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08/06/2009

無実の人間を刑事処罰する方法が違うだけ

 司法取引制度の導入に積極的な弁護士というのも世の中にはいるようです。まあ、内部における言論の多様性が大きいのが弁護士会の特徴の一つですから、それはそれで構わないのですが。

 もちろん、司法取引制度は、刑事裁判にかかるコストを削減するという意味では特に犯罪大国アメリカなどでは必要悪的な側面があるのですが、わが国のように、そうはいっても治安がよい国で導入するのは如何なものかという気がしなくはありません。

 というのも、司法取引制度は、無実の人間を刑事処罰することに繋がる、一種の「冤罪を生み出すシステム」となりうるからです。例えば、共犯として複数の人が逮捕され取り調べられている場合には、まさに「囚人のパラドックス」が生ずるため、被疑事実に全く身に覚えが無くとも我先に司法取引に応ずるのが合理的だということになりますし、単独犯として逮捕された場合でも、職業裁判官や裁判員に対する信用がおけなければ、筋を通してやっていないことはやっていないとして司法取引に応ずることを拒否するのは大博打となってしまいます。  私のように刑事弁護をやらない弁護士にすら、司法取引制度が無実の人間の処罰に繋がりやすいことは知られています。

 情報の非対称性ないし不確実性を梃として無実の人間に刑事罰を科すことを可能とする司法取引制度を導入するのであれば、暴行・脅迫・偽計等により自白を引き出すことにより冤罪を生み出す危険を狭める被疑者取調べへの弁護人の立会いを認めても構わないみたいな話って、私にはにわかに賛同しがたいところです。

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