2009-06-10
■[ゴシップ]TV局なんぞ所詮は泥くさいうさんくさい商売だからねえ、とはいえ・・・。
6日付の記事ですが、自分は地上波を余り観ないのでこんなアナウンサーさんがいたことさえよく知らなかった。
フジ島田彩夏アナ「クマさん」と結婚 スポニチ 2009年06月06日
フジテレビの昼のニュース「FNNスピーク」でキャスターを務める島田彩夏アナウンサー(35)が結婚する。相手は車&バイクのフリーマガジン「ahead」を出版する出版社社長の××××××××氏(44)で7月下旬に挙式予定。07年夏に食事会で知り合い、今年5月12日の島田アナの誕生日にプロポーズされた。島田アナは「やさしくおだやかなクマのような男性。私の人生には欠かすことのできない“酒と食と犬”を全面的に受け入れてくれた懐の深い人」とコメント。仕事は今後も続ける。
※引用注:一部を伏字にしました。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/06/06/07.html
・・・2ちゃんねらー的に「高給の女子アナが・・・」「ぶつぶつ・・・」だの書くことも可能だが、前にも書いたが自分は地上波キー局の正社員アナ≒局専属タレントだと考えているので(2009-03-05■[ジャーナリズム・地獄の季節]「局アナ」も所詮はTV局の労務政策あっての存在だった件id:HALTAN:20090305:p1)、「高給」それ自体にはハラは立たない→局の正社員アナもそんなに簡単になれる仕事では決してない。・・・ここは往年の映画会社がニューフェイスやスターさんを契約で丸抱えしていた慣習を思い起こすと理解しやすいと思う。実質的にはタレントさんということは「売れなく」≒(TVにおいては)視聴率が獲れなく なってきた場合の処遇が問題になってくるわけで、局アナさんもいつの間にか局内の配転や管理職への昇進や地味な番組へのシフトの移動などで余り表に出てこなくなる人もいれば、リスクはあるがフリーになってステップアップを試みたりあるいはセレブ婚でギョーカイの第一線を去ったり、自らの行く末は自らで決めなくてはならない。
・・・この島田とかいう人も自らの身の処し方をこうして決めた、ということなんだろう。TV局なんざ「高給」といっても実際には狭い局内で人間関係も現場の作業も泥くさい場所だろうし、「出会い」も外野が想像するほど実はそんなにはないのではないか? だからマス読系ギョーカイの人は「食事会」(→まあ合コンだろうなw)とか好きなんじゃないかと思う。
・・・まあTV局なんぞ所詮は泥くさいうさんくさい商売だからねえ・・・という話とはいえ・・・。問題はこの××さんが少し検索しただけで色々と出てくる方ということで・・・。まず某wikipediaより。
××××・××××は日本の実業家。株式会社×××××代表取締役社長。
略歴
1965年、米国サンフランシスコ生まれ、英国、日本で育つ。祖父は株の一目均衡表を考案した新聞記者の細田悟一。
1988年、慶應義塾大学経済学部卒業後、同年日本興業銀行に入行(三木谷浩史と同期)。1996年、留学先のコーネル大学で経営学修士号(MBA)を取得。1997年、日本興業銀行を退職。1998年3月、×××××出版を設立。
・・・検索した範囲内の情報を繋ぎ合わせた限りでは、この××氏の一家は上記の「祖父」のお陰なのか資産家で、××さん自身はお金には不自由していないらしい。・・・問題は、この××氏の経営する「出版社」なるものの実体がどうなのかという点で・・・。
(1)この「×××××」なる会社の名前で検索すると公式サイトが出てくるが、「HOME」「About us(会社概要)」「Location(現住所・所在地の地図)」の3つしかページが無い! ついでに「ahead」で検索すると一応はサイトが出てくるものの、この事業の実体はどうなのか? 昨今の広告業界全般は、新規媒体開発+多媒体展開→参入過剰と恐慌でズタズタらしいし(元々が「広告」なんか本当はそんなに儲かるものじゃないんでしょうね)、近年、持て囃されてきたフリペもwebも個々の事業者で見るとひどいものらしい。以下は3月と6月の記事。
→「フリーペーパー」不況で悲鳴 広告収入初の前年割れ 2009/3/ 5 J-CAST http://www.j-cast.com/2009/03/05037137.html
→バラエティ・ジャパン閉鎖!広告激減わずか1年半で… 映画ファン注目のサイト ZAKZAK 2009/06/01 http://www.zakzak.co.jp/gei/200906/g2009060112_all.html
・・・こうして見てくるとこの××さんの事業の実体というのも・・・。
(2)この××氏にはブログもある・・・チラ見した限りでは、この××氏と自動車ギョーカイ人の「社交」の日記が大半で、やはりこの人の経営する会社と「ahead」の事業の実体が見えない。
20年前、ぼくは銀行員でした。当時はバブル真っ盛り。ところが、すぐに崩壊し、職場は暗い会話ばかりになりました。そんなときでもクルマやバイクの話になると、笑顔になる人たちが多かった。好きなことを語るとき、人ってこんなに素敵なんだなと思いました。
10年経って、独立。小さな出版社「×××××」を始めました。一歩踏み出そうよ、と読者に呼びかけ続ける出版社が日本に一社くらいあってもいいではないか、との思いでスタートしたのです。少し経って、ahead(アヘッド)という雑誌を創刊。これは「一歩踏み出すためのカー&モーターサイクルマガジン」で、「GO AHEAD!!」とエールを送る気持ちで毎月制作しています。ブログでは、そんな出版社社長兼編集長である僕の日々の奮闘ぶりを書いていきます。
※××氏のブログのプロフィールより引用。
・・・ただ××さん御自身が今の事業の限界をよく分かっておられるようにも見えて、そこが何とも・・・。
株主は資金面で応援して下さっている方々なので、喜んでもらいたいと思うし、会社が何をやってきたのか、今後どうしていきたいのかを理解してもらいたいという気持ちで臨みます。
しかし皆さん、結果にシビア。本当に厳しい話しもたくさんいただきます。
「経営者としてまだまだですな」「基本がなってない」
でもこの緊張感、悔しさ、反省が、僕のような楽観的なオトコには必要。有難く受けとめています。
2009年03月31日 株主総会
※××氏のブログより引用。
(3)実はweb上にはこの××氏のインタビューが幾つか残っているのですが、この種のギョーカイの方にはよくあることですが、大変に申し訳ありませんが斜め読みした限りでは「じゃあ具体的にそれは何なのですか?」という部分がよく分からないんです。検索して見つけたものから少し引いてみます。
97年の末に私は興銀をやめました。きっかけは94年から96年にアメリカへ留学させていただいた時の、仲間内の会話にありました。「お前はどうして銀行員をやっているのか?」「夢は何だ?」とかいう質問に全く答えられなかったのです。88年に興銀に入行しましたが、入れれば幸せになるだろうくらいにしか考えていませんでしたから。ちょうどその頃、祖父(一目山人:当時、株の神様とも言われた人)の書いた「一目均衡表」に出会い、その中にある考え方の基本的な哲学に惹かれ、その現代版を書いてみたいと思うようになっていました。つまり作家になろうと!
早速、人事部長に思いを明かし退社したいと言ったら、「君も疲れてるね、少し休暇をとりなさい」で相手にされませんでした。当時、人事制度改革専担で上司の支店長などに給与が下がる説明に明け暮れ、「お前に言われる筋合いではない」などのやり取りでまいっていたことは事実です。そんなこんなで3ヵ月後に辞めました。
さて、祖父の本の現代版の企画書をつくり、出版社を20社ほど廻りましたが全く取り上げられません。大分悩みました。そこで気付いたのが自分で出版社をつくることでした。それが「×××××出版」です。
FMGネット caseインデックス 21世紀、草創期のWebマーケティング事例集 2000.11.21東京第5回 事例報告−1 "Early Adopter Marketing"、「ジャミンシティ」
http://www.venus.dti.ne.jp/~gbmp5zu7/case/case009.html
・・・プロが商業出版として乗ってこないのだから、所詮はその程度の企画だったのでしょう。その程度の客観性さえ持ち合わせておられない方が興銀に約9年もいて留学までさせてもらってMBAまで獲っていた! ・・・という事実自体に拙なんぞは背筋が凍ります。上の記述に従うと、興銀退社→出版社回り→相手にされず→自ら出版社を立ち上げ・・・という時系列のようですが、当時の興銀で××氏の周囲にいた人たちは、この程度の「人材」を社外に放り出せてさぞホッとしたことでしょうね。
最初300万円の有限会社で始めましたが、資金はすぐ足りなくなります。そこで考えたのが「ブックファンド」でした。1口500万円で投資家を募り4000万円集め4冊出版しました。収益の一部を投資家にお返しする匿名組合ですが、実はこのことが一躍話題を呼びました。日本はおろか世界的でも出版業界のファンドは初めてだったそうです。98年当時は出版業界も金融締め付けに悩んでいたこともあり、特に中小出版社の方々100社くらいからどっと問い合わせが来ました。それがきっかけで私ども、単に出版社をやるのではなく「出版社をお手伝いする会社」になろうというコンセプトが生まれました。もともと銀行とか証券会社のあまりクリエイティブなほうではない集団ですから、むしろ出版社やその周りにいるクリエイティブな方々のお手伝い役をして行く方向が見えてきたわけです。
この手のファンドが成功した話は全く聞かないし、今の「×××××」のサイトでもとくに何も触れていない。具体的には何にもならなかったのではないか? ・・・この後も「で、だから何なの?」という話がダラダラと続くのだが、この何気ない一節には笑ってしまった。
×××××・モデルの2つ目のヒントは「沖縄アクターズスクール」との出会いです。恩師の島田晴雄先生の縁で沖縄へ出かけ、校長のマキノ正幸氏と12〜3歳の少女たちに会いました。
島田晴雄www
(4)2ちゃんの過去ログには散々な風説もある。真偽不明だが抜粋。
36 名前: だめ@どっと混む 投稿日: 2001/07/20(金) 16:00
35がほとんど正しい
結局ミニコミ束ねても流通的に売れるはずないんだよ。
ヒーリング屋の本棚見るとここの雑誌ばっかりだけど
大風呂敷ももう通用しないね
出版ファンドはどうした?
53 名前: 名無しさん@どっと混む 投稿日: 2001/07/23(月) 15:05
ブランド構築するベンチャーって聞いたんだけど、
どうなんだろう。ホームページ読んだら、要は代理店
でしょ、って感じたんだけどね。出版物は見たことないけど。
オフィスを素敵にして、雰囲気で売ろうとしてるかなぁ。
けど、結局弱小代理店は苦労するよね・・・
55 名前: 名無しさん@どっと混む 投稿日: 2001/07/23(月) 16:52
>53
ブランド構築といってるけど、オンリーワンがどうのうこうのって、何が言いたいのか分からない。この掲示板みてるかぎりでは仕事をしたくないけど。
「×××××ってどうよ?」
http://yasai.2ch.net/venture/kako/994/994943902.html
・・・上記以外の部分ではもっとやばいことも書いてありますが、重ね重ね真偽は分かりません。
・・・初めに戻って、まあ元々がTV局自体があぶくのような商売なんだろうし、そこの専属タレントさんが誰と結婚されようが個人の自由だとは思うんですが・・・。それとお金を持っている方がどんな事業をなさろうがこれも自由です。
・・・ただ検索した限りでは余りにもこの××氏の会社に肝心の事業の実体が「何も無い」ので本当に驚いてしまった。・・・以下は上の××さんと直接の関係はない独り言ですが、実際には景気がいい時代やバブル期の方が「実業」できちんと伸びてくる方が沢山おられるのではないかと思う。そういう時代に経済事件が目立つのは世間を動くお金が大きいがゆえにそう見えるだけで、いわゆる「バブル紳士」然とした人間は実際は不況期の方が多いのかもしれない。
・・・こういうニュースにも「日本の1991年以降の失われた××年とは、いったいなんだったのか?」と暗いものを感じてしまったのでした。
- 23 http://search.yahoo.co.jp/search?p=西部警察+つまんない&rs=8&search_x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=0&oq=つまん&fr=top_ga1_sa&yuragi=off
- 14 http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/
- 12 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZEZ_jaJP325JP325&q=最近は邦高洋低傾向+DVDや放送収入も
- 11 http://b.hatena.ne.jp/Baatarism/
- 10 http://c.2ch.net/test/-/movie/1234682745/38-
- 10 http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/
- 8 http://d.hatena.ne.jp/econ2009/20090609/1244528319
- 8 http://d.hatena.ne.jp/keyword/中島岳志
- 8 http://reader.livedoor.com/reader/
- 7 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090208/p2