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太平洋戦争末期、沖縄で繰り広げられた地上戦は、「鉄の暴風」と形容されるほどの凄惨(せいさん)を極めた。
その体験から、戦争の愚かさ、命の大切さを学ぼうと沖縄を訪れた修学旅行生は、07年の統計で43万人を超す。なかでも東京都世田谷区の和光小は、22年前から毎年訪れている草分けだ。
「壕(ごう)の中は血や尿のにおいが充満し……」。ガマと呼ばれる洞穴の体験を語る元ひめゆり学徒隊の宮良ルリさん(82)の話に、昨年訪れた児童は「耳をふさぎたくなりました」と記した。
米軍が最初に上陸した慶良間諸島では、宮里哲夫さん(74)の目撃談を聞いた。小学校の校長先生が妻の首をカミソリで切り、自らも命を絶った。「集団自決」である。
児童らは「戦争は人が人でなくなるという意味がわかりました」などと、大変な衝撃を受ける。それは毎年の卒業生の心に、おそらくその後の人生にも消えない深い印象を刻む。そう行田稔彦校長(61)は話す。
だが、戦争体験者の話をじかに聞ける歳月はもう残り少ない。戦争の記憶がある年齢を5歳とし、平均寿命を考えると18年には証言者がいなくなると心配する声もある。確実にやってくるその日をにらみ、記憶をひき継ぐいくつもの試みが始まっている。
沖縄で修学旅行をガイドする「沖縄平和ネットワーク」は、かつての戦場を背景に、体験者の証言を映像と音声で残す取り組みを進める。
20周年を迎えた「ひめゆり平和祈念資料館」も証言員が開館時の28人から17人に減った。元学徒の一人ひとりが戦場跡で、戦後世代の説明員らに証言するところを映像に記録している。
動画と音による記録には、言葉と言葉の間の沈黙など、活字では伝えきれない雰囲気や感情が刻まれる。
戦争体験を肉声でビデオに記録する試みは県平和祈念資料館が一足早く着手した。提唱したのはジャーナリストの森口豁(かつ)さん(71)だ。戦死者名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」になぞらえて「声の礎」運動という。これまでに580人分の証言映像を公開している。さらに広げてほしい取り組みだ。
一昨日の「慰霊の日」をはさんで今週、沖縄は64年前のあのすさまじい日々と失った肉親たちを改めて思う。
県民の4人に1人が犠牲になった末に沖縄は占領され、いまも米軍基地が広がる。基地の縮小は遅々として進まない。各地で遺骨収集が続くが、4千人余りの遺骨が未発見のままだ。地中には不発弾も多数残り、処理を終えるまで70年はかかるとされる。
戦争とは何か。今も世界各地にある戦争や紛争とどう向き合うべきなのか。沖縄戦の記憶を共有し、それを学ぶことは、国のゆくえを見定めるうえでも欠かせない。
日本郵政の西川善文社長が、「かんぽの宿」売却問題をめぐる業務改善報告書を佐藤総務相に提出した。
鳩山前総務相の辞任などで麻生政権を揺るがす事態にまで発展した西川社長の進退問題は形の上では一段落したことになるが、続投する西川社長が担う責任はきわめて重い。
最大の問題は、日本郵政の経営をめぐるこの間の経緯について国民の納得が十分に得られず、それを得るための努力もきわめて不十分なままであるということだ。
「かんぽの宿」は総務省の調査でも違法な点は見つからなかった。「かんぽの宿」が年々、大きな損失を出し続けている事実も無視しがたい。
とはいえ、国民の財産の処分のあり方をめぐる疑問に誠実に応えてきたとは言えない。
障害者団体向け郵便料金割引を悪用した事件や簡易生命保険の不払いは、民営化以前に始まっていたといって済むものではないだろう。
麻生首相が続投を決めた背景には、自民党内の郵政民営化推進派への配慮に加えて、後任を見つけることの難しさもあるのだろう。官僚OBでは民営化の担い手として無理があり、国民の支持も得られない。
郵政の民営化開始から1年半余り。日本郵政には国民の理解を得ながら、あるべき民営化の実を上げることが求められている。そのためにも、経営はできるだけ透明であるべきだ。
再出発する西川氏にとって大事なことは、形式的な「けじめ」ではない。経営の説明責任を果たすとともに、問題点を洗いざらいえぐり出し、改めるべきは改めることだ。
業務改善報告には、企業統治を強化するため経営諮問会議の新設が盛り込まれた。外部からの起用で新たに選ぶ会長が議長として西川氏に対しにらみを利かせる仕組みだ。
総務省の改善命令は「議事録がない」「報告を怠った」など手続きの落ち度を突くものが目立つ。諮問会議はこれをもとに西川氏への権限集中を是正し、古い経営スタイルからの脱皮を促さなければならない。
西川氏は、出身母体である三井住友銀行グループから連れてきた側近4人の更迭も受け入れた。これは当然のことである。
「チーム西川」と呼ばれた側近たちは、西川氏が銀行流の経営を日本郵政に持ち込むうえで有効だった。お役所体質の会社に銀行管理団が乗り込んだようなものだ。勢い、生え抜きの役員や社員たちとの間に壁を作る弊害も生んだ。「チームの独走」と批判される事態も招いた。
西川氏は慣れ親しんだ側近頼みのスタイルを捨て、20万を超える社員が汗を流す現場に降りなければならない。