●「脳内革命」「新世紀エヴァンゲリオン」ブームに警告する!/宮崎哲弥 談

 昨年のオウム真理教事件は、目前の現実から逃避し、いわゆる「不可知」−−−見えないもの、実在しないもの−−−に傾倒していく現代の若者の姿を如実にさらけ出した。
 そして、われわれ日本人は今なおオウム事件の残した教訓を内在化できていないように見える。  それは、プラス発想で脳内モルヒネを活性化させれば長生きできるとする「脳内革命」や、古代文明の謎をもっともらしくプロットした「神々の指紋」といった著作が大ベストセラーとなり、
“癒し(ヒーリング)”が相変わらず商売になっている現状とどこかで通底しているのではないか? 果たして日本の精神文化の底流で何が起こっているのだろうか。気鋭の論客、宮崎哲弥氏に聞いた。
・・・(中略)・・・
エヴァンゲリオン現象と共同体再構築の必要性
 また、昨今の「癒し(ヒーリング)」ブームも、表現的個人主義の限界、逢着と考えられる。「癒し」の問題もアメリカが先行していて、宗教なき後のアメリカ社会ではサイコセラピーがもてはやされた。しかし、現在では、それさえも“しょせん金もうけのためのビジネスであり、サービス産業に過ぎない”と疑問視されている。
 いってしまえば、春山(編集部注:「脳内革命」)や船井(編集部注:「百匹目の猿」)の言説も、サービス産業の延長としてとらえればいいのだ。その証拠に、例えば、船井の言説は決して断定の形をとらない。「一応○○と思う」「○○ではないか」と。断言できない宗教がありえないように、船井自身は、あくまでビジネスとして「コンサルティング」しているに過ぎない。ただ、問題は、こうした流れが、彼らの意思を越えて暴走することの危険性である。
 一例を挙げよう。いま若い世代を中心に、「新世紀エヴァンゲリオン」なるアニメが大ブームとなっていることをご存じだろうか。関連商品の売り上げは200億円以上といわれている。
 このアニメは“近未来SFロボットもの”という設定をとりつつ、細かな心理描写や宗教的暗示、哲学的寓意まで盛り込み、謎が謎を呼ぶストーリー展開となっている。最後は、ストーリーすら破綻してしまい、主人公の完全な内的世界の話だけになって終わる。そこでは“僕はなぜ闘ったのか”とか“何もかも自分のためなのだ”というような「自分さがし」の物語が説かれる。
 ここで問題なのは、このアニメが、実は自己啓発セミナーやサイコセラピーの手法を物語の中に取り込んでいて、形を変えた“癒し”の典型ととらえられることだ。
 これが意味するのは、1960年前後に生まれた私の世代から拡がり始めた表現的個人主義が、だんだん純化しながら、さらに下の世代に受け継がれてきているということだ。したがって、現在のオカルト・不可知ブームはまだまだ続く可能性が高い。“宗教ではなくサービス産業だから”というのはアドホックな言い訳に過ぎないのである。
・・・(後略)