米国裁判例に見る「誘導尋問」
2004年から2005年にかけてAILA Asylum Committeeの議長を務めたこともあるDavid L. Cleveland弁護士が,「What Is A Leading Question」という文章を公表して,何をもって誘導尋問とするかについての米国の裁判例を整理しています。そので引用されているUnited States v. Durham, 319 F.2d 590, 592 (4th Cir. 1963)では,Wigmoreの「証拠法」を参照しつつ,
The essential test of a leading question is whether it so suggests to the witness the specific tenor of the reply desired by counsel that such a reply is likely to be given irrespective of an actual memory. The evil to be avoided is that of supplying a false memory for the witness.
と判示しています。すなわち,誘導尋問か否かを判断する上で欠かせない要素として,その質問が証人に対して尋問者が欲している特定の答えを示唆しているために,実際の記憶にかかわらずそのような回答がなされそうか否かということがあげられています。誘導尋問を制限することにより回避されるべき害悪は,「証人に間違った記憶を供給すること」と捉えられているわけです。
さらに,Cleveland弁護士は,State of Maine v. Weese, 424 A.2d 705, 708, 1981 Me. LEXIS 718 (Supreme Court of Maine, 1981)を紹介して,
The court stated that a question is not leading "merely because it calls for the witness to respond with a simple ‘yes’ or ‘no.’" 424 A.2d 705, 709.
The court further explained that a question is leading "when it encourages the witness to adopt as his answer an assertion implicit in the question rather than to state the witness’s own recollection. Every question is leading in the sense that it directs the witness’s attention to a particular event or topic. " 424 A.2d at 709.
と述べています。証人自身の記憶を述べるよりも,質問の中に暗示されている主張を証人の答えとして採用してしまうことを奨励してしまうときに,その質問は誘導尋問になるとしています。
このように見ていくと,特定の法律案に無条件に賛成するかを端的に尋ねる質問が「誘導尋問」にあたらないことは明らかだと思います。
創価大学だけは,その法科大学院の教授で刑事法を担当される矢部善朗教授が,
誘導尋問の目的は、質問者の思惑通りの回答を得ることにあるのであり、回答を暗示するということはその典型的な方法ではありますが、別の方法もありますので、回答を暗示するということは、誘導尋問の本質的要素ではありません。
との独自説にご執心なので,世界標準とは異なる「誘導尋問」概念がまかり通るのかもしれませんが。
渡辺弁護士は,
このような質問も,前述の質問と同様,尋問者から答えるための情報が提供されていて,証人はこれに対して「はい」「いいえ」を述べるだけである。本来は証人が裁判官に対して情報を提供すべきであるのに,誘導尋問においては,実際には尋問者が情報を提供して,証人には「はい」「いいえ」とのみ答えさせることによって,問答全体としては形式的には証人が答えた情報として裁判官に提供させるものである。
とは言え,誘導尋問になるか否かは微妙であり,言葉の調子,イントネーション,強弱などにより左右されうる。例えば,「あなたは彼を殴りましたか」という質問に対しては「イエス」「ノー」いずれの答えも暗示されていないため誘導尋問とならないが,「あなたは彼を殴りませんでしたよね」という質問は「殴りませんでした」という答えを暗示しているため誘導尋問となるのである。
といっているのに,
誘導尋問においては,実際には尋問者が情報を提供して,証人には「はい」「いいえ」とのみ答えさせることによって,問答全体としては形式的には証人が答えた情報として裁判官に提供させるものである。
という部分のみを引用して,
渡辺弁護士が、「答えた情報として」と述べられていることからしますと、渡辺弁護士も基本的には被質問者の答によって情報操作をしようとするのが誘導尋問と考えておられるものと思われます。と結論づける矢部教授の手法をどう評価するのかという問題はありそうですが。渡辺弁護士は,
尋問者から答えるための情報が提供されていることを要素として提示しているのに,そこを敢えて無視してしまうというのは,矢部教授が造詣の深い「印象操作」に他ならないようにも思われます。
法科大学院構想の是非が論じられていた際に,少数孤立説を教えたがる教員をどうするのかという議論があったことが思い出されます。
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» 証人尋問における誘導尋問と議論における誘導尋問の違いが分からない小倉弁護士 [モトケンブログ]
小倉弁護士が、米国裁判例に見る「誘導尋問」がさらに恥の上塗りをしています。... [Lire la suite]
Notifié le le 26/06/2009 à 01:24 PM
Commentaires
小倉先生は、いまだに「事実に関する記憶」について質問する証人尋問における誘導尋問と、議論において「相手の意見に関する発言を特定の方向へ誘導」しようとする場合の誘導尋問の違いを理解していないようですね。
それともことさらにその違いを無視しているのですか?
Rédigé par: 矢部善朗 | le 26/06/2009 à 09:54 AM