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がんを生きる:鳥越俊太郎の挑戦/5止 命のリレー、連綿と

 ◇初孫にきずな、より強く

 「孫? 興味ない」。そんな強がりを言ったこともあったのに、生まれたと聞いたら、どうにもじっとしていられない。

 鳥越俊太郎さん(69)は3月22日朝、次女さやかさん(37)が入院する東京都内の産院に駆け込んだ。「授乳中」と入室を断られ、むっとする気持ちを抑えつつ、待った。

 やっと部屋に入ると、前日産声を上げたばかりの男の子が母親の胸で眠っていた。後日「りう」と名付けられる初孫をそっと持ち上げると、手にぬくもりが伝わってきた。「どうやって抱くんだっけ」。自分のぎこちなさすら愉快だった。

 がんになると、自分につながる多くの物事が変わっていく。ただ、それは悪いことばかりとは限らない。

 鳥越さんが05年10月に直腸がんの手術を受けた時、さやかさんは「自分が変わらなければ」と思った。少し前まで、自分の進路や価値観を巡って「パパの言うことはおかしい」と反発し、口もききたくないと思っていた。携帯電話に「この1週間ほど下血して」とメールが送られてきても、それほど深刻には考えなかった。

 一緒の時間は、そう長くはないかもしれないと思った時、さやかさんは一つ決めごとをした。「『ありがとう』や『ごめんなさい』は、先延ばししない。言える時に言っておこう」と。

 父も、自問していた。歌手であり女優である娘の悩みや焦りを理解しようとしてきたのか。入院の前日、鳥越さんはさやかさんに言った。「自分には覚悟、人には優しさだよ」。娘と自分に言い聞かせた。

 福岡県朝倉市のホテル。68歳の誕生日の08年3月13日、鳥越さんに「サプライズ」が待っていた。地元放送局の旅番組の収録で、一緒に出演したさやかさんがギターを手に歌い始めた。

 <どこか遠くへ消えてしまいそうで涙が溢(あふ)れた/だけど、どんな人より大切だと初めて気付いた>

 父にがんが見つかったときの気持ちを歌った曲だった。ギターを教わっていたミュージシャンの廣嶋(ひろしま)茂樹さん(29)と作った、と娘は言った。そしてこの時、鳥越さんは、廣嶋さんが後に生まれるりう君のパパになるとは、思いもしなかった。

 鳥越さんは、孫は女の子がいいと思っていた。男の子とわかると娘に言った。「男は教育が難しいぞ。特に思春期は」。そう憎まれ口をきいて、ふと思い出した。「おれも親にどれだけ迷惑をかけたことか」

 散る桜が川面を薄桃色に染めている。09年3月末、東京の目黒川。4回のがんの手術を経て見る花は、記憶の中のどの花とも違った。「なにげない景色や日常の出来事がいとおしいのは、人生の限りを意識するからか」

 次の世代にバトンをつなぎながら、連綿と続いていく命。力を入れたら折れてしまいそうな孫の手を握るたび、鳥越さんはその不思議さを思う。【前谷宏】=おわり

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毎日新聞 2009年6月25日 東京朝刊

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