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週刊金曜日池田昭論文掲載問題

江川昭子『オウム真理教追跡2200日』文藝春秋1995より
“それでもオウムをかばう宗教学者たち”

島田裕巳、池田昭。この二人の名前だけは記憶に止めておきたい。単なる学問オタクは、学問的良心の対極に位置することを。

坂本弁護士一家拉致事件に始まって、昨年の宮崎資産家拉致・監禁事件、今年に入ってのサリン疑惑、さらには東京都品川区で発生した目黒公証役場事務長の假谷清志さん拉致事件と、何かと重大な刑事事件にその名前が囁かれるオウム真理教。そのオウムを擁護する文章を、二人の宗教学者が相次いで発表した。一人は、マスコミでお馴染みの島田裕巳日本女子大助教授(現・教授)。島田氏は、月刊誌『宝島30』三月号の特集「徹底検証!オウム真理教=サリン事件」を担当し、その中で三本の記事すべてに関わっている。
まず、オウムの青山吉伸弁護士に対するインタビュー。聞き手は島田氏である。続いて、昨年七月に悪臭が発生した場所に近いオウムの施設の一棟内部の「取材」レポート。これも島田氏が報告者になっている。
島田氏はオウム側に要求されるまま「修行者たちが身につける特別な服」に身を包み、内部を案内され、〈いかにも「神聖な宗教施設」という印象なのである〉との感想を抱いた。そして、彼が関わり合うようになってから現在までに、〈オウム真理教は確実に変化をとげてきたように見受けられた〉という。
〈結局のところ、オウム真理教は、この四年間のあいだに、より宗教教団らしい集団に発展してきたことになる。(中略)これから、オウム真理教という特殊な宗教教団は、どういった方向に進み、また社会とどのような関係を結んでいくことになるのだろうか。サリンとのかかわりよりも、重要なのはそういった点であるのかもしれない〉
サリンの問題は、教団の行く末よりも後回しにされるような些細な問題だろうか。私の目にも、オウムの〈変化〉は見える。ただ、それは島田氏とはまったく別の意味でだ。この団体は以前にも増して、お布施や信者集めに熱心になり、その手段もより大胆に荒っぽくなってきている。その典型が、宮崎の資産家拉致・監禁事件だ。
私だけではない。オウムの被害者の相談に乗っている元信者はこんな証言をする。「以前の信者は教学といって、教義を勉強したり、あるいは修行をしたりすることに熱心だった。でも今は違う。まともに教学もしない信者までも、どんどん出家させ、ワーク(内部での仕事)に駆り立てている」
このような「変化」には、島田氏はほとんど目を向けない。『宝島30』特集の最後を飾っているのは、島田氏の論文「毒ガスと世界最終戦争」である。ここで彼は〈青山弁護士へのインタビューからもわかるように〉と、オウム側の説明を無批判に受け入れたうえで、独自の議論を展開、こう結論づける。〈何か具体的な証拠があるから彼らは疑われるのではなく、最初から疑惑が向けられる構造になっているのである〉
島田氏がオウムを擁護する論調の発言をするのは、これが初めてではない。継続的かつ頻繁に行っている。その中から一例をあげる。出典は島田氏の著書『いま宗教に何が起こっているのか」(講談社)だ。

●「オウムに興味ないもん」
〈私たちは、オウム真理教の奇妙な行動にふれるたびに、その裏になにかが隠されていると考えてしまいがちだが、かれらの行動や主張はむしろ文字通りに受け取るべきではないだろうか〉
このような島田氏の姿勢について、聞いてみた。自宅を訪ねた時の彼の第一声は、驚くべきことに、「オウムに興味ないもん」。いったい彼は、自分の発言の重みをどう考えているのか。
オウム擁護の意図は「別にそういうことはない」と否定。結局彼は「彼らはそう言っている、彼らはそう考えている、と書いているだけ」と主張する。
これではオウムのPRに利用されるだけではないか。
〈オウムは半分僕を利用している〉
そうと分かっていながらそれに乗っているのだ。
彼は「いくら批判をしても、問題はなくならない。なぜ問題が出てくるのかを考えたい。(そのために)オウムとのパイプは必要。それを閉じちゃっていいのかということだ」と語る。
若者たちがオウムに魅力を感じる「病理」の背景を見極めたいとする彼の動機は、私も共感できる。宗教を研究する立場なら、教団の情報は欲しいだろう。しかし、そのために現実に目をつぶり、教団の言い分を垂れ流すようなことをしてもいいのか。
同氏は、一九九一年の気象大学校の文化祭に講師として招かれた際、わざわざオウム真理教教祖の麻原形晃氏を呼んで対談する企画に変更した。その席でも「(席原教祖の説明は)私なりに納得できるところがあったんですね」などと発言。この対談はオウム出版発行の本に収められ、「教学」と布教に一役買っている。島田氏は言う。
「教団とは信頼関係はないが、麻原との個人的関係はある。僕も悪い奴だとは思っていない。彼は夢想家。それにすがる人が出てきたので拡大した。(問題とされる点はあるが)席原は関与してないと思う。彼の考えている通りに信者がやっているかというと、それは違う」
問題があっても、悪いのは教祖の考えを反映できない下々の信者の責任であるというのでは、信者の発想と一緒だ。

オウム擁護の論陣を張るもう一人は池田昭中京大教授だ。彼は『週刊金曜日』二月二十四日号と三月三日号の二号にわたって「拉致された坂本弁護士の周辺にただよう権力介在の疑惑」と題する文章を発表した
「宗教と国家権力の関わり」に関心があるという彼は「坂本事件にオウム真理教は全く関わりがないと断言できる」と常々主張してきた。そして、この事件では坂本弁護士が関わっていたある事件を見過ごすことができないとする。それは、国鉄分割民営化直前に設置されていた、横浜の人材活用センターで、五人の国労組合員が助役に暴行を振るったとして逮捕された事件(人活事件、既に無罪確定)だ。この事件が国鉄当局によって仕組まれたものであることを裏付ける最大の証拠である録音テープの分析を担当したのが、坂本弁護士を中心とするチームだった。
池田氏は、その事実と、事件当事者が坂本弁護士への思いをつづったパンフレットに目を通しただけで、「この事件は国家権力による拉致事件」と断定する。しかし、事件の関係者はいずれもその見方に批判的だ。こうした意見に対し、彼は『金曜日」でこんなふうに反論する
〈この主張には国家権力と厳しく対立していた弁護団の存在を無視する考え方がひそまれている(ママ)〉
確かに坂本弁護士は、熱心に取り組んでいたが、弁護活動は彼一人だけでやっていたわけではない。なぜ、弁護団の中で坂本さんだけが狙われたのか、彼の文章を読んでも、説明を聞いてもさっぱりわからない。それどころか、池田氏は弁護団のメンバーも把握しておらず、坂本さんが他にどんな事件を抱えていたかも検証していない。「そんなことを検証する必要はない」とさえ言い切るのだ。
私たちは池田氏にも宗教学者の役割について聞いたが、彼は「そんなこと答える必要ない」と怒り出す始末。
池田氏は、国労関係者とは一応話をしているが、「最初から、国家権力説ばかり言っていて、私たちがいくら説明しても頑として自説を繰り返すだけだった」(元被告藍和夫氏)。
人活事件の岡田尚弁護団長が、今回の記事に憤慨して言う。
「一番腹が立つのは、彼のまず結論ありきという姿勢だ。坂本事件の真相を究めようというところから出発するのではなく、とにかくオウム真理教は関係ないということを言いたいがために、人活事件を利用している
『金曜日』はこのような背景や実態を知る立場にあった。前田の藍さんは事前に編集部を訪れ、問題点を説明して、掲載を見合わせるように要請した。編集部は「担当者に連絡させます」と藍さんの名刺を預かったきり、電話もしてこなかった。池田氏は、オウムの青山弁護士の著書に、「推薦の言葉」も寄せているれっきとした「オウム御用達学者」でもある。
いったい『金曜日」は何を考えているのだろうか。
「編集部としては、拉致事件に権力が介在していると述べた記事とは思っていないし、池田さんがそう言ったとも思えない。そうだとしたら載せてません。オウムが犯人でないという記事だと取られても、それは僕らの意図とは全く違う」(編集部)
「オウムが犯人ではないことを書きたかった」とも認めている池田氏の原稿の意図を編集部が読みとることができなかったとすれば、お粗末の一語に尽きる。オウムが犯人と決めつける必要はないし、様々な説が紹介されるのは結構だが、根拠もない記事の流布は、坂本事件の解決にとって妨げにしかならないのだ。
池田氏は、私が批判することについて「ご自由ですが、言論には責任が伴いますよ」と言った。この言葉をそっくり池田氏と『金曜日』にお返ししたい。
(『週刊文春」95年3月23日号)

(1)松本サリン事件では七人が亡くなった。この『宝島」が発売された後に起きた地下鉄サリン事件では十二人(席原教祖らオウム関係者を殺人罪で起訴した刑事裁判の起訴状では十一人となっている。一人はサリンと死の因果関係が完全に証明しきれなかった)の犠牲者が出た。ほかに後遺症に苦しむ人々は多数いる。ことは命の問題である。

(2)山梨県・上九一色村の教団施設周辺からサリンの残留物が検出され、脱出した元信者からも有機リン系の中毒患者が出ていることなど、警察はいくつもの証拠を得た。強制捜査は、目黒公証役場事務長拉致事件で入っているが、その際に毒ガス対策を万全にし、さらに捜査中にサリン事件に関しても証拠を収集するのは当然のことだ。にもかかわらず、島田教授は、強制捜査着手直後の三月二十二日付東京新聞に、次のようにコメントしている。 〈(第七サティアンについて)島田氏は「私が見た限りでは宗教施設だった。カムフラージュしていれば別だが、そんな感じではなかった」ときっぱり。〉(中略)その閉鎖性については「麻原さんがいればオープンだが、いまの幹部では決断力が劣る」。そして「修行は外部の人には理解できない。土地トラブルなどお布施には利害が絡むので、社会とあつれきを生むのは必然的だ。しかし、教団はゆっくり発展していく」とみる。
一連のサリン事件については「オウム側か、国家権力による謀略か分からないが(教団と)何らかの関係はあるようだ」。ただ、強制捜査については「法的にいろいろ問題がある。情報がないのに、怪しい事実があるというだけで捜査したのではないか」と疑問視する〉

(3)この指摘は、宗教学者としての島田氏の致命傷だろう。オウム真理教は、麻原教祖が絶対的な存在として君臨し、すべての方針が彼の指示によって決まる。それは教団の全体的な運営だけではない。十万円以上の金銭の出費も教祖の許可がいるし、宮崎の資産家拉致事件では、犯行に加わった医師が「専師の許可がないと退院させられない」とまで言っている。教団の隅から隅までを把握し、自分の意思を反映させなければ気が済まない麻原教祖の性格、教団の最も重大な特徴を見誤っていると言わざるをえない。オウム真理教は、いわば麻原教であり、その組織は麻原教祖の個人商店であり、また信者たちからすれぱ教祖は絶対的な「家長」でもあったのだ。

(4)この記事(「それでもオウムをかばう宗教学者たち」)が掲載された後、『週刊金曜日』の本多勝一編集長から、反論を書くよう要請があった。それに応えて書いたのが次の原稿である(原題一誤認だらけの池田論文とそれを掲載した『週刊金曜日』を糾す一『拉致された坂本弁護士の周辺にただよう権力介在の疑惑」の問題点)。

横浜の坂本堤弁護士が、妻の郁子さん、長男龍彦ちゃんとともに何者かに拉致されるという犯罪史上稀にみる事件が起きて、もう五年四カ月が経過した。昨年後半から今まで、弁護士有志や市民グループは、「龍彦ちゃんにランドセルを背負わせて上げよう」を合言葉に、以前にも増して救出運動を盛り上げてきた。本来なら、龍彦ちゃんはこの四月から小学校に通うはずだった。そんなふうに一家救出のためにがんばっている人々を唖然とさせ、憤慨させる記事が発表された。
『週刊金曜日』二月二四日号と三月三日号の二号にわたって掲載された、池田昭中京大学教授の《拉致された坂本弁護士の周辺にただよう権力介在の疑惑》である。読んでみて、私はオウム真理教の出版物を読んでいるような錯覚にとらわれた。それほど全編オウムの擁護であり、オウムが常々主張していることそのままなのだ。私は別に、坂本弁護士事件がオウムによって引き起こされたと断定するつもりもないし、多角的に事件を検証することを否定もしない。むしろ、坂本さんの友人の一人として、事件解決に結びつく意見、自分が気づかなかった事実の指摘であれば、進んで拝聴したいと思っている。しかし、事実に基づかない憶測、思い込みの類が流布されることは、事件解決にとって妨げにしかならない。今回の記事は、残念ながらそんな類の典型であった。
池田氏は、坂本事件が起きて一年ほど経った頃、岡田尚弁護士ら坂本さんが所属している横浜法律事務所のメンバーに会っている。事件についての自分の見解を述べたい、ということだった。私もその場に同席していたのだが、彼は弁護士を前に「これは宗教絡みではなく、国家権力による犯行である」との自説を展開した。その時点で、彼は坂本さんがどんな仕事をしていたのかも、坂本さんの人柄や生活ぶりも全く知っていなかった。分かっていたのは、坂本さんが当時の国鉄分割民営化問題の最中に起きた横浜・人材活用センター事件(人活事件)の弁護団に加わっていたことだけ。それは五人の国労組合員が助役に暴力をふるいケガをさせたとして逮捕された事件だ。弁護団は様々な状況証拠や証人尋問から、事件が実は当局によって仕組まれたものだと主張。それを裏付ける最大の証拠となったのが、皮肉にも検察側の提出した唯一の物証だった。暴行の場面を隠し録りしたという録音テープである。それには暴行を推測させる場面はないどころか、裏面に国鉄管理者が組合員を挑発して事件を起こさせる謀議が録音されていた。このテープの分析を坂本さんを中心にしたチーム(テープ弁護団)が当たった。
池田氏は、坂本さんがテープ担当だったことだけで、「国家権力説」を組み立てた。私は何度も坂本さんたちのテープ分析に立ち会っているが、実際彼は非常に熱心だった。しかし、彼だけがやったのではない。複数の弁護土と組合員が力を合わせての共同作業だった。彼の最大の功績は、その明るさと包容力、粘り強さで、みんなの力をうまく引出し、面倒な作業をまとめたことだったと私は思う。人活事件弁護団長でもある岡田弁護士は、その実状を池田氏に説明した。だが氏は頑として自説を曲げず、「いつか自分の意見を発表する」と言って引き揚げた。今回発表された文章は、その時の話と全く同趣旨の内容だった。池田氏自身、「坂本事件は国家権力によるもの。オウムは関係ないと断言できる。そのことを書きたかった」と私に明言している。
それでも私は、池田氏がこの四年間に裏付け調査をされ、新たな発見をしたうえで、書いたのかもしれないと思い、確かめてみた。しかし、そうではなかった。
氏の説の唯一の根拠は、坂本分謹上と家族を救う全国弁護士の会の発行パンフレット『真相』の中の一文。人活事件の被告(当時)藍和夫さんが坂本さんの身を案じて寄せた九〇〇字ほどの短い文章だ。
《事件は仕組まれたものであることを示す最大の山場を迎えています。今こそ坂本弁護士の出番なのです。坂本堤弁護士が尋問をしてくれる番です》
「真相」のこの記事だけで私はモノゴト言ってるわけですよ」(池田氏)
エエッ、これだけ?なぜこれだけで、坂本事件が権力の犯行だとわかるのか。
「どうして分かんないの?私の推理では、論理的に考えるとそうなるの」
人活事件弁護団は三人のベテランを中心として、常に十数人の弁護士が法廷に出た。
「そんなこと知らないよ」「(升謹上を)いちいち洗うなんて、そんなことできない」
その弁護団の中でなぜ、最若手の坂本さんだけが、権力に狙われなければならなかったのか。池田氏はその理由を全く説明できないばかりか、坂本さんが他にどんな事件を抱えていたかについても全く調査していない。
「それは検証してないね、私は」。ケロッと言い放つこの「学者」は、なぜ私にこのような指摘をされるのか、理解できないでいた。氏は組合員数人と話はしているが、「取材」を受けた人々は「あの人は最初から結論ありきで、それに反する事実は、いくら言っても聞く耳を持たなかった」と憤慨している。
池田氏の文章には、固有名詞や事実の誤認、経過を知っている者なら思いつきもしない憶測の類が山ほどある。一つだけ挙げる。〈逮捕された一人の労働者、金井四郎氏によると「バカヤロー」という大声をあげたものの、暴力はふるわなかったという〉とする記述。金井さんも他の組合員も「バカヤロー」などといっていない。問題のテープを聞くなり、坂本さんたちが作った反訳書を読めば明らかなのに。ちなみに、池田氏はオウムの青山吉伸弁護士の著書に「推薦の言葉」まで寄せている人物でもある。
私は池田氏の話を聞いた後、同行してもらった『週刊文春』の記者に、感想を聞いた。「ちょっと話せば、この人は単に思いこみだけで言っていることは分かりますよ。いったい『金曜日』の編集者は何を考えているんでしょうね」
私も全く同感だ。『文春』記者の取材に対し、『金曜日』編集部は「池田さんが坂本事件は権力による犯行だと、言っているとは信じられない」と回答した。それこそ、私には信じられない。聞くところによれば、この原稿は一年も前に、持ち込まれたものだという。いったいこの間、担当の編集者、デスク、編集長は何をやっていたのか。編集部の会議では、こんなデタラメな原稿を(しかも二回にわたって)掲載するのに反対する意見、慎重論はなかったのか。編集の仕事は見出し付けやレイアウトだけではないはずだ。編集部はそのいきさつをきっちり検証して、読者に明らかにしてもらいたい(「マルコポーロ』問題の時に、『金曜日」はそう主張していたはずである)

しかも、編集部には、この原稿の質の悪さを事前に知るチャンスがあった。元被告の藍さんが、池田氏が『金曜日』に原稿を持ち込んでいることを知り、事情説明のために編集部に赴いているのだ。担当者は不在だったが、「後で連絡させます」と、言われ、藍さんは名刺を残している。にもかかわらず、編集部は藍さんに電話一本しなかったのだ。
オウム真理教は、今回の「金曜日」記事を最大限に利用している。宣伝用に作っているオウムの新聞『契約の書』最新号には、『金曜日」の誌面が縮小してそのまま掲載され、その要旨が池田氏の写真とともにかなりのスペースを占めている。
『週刊文春』に私の批判記事が載るや、本多勝一編集長から私に本稿の要請があった。同じ土俵には乗りたくないし、短い反論を載せたことで、編集部にこれで問題解決」と思われてもたまらない。それでも今回要請に応じることにしたのは、『金曜日』の読者が必ずしも『文春』を読んだとは限らず、坂本事件についての間違った情報が広まるのを危慎するからだ。『金曜日』読者の方々には、デマや憶測に惑わされることなく、一日も早い事件解決のため、一層のご協力を頂きたいと、切にお願いしたい。
この文章を書いて、『金曜日』編集部に送る直前、オウム真理教に警察の強制捜査が入った。オウム側は相変わらず、公証人役場事務長の拉致事件は「デッチ上げ」であり「国家権力による宗教弾圧」だと主張している。しかし肝心の麻原教祖を初め、教団幹部は一般信者を置き去りにして、行方をくらましてしまった(三月二二日現在)。いくら叫ぼうとも、教団が拉致・監禁を常習的にやっていたということは事実である。今後の捜査によって、このことはより一層はっきりしてくるだろう。宗教施設であるはずの礼拝堂から劇物である薬品が出てきたことが、何よりもこの団体の性格を物語っているのではないか。
この捜索が終わった頃、『金曜日』編集部の
宮越壽夫副編集長から私と『文春』編集者宛にファックスが届いた。私が『文春』に書いた記事の中で紹介した『金曜日』編集部のコメントと、編集部記者の取材に応じた時に話した内容が「全くちがいます。御訂正下さい」という要求であった。本多編集長の申し出で、私は『金曜日』という雑誌を少し見直そうかと思っていたが、やはりやめることにした。宮越副編集長のコメントは、『文春』編集者がきっちり記録している。その一問一答を公表することもやぶさかではない。全部明らかにすれば、宮越副編集長のオロオロした態度や、シドロモドロの答え方も読者にもよく伝わるだろう。私がほとんど意識が朦腕とするほど忙しい日に(しかもそれが容易に想像できる立場でありながら)、わざわざこのような厚かましいクレームをつけてくるとは、いったいどういう神経の持ち主であろうか。そんなことをするより、素直に自分たちの判断の誤りを認め、読者に対してきちんと事情を明らかにし、詫びる方が先ではないか〉
その後、本多編集長は同誌四月二十八日号で、池田論文が掲載される経過を説明している。それによると、概ね次のような流れになっている。
一九九四年二月頃、池田氏から「学者としての客観的立場から書きたい」と原稿掲載の売り込みがあった。五月頃本多編集長が面談。十月に原稿が編集部に届き、その後翌年二月中頃まで内容や長さについてのやりとりをし、定例編集会議で掲載候補に加えられた。その際、坂本弁護士事件の周辺に権力介在の可能性があるといった大筋が説明されたが、特に疑問は出ないまま掲載予定に組み込まれた。掲載前に、国鉄・人活事件の藍和夫氏から掲載中止の要請があったが、同時に池田氏から藍氏の要請で、藍氏との会話部分を削除する」との連絡を受けていたために、担当編集者はすでに解決済みと誤解した。雑誌発行後、本多編集長は内容に疑問を抱き、池田論文中で批判されている江川に反論を依頼した。 このような原稿が掲載されてしまったことの原因を、本多編集長は次のように書く。〈定例編集会議では時間的制約もあって、投稿原稿の細かな内容について十分な論議をせず、大筋の説明だけで採否を決めたこと、原稿の段階で編集長が直接目を通していなかったことに最大の原因があります〉
きちんと反論を掲載し、自身でも検証をする。ここまでは、本多氏のジャーナリストとしての良心を見る気がしたのだが、この経過説明の最後の部分でガッカリしてしまった。彼は、謝りっぱなしではどうしても我慢がならなかったらしい。私の「反論」も《問題なしとしません》と言う。
〈担当副編集長を名指しで組上にのせた上、「意識が膝朧とするほど忙しい日に、わざわざこのような厚かましいクレームをつけてくるとは、いったいどういう神経の持ち主であろうか」とのことですが、担当副編集長の語ったことが曲げられている点は、解釈に程度の違いはあれ事実でしょう。依頼事項とは別次元のこんな抗議を、公表する「原稿」として加えるべきではないと思います〉
編集長が誤りと認めて反論掲載を頼んできたのに、同じ雑誌の副編集長は抗議をしてきたのである。編集部内の、言論の自由は結構だが、外部の者に対しまったく逆方向の反応をしてくるとは、いったいどういう編集部なのだろうか。内部で意思疎通がまったく取れていない、つまり池田原稿を掲載することを決めた当時と全く同じ状態だということではないのか。この事実を公表することが、なぜ「別次元」のことと批難されるのか。
それに、私は『週刊文春』の記事では担当編集者の名前も、副編集長の名前も出していない。私たちは、本来『週刊金曜日』に取材を申し込んだのであり、宮越氏は編集長の代理として取材に応じたのだから、本来だったら名前を出しても構わないはずだったのだが……。それなのに、宮越氏の方からわざわざアクションを起こしてきたのである。にもかかわらず、名前を出すことがなぜ「問題」とされなければならないのか、理解に苦しむ。
本多編集長は私たちには全く何の確認もなく〈担当副編集長の語ったことが曲げられている点は、解釈に程度の違いはあれ事実でしょう〉と書いた。その根拠は何か。私たちの手元には、仮に裁判になっても完壁に立証できる詳細な記録がある。


『週刊金曜日』第72号1995.4.28編集後記

▽三月三一日号(68号)のこのべージで、池田昭氏の論考(63号・64号)に対する反論を江川紹子氏にお願いしたことと、池田論文が掲載されるまでの経緯などについて明らかにすることを予告しました。以下はその結果です。

去年二月ころ池田氏から「オウムとは無関係だが学者としての客観的な立場から書きたい」と、原稿掲載の依頼があった。以後二回ほど電話があり、より詳しい話がしたいので編集長をまじえて会いたい旨の申し入れ。検討の末、五月ごろ本社で会ったが、初めて聞く内容ばかりで軽々に判断できないので、編集部としては「池田氏と対立する見解の人との対談」を提案、それがだめなら投稿(依頼原稿ではない)を見た上で検討することにした。 一〇月になって投稿原稿が編集部にとどき、二月中ごろまで内容や長さについてやりとりののち、定例編集会議で掲載候補に加えられた。坂本弁護士事件の周辺に権力介在の可能性がある、といった大筋のかんたんな説明があったが、特に疑問は出ないまま掲載予定にはいる。二月二四日「上」掲載、三月三日「下」掲載。その前に、坂本弁護士たちがかかわっていた「人活事件」の被告(当時)・藍和夫氏から掲載中止の要請があったが、同時に池田氏から「藍氏の要請で、藍氏との会話部分を削除する」との連絡をつけていたので、担当縮集部員はすでに解決ずみと判断していた。(つまり藍氏の全文ボツ要請を関係部分削除と誤解した。
他方、編集長(本多)は池田論文を雑誌発行直後に読んで内容への強い疑問を覚え、中で批判されている一人・江川紹子氏に反論を依頼。その三日ほど後にサリン事件が発生した。
経緯は以上ですが、池田論文の最大の欠点は、表題にうたった「坂本弁護士事件」とあまり関係がなく、権力犯罪とする根拠もきわめて薄弱な点です。
では、なぜそんな論考が掲載されたか。それは、定例編集会議では時間的制約もあって、投稿原稿の細かな内容について十分な論議をせず、大筋の説明だけで採否を決めたことと、原稿の段階で編集長が直接目を通していなかったことに最大の原因があります。現編集長は「発行者」を兼ねる仕事の上に取材・執筆などで時間がなく、すべての原稿を読むことは不可能な情況でした。
池田昭氏は、江川氏も指摘しているように「オウムの青山吉伸弁護士の著書に『推薦の言葉』まで寄せている人物」です。浅見定雄氏からその実物も見せてもらいましたが、これでは池田氏はオウムにきわめて近い存在と判断されます。これを事前に知っていれば特に注意したのですが、そんなことは知りませんでした。藍氏からの連絡も手ちがいや誤解で編集長にとどかぬうちに掲載にいたった次第です。
いずれにしても、このような根拠薄弱な池田論文が掲載されたことを編集長として深く反省し、この場をかりて読者におわぴいたします。これには原稿の点検体制に根本的原因があるので以後編集会議のやりかたを改めるとともに、新たに編集長代理をおいて、編集長または編集長代理のいすれかがすぺての主要原稿・問題原稿に目を通すなどの体制をととのえました。
しかしながら、江川氏の編集部批判原稿(68号)も問題なしとしません。担当副編集長を名指しで蛆上にのせた上「意識が朦朧とするほど忙しい日に、わざわざこのような厚かましいクルームをつけてくるとは、いったいどういう神経の持ち主であろうか」とのことですが、担当副編集長の語ったことが曲げられている点は、解釈に程度の遠いはあれ事実でしょう。依頼事項とは別次元のこんな抗議を、公表する『原稿」として加えるべきではないと思います。それでも一切の手を加えずに掲載したのは、削除をめぐって江川氏と「意識が謄魔とするほど忙しい日に」再ぴ「クレームをつけ」たくなかったのと、次の部分に注目したからです。
「率直に自分たちの判断の誤りを認め、読者に対してきちんと事情を明らかにし、詫びる方が先ではないか」
この言葉は、江川氏の代理として本誌編集部を取材した『週刊文春編集部にそっくりお返しします。文春の雑誌は『週刊文春』も合めて過去二十数年間に私の反論要求・訂正要求に対してどういう態度で応じましたか。「判断の誤り」どころか、明白な改頁や捏造に対して一度でも右のようなことをしたことがありますか。このようなゴロツキ雑誌(と断言します、法廷でも)と異なることを明示するためにも、江川論文には「一切の手を加えずに」一〇〇パーセント原文のまま掲載したのです。江川氏についてはかって拝読したものなどがら私は高く評価してきました。今後ともご協力をお願いしたいと存じますが、この点はクギをさしておきます。
なお江川論文には「同じ土俵には乗りたくない」ともありましたが、私は同じ土俵の同じ読者に対してこそやるべきだと考えます。江川氏に反論をお顧いしたのも、同じ本誌論考のためと考えた結果でした。(本多勝一)



時系列的整理

94.2ごろ
池田昭より週刊金曜日に原稿掲載の依頼
「以後二回ほど電話があり、より詳しい話がしたいので編集長をまじ えて会いたい旨の申し入れ」
94.5.13
週刊金曜日(26号)和多田編集長「降板」記事
94.5ごろ?
池田昭と金曜日編集部面談
「五月ごろ本社で会ったが、初めて聞く内容ばかりで軽々に判断できないので、編集部としては「池田氏と対立する見解の人との対談」を提案、それがだめなら投稿(依頼原稿ではない)を見た上で検討することにした」
(編集長と会ったかどうかこの文面からは不明。またこの時の編集長は本多氏なのか和多田氏なのかも不明)
94.6.27
松本サリン事件
94.7
上九一色村で異臭騒ぎ
94.7〜
TBS『スペースJ』がオウムとサリン疑惑を潜航調査
94.8
熊本県波野村,97年8月までに信者退去を条件に教団に9億2000万立ち退き料支払合意。
94.8
オウム雑誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』創刊。
94.9
宮崎資産家拉致事件。江川紹子ルポが週刊文春に掲載。
西岡昌紀のガス室記事が『マルコポーロ』編集部に届く
94.10
池田原稿が金曜日編集部に届く
「二月中ごろまで内容や長さについてやりとり」
94.10
週刊現代で下里正樹がサリン事件特集。河野さん冤罪説,軍関係者関与説
94.11.4
(坂本事件六周年)週刊金曜日(49号)『坂本弁護士一家拉致事件のいま』小島周一
94.12
小林よしのりがSPA!で坂本弁護士事件特集を2回書く
『ヴァジラヤーナ・サッチャ』6号でユダヤ特集,「ナチ『ガス室』はなかった」記事掲載。
95.1.1
読売新聞 山梨県上九一色村でサリン残留物発見のスクープ記事
95.1.4
オウム,上九一色村の会社経営者を殺人未遂で告訴
95.1中旬
週刊誌各誌,オウムとサリンを結びつける記事を発表(朝日,ポスト,現代,新潮)
95.1?
H to H and T.K. の怪文書「松本サリン事件に関する一考察」がマスコミ各社に出回る
95.1.17
阪神大震災
95.1.20
マルコポーロ2月号西岡昌紀ガス室記事
95.1下旬?
本多勝一が小林よしのりに金曜日に漫画の連載依頼
95.2中旬
上九一色村住民がオウムを逆告訴
95.2中旬
池田原稿が「内容や長さについてやりとり」の末,金曜日の定例編集会議で掲載候補に加えられる。
「坂本弁護士事件の周辺に権力介在の可能性がある、といった大筋のかんたんな説明があったが、特に疑問は出ないまま掲載予定にはいる」
藍和夫氏から掲載中止の要請。
「同時に池田氏から「藍氏の要請で、藍氏との会話部分を削除する」との連絡をつけていたので、担当編集部員はすでに解決ずみと判断していた。(つまり藍氏の全文ボツ要請を関係部分削除と誤解した)」
95.2.24
週刊金曜日(63号)「拉致された坂本弁護士の周辺に漂う権力介在の疑惑」上 池田昭
95.2.28
目黒公証役場假谷さん拉致事件
95.3.4
週刊金曜日(64号)「拉致された坂本弁護士の周辺に漂う権力介在の疑惑」下
95.3
週刊現代で下里正樹がオウムとサリン疑惑記事
95.3.8
宝島30で島田裕巳の第七サティアン訪問記事が出る
95.3.10ごろ
オウム,機関誌「真理インフォメーション」で金曜日の池田記事を引用,「権力によるオウム弾圧」キャンペーン記事
95.3.15
地下鉄霞ケ関駅で不審トランク(ボツリヌス菌散布未遂事件)
95.3.16
週刊文春で江川紹子記事「それでもオウムをかばう宗教学者たち」
95.3.16
週刊新潮で「4月にオウム強制捜査」記事
95.3.17?
本多勝一が江川紹子に池田論文の反論掲載を要請
95.3.17
週刊金曜日(66号)木村愛二「マルコポーロ疑惑の論争を!」
95.3.17?
オウム強制捜査が決定。警視庁と自衛隊の打ち合わせ?
95.3.17未明〜18
オウムの麻原彰晃,井上嘉浩らが車中謀議?。地下鉄サリンテロを決定
95.3.17〜19
いくつかの報道機関に「20日オウム強制捜査」情報。各紙取材班編成
95.3.20
地下鉄サリン事件
95.3.20
江川紹子,金曜日編集部に記事を渡す
95.3.21
新聞休刊日
95.3.22
オウム強制捜査
95.3.24
週刊金曜日(67号)編集後記で4月7日号より小林よしのりの連載開始を告げる
95.3.30
国松長官狙撃事件
95.3.31
週刊金曜日(68号)「地下鉄サリン事件の謎」下里正樹連載開始。
「サリンについての3章」(70号まで)佐伯真光インタビュー「逆ユートピアとしてのオウム真理教」江川紹子「誤認だらけの池田論文とそれを掲載した『週刊金曜日』を糾す]
編集後記で本多勝一が池田原稿掲載についての調査をすると告げる。
95.4.28
週刊金曜日(72号)編集後記で本多勝一編集長による池田原稿掲載問題釈明。
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