「(大して実行のない)イヤミ」?
ある小宇宙では、科捜研が検体資料を全て使い切って行った鑑定結果の信用性を弁護人が問題視することを、「(大して実行のない)イヤミ」だという意見がまかり通っているようです。
しかし、再検証の可能性がないデータの信用性を問題視するというのは、一般には「イヤミ」以上の意味があるものです。(検体を全量費消することで)再検証の可能性を封じたデータが高い証拠価値を有するということになれば、捜査機関は、これぞという人物を罪に陥れるために、データをねつ造した鑑定報告書を作成することが可能となります(覚醒剤を服用した人物の尿検査の結果概ねどのような数値となるのかは捜査機関にいれば分かっているので、データをねつ造した鑑定報告書を作成することは難しいことではありません。)。再検証の可能性がないデータに証拠能力を与え、さらに高度の信用性をそこに見るとき、捜査機関にデータねつ造の誘惑を与えることになります。
従って、再検証可能な程度に検体を保存しておくという実務運用がなされるようになった場合、そのようなデータねつ造を行えば後の再検証によりそれが明るみに晒されるリスクを負うわけですから、データねつ造を行って被疑者を罪に陥れてやれという誘惑は軽減されるわけです。そのような威嚇効果だけだって十分に意味があります(それは、取調べの全面録音録画問題と共通している話です。取調べ状況を全面的に録音したからと行って、現在の国選報酬でそれを全部視聴していたら完全に赤字ですから、全ての弁護士が録音された取り調べ状況を全部視聴するかといえば多分に疑問ですが、不当な誘導や脅迫を取り調べ過程で行えばそのことが公にされる危険があるというだけで、それらの行為をしないようにしようという方向に働くわけで、それ自体に有効性があるということができます。)。さらにいえば、再検証可能な程度に検体を残しておけば、過失によって科捜研が鑑定ミスを犯したときに、再検証を行うことによって、被告人を無実の罪で処罰する危険を軽減することだってできるわけです。
そういう意味では、再検証可能な程度に尿検査の検体を保存しておくということのために一定の予算を用いることは、「弁護士に(大して実行の無い)イヤミを言わせないだけが目的の負担」(by MultiSyncさん)とはいえないということになります。
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