2009.06.15UP
これまで観た台湾映画のなかで、特に印象に残っている作品の一本が、呉念眞(ウー・ニェンチェン)監督の『多桑/父さん』だ。これは、呉監督の父親の生きざまを息子の視点を通して描き出す自伝的な要素を持った作品だった。
1929年生まれのこの父親は、日本の統治下で教育を受けた日本語世代に属する。そんな彼の生きざまを際立たせているのは、日本への憧れと猛烈な頑固さだ。
彼は、日本の敗戦後も日本への憧れを持ち続け、家族には自分のことを日本語で"父さん"と呼ばせる。次男がテレビのバスケットボールの試合に熱中していると、日本に勝てるはずがないと言って息子を小突く。彼の望みは、死ぬ前に日本に行って皇居と富士山を見ることだ。
彼は自分の思う通りにしか生きられない。息子を映画に連れて行くという口実で飲み歩き、職にあぶれると麻雀賭博に明け暮れる。肺を病んで闘病生活に入っても、アレが立たなくなるといって薬を飲まず、糖尿病を併発して甘いものを禁じられても隠れてむさぼる。息子が外省人(大陸出身者)の女性と結婚すると"外省"と冷たく当たる。
そんな父親がだんだん魅力的に見えてくるのは、歴史と無縁ではない。日本が去ったあとの台湾には、大陸からきた国民党による弾圧と独裁が待ち受けていた。父親の日本への憧れや頑固な生き方は、独裁に対する反抗の表れでもある。
酒井充子監督が7年に及ぶ取材を経て作り上げた『台湾人生』は、日本語世代に属する5人の台湾人のいまを追ったドキュメンタリーだ。彼らは流暢な日本語で、日本の統治や国民党の弾圧など、これまでの様々な体験を語る。5人のひとり、台湾原住民・パイワン族出身のタリグさんは、撮影の時点ですでに末期ガンに冒され、映画の完成を見届けて他界した。プレスによれば、彼の最期の言葉は日本語で、家族は誰も理解できなかったという。
この映画は、高齢化が進む日本語世代をとらえた貴重な記録であるだけでなく、日本の近代を考える糸口にもなる。陳培豊の著書『「同化」の同床異夢――日本統治下台湾の国語教育史再考』(三元社、2001年)は、日本語世代を知るうえでとても参考になる本だが、そのなかにこのような記述がある。
「日清戦争に勝利を得たものの、日本は統治の失敗者になるという予測を覆すために、台湾統治の「文明性」と円滑なる統治を西欧列強に向けてアピールし、東洋の新生帝国のイメージを構築しなくてはならなかった。そのためにも、積極的な教育が新領土台湾の地で行われていったと推測できるのである」
台湾における同化政策は、植民地と日本の領土、あるいは、平等主義と差別をめぐって揺れ動いた。"同床異夢"という題名は、そのブレを端的に物語っている。この映画に登場する5人の人生は、そうした現実と結びついているように見える。
蕭錦文さんは、社会的な地位を得るために日本人になることを決意し、日本兵に志願し、ビルマ戦線で戦った。だが、軍隊のなかで最後まで中国人として差別されつづけた。さらに、台湾に帰還すると国民党の弾圧を受け、拷問され、弟を亡くした。そんな彼は日本政府に対する怒りを隠さない。一方、宋定國さんには、忘れることができない日本人教師がいた。貧しさから中学の退学を考えた彼は、公学校の担任だった教師が黙って差し出した5円札のおかげで卒業し、日本の海軍工廠で働いた。そんな彼は、毎年日本を訪れ、教師の墓参りをしている。
さらに女性の立場にも注目すべきだろう。台湾人がなかなか行けなかった女学校に進学した陳清香さんの勇ましさと教育には深い結びつきを感じる。彼女は「男だったら特攻隊に志願した」と語り、大陸の圧力を恐れることなく靖国に参拝した小泉首相を支持する。先述の『「同化」の同床異夢』には、「儒教の影響で台湾では女子の教育は重んじられていなかった」という記述がある。「台湾人の国」を目指して運動する彼女の人生は、日本の教育によって大きく変わったといえる。一方、もうひとりの女性、楊足妹さんはまったく対照的だ。彼女は弟のお守りをするために小学校を1年で辞め、日本人が経営するコーヒー農園で働き、日本語を覚えたという。
ポストコロニアル的な視点を持ったこのドキュメンタリーは、81分とは思えない密度を感じさせる力作だ。