悲しいなと思う瞬間がある。自分が何も行わずに、何かをしている人を批判する瞬間だ。
彼らには、たぶんそれが醜い行為であることには気がついていないだろうし、それが正しい行為だと思っているんだろう、悲しい連中だ。 たぶん社会人ではなく、学生なんだと思う。逆に社会人だと驚きである。会社でも他人のやった成果を自分がなにもせずに評価する人なのだろう。
「俺だったらもっと××できるのに、なぜ課長は○○さんにあれをやらすのか」・・・よく飲み屋さんでサラリーマンが愚痴を言ってるのを耳にする。
横で聞いていて「じゃー、あなたはアクションを起こしたの?」と聞きたくなる。
結局、負け惜しみ・負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
もっと、前向きに考えない?
他人がしたことなんてどうでもいいじゃない?自分がそれを追い抜いたらいい。
悔しいと思うなら、やってみることだ
あなた方が言うように簡単な事なら、あなた方にもできるはずじゃないの?写真もきれいな写真を撮ってみてよ。
毎年100両以上が転属や色替え、改造などで変化の起こるこの103系という形式を、あなた方が言われるようなきれいな写真で追いかけてみて下さい。
それは、鉄道趣味界においても非常にプラスになることです。
でも、写真だけじゃ雑誌に連載できないよ
ただ、私が雑誌に掲載されたのは、写真があったからじゃありませんよ。私は103系の写真は付番された番号を基準にして3600余両のほぼ99%を撮影しています。
でも、その写真があるだけでは、雑誌には載せてくれないのですよ。プラスαがないとダメですよ。
そのプラスαってのは、努力の度合いによって変わってくるものです。比較的容易に皆が知り得る情報を元にしていたら、プラスαの敷居も高いですが、自分が一生懸命調査した内容・・これは他人が知り得ない情報である・・であれば、プラスαの敷居も低いと見ていい。
たとえば、内部資料を用いた原稿は、スポットのコラム程度なら採用してくれるが連載にはしてもらえないのが、そういう理由ではないだろうか?
価値観は個人の数だけあるよ
昔、国鉄時代ですが、金で情報が買えた頃ってのがありました。特種なルートでしたが・・・
それを聞いて、なんだかすごく「悲しい」と思ったのも事実でしたし、自分でたとえば情報を仕入れてきて、それを元に撮影に出ていた59−2の諸改造の回送は、来るのがわかっているだけに「やりがい」を感じなかった覚えがあります。
単に、その時間にそこに行けば情報通りのものがくる・・・
ちっともおもしろくない。何故か?努力が無いからである。これは私の価値観ですが(^^;;
私は、空振りを繰り返して得たものに対しては、とても愛着があるものなんですね。このあたりは、空振りをしない形で趣味活動を行っているものには感じ得ないものとは思いますが。
それはそれで本人が満足しているんですから、他人がとやかく言うこともありませんし、単に自分はしたくないというだけで、この方法はとても効率の良い方法として認めてはおりますが・・・
趣味活動ってのは、本来、、個人が満足すればいいものですよね。仕事じゃないですから。
だから、個人の数だけ趣味活動の形があると言っても過言ではないですよ。問題は、それだけの趣味活動の形があると言うことをきっちりとわかっているかどうか?でしょうか・・・
自分の価値観と照らし合わせて「違う」と思うのは自由ですが、自分の価値観が絶対で他の価値観を認めれないと思う人は、趣味界のみならず社会に出ても認めてもらうって事は不可能でしょうね・・
人の価値観を批判する前に自分の価値観で形を残せるように努力すればいい!
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