加藤紘一議員インタビュー「私が中国と縁したきっかけ」
人民網日本株式会社はこのほど、日本でのネットインタビュー番組を立ち上げた。当番組は日本の政界、ビジネス界、学術界など各界の著名人にインタビューを行い、動画で放送する。その趣旨は、読者に真実かつ立体的な、より深い部分の日本社会を知ってもらおうというもの。
トップバッターとして今回は、日本の衆院議員で日中友好協会会長の加藤紘一氏に人民網東京駐在記者が独占インタビューを行った。インタビューの中で、加藤氏は小泉政権時代の政治的特色や昨今の日本の社会情勢について独自の分析を語り、昨年の胡錦涛主席との対話を振り返った。さらに興味深いことに、自身が中国と縁するいきさつや、青年時代に研修で中国の農業について学んだ経験にまで話は及んだ。そして、加藤氏は「一生の事業として日中友好事業に取り組みたい」と語った。
加藤紘一(かとう こういち)
1939年6月17日、山形県鶴岡市に生まれる。東京大学法学部卒業後、外務省に入省し、1964年4月1日、国立台湾大学に留学。1966年ハーバード大学に移る。1967年、香港副領事期間に結婚、中国語と英語が堪能。1969年に帰国し、外務省アジア局中国課で次席事務官を担当。1971年12月、外務省を退官、父の志を受け継ぎ、国会議員の選挙の準備をする。1972年、衆議院に当選、大平正芳氏を師と仰ぎ、その後、宮沢喜一氏に追随する。大平氏の対外政策思想を受け継ぎ、アジア外交を重視し、日中友好を主張。21世紀の日本の国家利益を考えると、日本はアジア諸国との団結を強化しなければならないとの見方を示す。経験豊富な政治家であり、政界屈指の「中国通」であり、対中友好政策を進める「ハト派」の人物でもある。自由民主党の主要指導者のひとりとして、自民党幹事長、政調会長、防衛庁長官、内閣官房長官を歴任。現在は日中友好協会の会長を務める。
「人民網日本語版」2009年6月11日