部企画営業部)が待ち受けており、A氏から、10月1日付けで、原告をNDTシステムからはずし、部長付きの「新規事業創成探索」に異動させると告げられた。
 その後、原告は長崎取締役からも「代えるしかない」と言われ、B部長から「顧客訪問をすべてキャンセルするように」と指示された。
 窮地に陥った原告は、被告会社菊川社長宛に引き抜きをめぐる事実経過、上司への通報と上司の対応、コンプライアンス室へ通報とその回答、個人情報の漏洩などを記載してEメールで通報した。また原告は代理人弁護士を通じ、内容証明郵便で上記と同様の内容の通報を行った。これらはいずれも公益通報者保護法の趣旨に適合的な公益通報(内部通報)であったが、被告会社の回答らしきものは、社長が原告の個人情報漏洩先のG人事部長に対し指示を出し、同氏から原告に人事部人事グループのF氏と面談するように連絡があっただけである。
 コンプライアンス室も社長も、個人情報保護法の違反行為を含む通報対象事実に対して、調査等の適切な対処をせず、問題を放置している。
 なお、原告が面談したF氏は、原告の通報事実にはほとんど関心を示さず、健康問題が心配だから産業医の診断を受けるように勧めた。その場では原告もそれを了解し、F氏が産業医の予約をとった。しかし、原告はその直後に不審に思い、その日のうちに自ら予約をキャンセルした。
 8月末には労働組合にコンタクトをとり、組合のコンプライアンス推進担当をしている副委員長と面談したが、まともな調査もないままに終わった。
 結局、9月24日、正式に人事異動が内示され、パソコンの無線と貸与されている携帯電話を返却するように指示され、10月1日以降、原告はやむをえず「部長付き」の「新規事業創成探索」なる部署に着いた。異動後は、K担当部長からもほとんど話しかけられることなく、周囲の社員からも孤立させられた状態に置かれている。従来、「部長付き」というのは何ら正式の職位ではなく、定年直前の社員や、受け入れ社員のような組合員以外の従業者には例があっても、現在の5700名の組合員社員のなかでは原告だけのために作られた役職である。原告はNDTシステムリーダーで、部下6名を率いるNDTシステムビジネスの営業責任者であったが、公益通報後の異動先には1名の部下もいない。しかも社内外の関係者とは原告は上司の許可無く接触してはならないという、非人道的と言える業務命令を行い、原告を成果をあげられない状況に置き、精神的にも原告を追い込む環境を作り出しているのである。
 これらのことから、「新規事業創成探索」なるものは、原告を従前の業務からはずし、疎外するための名目的な業務でしかなく、原告の業務実績や職目経験とも関係なく、配置換えは公益通報を行ったことに対する報復的な嫌がらせ、見せしめのためとしか考えられない。
 さらに不当なことに、被告会社は冬期ボーナスの査定に際して、原告が期の初めの目標を大きく上回る売上げ・成約実績を上げているのもかかわらず、原告の賞与評価を不合格点とし、賞与を減額している。12月に支給されるボーナスの評価表が支給直前の12月に入って作成されるのは異例である。それにくわえて、評価書には「業務指示に従わない」「機密漏洩があった」(原告からの指摘を受けて「組織規律を乱した」に変更)などと記載してあった。これらのことからみると、この賃金減額が公益通報を理由とする陰湿な報復であることは否定できない。

おわりに

 前述の内閣府主催の「公益通報シンポジウム」で松本恒雄氏が述べているところでは、「公益通報者保護法のねらい」は、[1]通報した労働者の保護、[2]内部通報窓口の設置による自浄作用、[3]コンプライアンス経営の動機づけ、の3点にある。これを被告会社に当てはまれば、原告が公益通報を行って受けた報復的な不利益取扱いは、被告会社において、[1]通報した労働者を保護する目的にヘルプラインが機能しておらず、[2]内部通報窓口の設置による自浄作用が働かず、[3]公益通報がコンプライアンス経営の動機づけになっていないことを示唆している。
 公益通報者に嫌がらせや見せしめをして、労働者の公益通報を畏縮させ通報を封じ込めることは、組織に潜む違法・不正や危害を早期に発見し除去することや、未然に防止することを困難にする。組織の風通しをよくし、組織の内部にいて、違法・不正や危害を現に目撃しているか、その行為に関与している人でなければわからないリスクを双葉のうちに摘み取るためには、公益通報を理由とする解雇や不利益取扱いを禁止し、解雇や不利益取扱いがあった場合には通報者が救済される制度を整える必要がある。公益通報者保護法はそのために導入されたのである。
 本件は公益通報者保護法の施行後に発生し提訴された事件として、また本法律施行後の内部通報の保護に関する最初の判決となるかもしれない裁判として注目を集めている。本法律が内部通報前置主義をとった理由は、企業のコンプライアンス経営に全幅の信頼を置いて、自浄作用を促すためであった。逆に言えば、本法律はヘルプラインの管理運営やコンプライアンス体制の構築や個人情報の保護を含む公益通報者の保護について、企業に厳格な自己規律を課していることを意味する。原告の行った内部通報の正当性と被告のそれに対する対応の違法性は、上記の見地から判断されなければならない。原告が行った公益通報に対する被告会社の報復を裁判所が違法と認めなければ、本法律は、本法律に励まされて適正に公益通報をした労働者を保護しないという自己矛盾をきたすことになりかねない。それだけに裁判所の厳正な判断を期待する。


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