小沢一郎は「アヌスにフ着したウンコ」でございます。
本人をテレビなどで見る都度に、なんと汚らしいことよ、
と顔をそむけておりました。
ようやくこのたび「除去」されることとなりました。
日本の政治にとっては、たいへんよろしいことでございます。
整理整頓が不得意な子供たちを導くとき「大便をしたらお尻の穴は
キレイに拭きますよね。どうせまた使って汚なくなるんだから、
とそのまま拭かずに汚いままにしておく人はいませんね。
それと同じく使ったものはお室でも道具でも、その都度キレイに
整理整頓してあとかたずけをすることは当然のことなのですよ」
とさとしますと幼稚園児でもよく理解できて、効果的でございます。
政治の世界、も同じことでございます。誰れがトップに立って権力
を握ってもどうせ汚れるから、ではなく、一度キッチリとキレイに
責任を取るべきことは取った上で出直すべきなのでございます。
幼稚園児でも分かる理屈を、きたるべき政権与党の「党首」「首相」
たらんとしていた「人物」が理解しえなかったことは誠に残念、
でございます。
すべての「決断」が「遅すぎ」でございました。
ここまできたなら、これから先は黒幕で居すわろう、などと考えるべき
ではありません。
「師」田中角栄の末路を検証すれば、いさぎよく政界から「引退」し、
岩手山の麓で「農業従事者」としてその晩年をまっとうされる道を
歩まれることこそ身の為でございます。
本来どっからどう見てもそのご面相は政治家に不向きな「百姓」
そのものの人相なのでございますから。
「運命の限界」を知らずに小沢一郎がこれ以上の悪あがきをするならば
必ずや「天罰」が下るでありましょう。
「弱かったからではなく、変わることができなかったから敗者となったのだ」
の「人生の箴言」を噛みしめるべきでございます。
芸能界で「変わること」で「大成功」を手にした人物がいます。
いまをときめく人気絶頂のタレント「はるな愛」で当てて意気軒高
の、アノ野田義治社長でございます。
どのテレビのチャンネルをひねっても「はるな愛」にお目にかからない日が
ない位い、只今彼女は芸能界で引っぱりダコの「大人気者」でございます。
その彼女の所属する事務所の社長であり「仕掛け人」が、
ご存知野田社長でございます。
野田社長と云えば「巨乳ばか一代」と称される程芸能界きっての
「巨乳フェチ」でございました。が、その野田社長が大変身をとげた
のでございます。
電話をかけてきた知人に対して野田社長「巨乳!?バカ云ってんじゃないよ、
時代じゃないだろう、これからの時代は、男の女、ニューハーフ、オカマ
の時代だよ!!」と吠えられたそうでございます。
寝ても明けても「巨乳、巨乳」と憑かれたように「巨乳」を追い捜し求めて
全国を飛び廻っていた、ついこの間までの野田社長の姿をよく知る知人は、
野田社長のあまりの変わり身の早い「タンカ」に心底驚いたそうで
ございます。
「巨乳バカ一代」と映画までになった野田社長の「オカマ狂い」
と変身した姿に「勝者とは、変わることのできた人間のことである」
の先哲の言葉を想うのでございます。
私と野田社長の出会いは20数年前、手塩にかけて育てた「堀江しのぶ」
というタレントを、これからという矢先にガンで亡くす、
という「悲運」にみまわれた彼のどん底であった時期でした。
彼女を本当に愛していたのでしょう。
いつも強気で決して弱根を吐かない男が、流す涙を見ました。
その頃はまだ女優やタレントのプロモーションビデオという分野は
「未開拓」の時代でございました。
彼と組んでAVとは対局にある「ヤらない、脱がない、見せない」
全く未知の映像ビジネスの世界に挑戦しました。
秋本奈緒美、飯島直子、かとうれいこ、細川ふみえ、川島なお美、蓮舫、羽田美智子、
柏原芳恵、武田久美子、石野真子、酒井法子、宮沢りえ、高橋由美子、西田ひかる、
三原順子、高樹澪、杉本彩、横須賀昌美、向井亜紀、斉藤慶子、可愛かずみ、本田美奈子、
と多くの当時の人気「女優、タレント」の作品を手がけ世に出しました。
約百作品ほどが発売されましたが、こうした作品を制作するにあたって
大変なのは「金がかかりすぎる」ことと「売れる女優やタレント」
をキャスティングすることでした。
人気「女優、タレント」という以上、撮影場所が「南伊豆や河口湖」
というわけにはまいりません。すべて海外で、ということになります。
スタッフは少なく見つもっても撮影クルータレントを入れて10人以上
の編成が必要となります。
そしてオーストラリア、ハワイ、米国本土、メキシコ、ヨーロッパ
の超一流リゾート五ッ星ホテルでの撮影を敢行するのですから、
いくら金があっても足らない制作の日々であります。
AVで得た利益を全部ブチ込んで踏んばりました。そうした「投資」も
「作品」が売れれば問題なく「回収」できるのでありますが、「売れる作品」
に「出演」できる「女優、タレント」の選別が実に難しいのでした。
なにせ先例がないのであります。プロモーションビデオなるものは、
私達がはじめて手がけている世界のもの、あの女優が出演して発売した作品
が何万本売れた、という目安となる実績が全くない手さぐり状態での
キャスティングとなったのでございます。
一作品に何千万円かけるバクチのようなビジネスを4年近く続けました。
当時の金で30億位いの金を「費した」と思います。勿論それらの作品からは
ヒット作品が生まれ、多くのスターも誕生しました。
今でこそ「スター」でございます、と大きな顔をしておりますが、
あのプロモーションビデオに出演することができなかったら、
今日の栄光はなかったであろうと思われる女優やタレントは
少なくありません。
それはすべて野田社長の「功績」でした。彼が発掘し、スポットライトを
あてたことによって「人気者」が誕生しえたのです。また彼のそうした
「人材発掘」の「慧眼」は見事なものでした。
彼がプロデュースしたプロモーションビデオに出演したという「実績」
だけで深夜番組のMCやCM、映画やテレビドラマ出演に抜擢される幸運を
つかむケースが多くありました。
彼がプロデュースするプロモーションビデオは芸能界の「登龍門」的位置ずけ
をされるに至りました。彼こそが日本の芸能ジャンルに「プロモーションビデオ」
なるものを確立した、元祖といってもいい存在であります。
が好事魔多し、衛星事業の投資の失敗で私の会社が倒産し、
彼にも少なからずの不債を負わせるという迷惑をかけ事態を招いて、
二人のパートナーシップは終わりを迎えました。
倒産して五年くらい経た頃だったと思います。雨の日の夜でした。
朝から金策に飛び歩き、精も根も尽き果て車のシートを倒し横になっていました。
車のラジオから聞き馴れた野田社長の声が聞こえてきました。
トークのゲストとしてラジオ番組に出演しているのでした。
話しの内容がこれまでの野田社長の人生の過去のお話、ナベプロ時代から
いしだあゆみ、朝丘雪路のマネージャー、付き人時代と盛り上がっていました。
唐突に・・・・聞こえました。
「僕が今日あるのは村西監督のおかげです」
野田社長の声でした。
全身に電気が走りました。
「なんということを・・・」
巨乳バカ一代、ともてはやされて所属タレント以上に脚光を浴びて人気者となり
飛ぶ鳥落とす勢いの男が、倒産以来無責任に行方知らずとなっている
男の名を上げて「私の恩人です」と云ったのです。
泣けました。
かまわず泣きました。
車の窓に流れる雨より、何倍もの涙が流れました。
あの頃は一日に100回、いっそ死のうかと思いつめた日を送っていました。
あのとき、再起する力、をもらったことを覚えています。
それから、偶然でしたがテレビに出演したとき、雑誌のインタビューでのとき、
私の名前を出して野田社長が「恩人」というのを聞き、読みました。
私と野田社長の関係は「恩人」というなら、私にとっての野田社長こそ
「恩人」というのが私の正直な思いです。まったく未知であった「芸能界」
というジャンルに導いてくれた「師匠」でした。
もう10何年も野田社長と会う機会はありません。
時々テレビでその「雄姿」を見かけます。変わることない直情で短気で
無類のおしとよしぶりが、いくら悪ぶっていても画面からはバレバレで、
とてもほほえましく思いなごませてもらっています。
持ち前の勝ち気な性格からの「武雄伝」のエピソードも耳にします。
自分の事務所の所属タレントの悪口を書いたりした雑誌には「殴り込み」
をかけているようです。
私どもエロティズムを生業とする業界には、
音事協上等、バーニング、ジャニーズなにするものぞ、
という向こうみずの出版社が少なくありません。
訴えられて裁判になるなら、宣伝費として考えて損はない、
といった経営哲学の持主たちでございます。
そうした「裁判は宣伝」と考える出版社と勝負しようとするなら、
編集部に直接出向いていって対決するしか方法がございません。
自分のタレントが可愛いい守りたいと思うなら、直談判をして二弾三弾の
スキャンダルが出ることを阻止する、これが唯一の方法でございます。
ところが普段はタレントの為に命を賭ける、などと調子のいいことをホざいても
実際には自分が傷つくことを怖れて電話口で喚いているのが関の山、
といった口先だけの意気地無し芸能プロがほとんどでございます。
ところが野田社長は編集部に果敢に猪突猛進するのでございます。
日本でただ一人の「殴りこみ社長」でございます。
しかし殴り込みをかけた出版社とその後嫌悪となったというケース
は聞いたことがありません。彼の表裏のない人間性が編集者に「好感」
を持たれることとなり、「和解」となってその後は逆に親密な関係を築くこと
になるのでございます。
「野田社長が云うなら仕方がない」野田社長はエロ本業界において、極めて
厚い人望を獲得しているのでございます。
八代英太が車イス姿で参議院選挙に初当選したとき、参議院本会場で演説しました。
「健全な社会とは、私のような障害者が全く存在しない社会をいうのではありません。
私のような障害者が、健常者の皆さんと分けへだてることなく安全に幸福に
生きれる社会、を健全な社会というのであります。」
胸に突き刺る感動的な演説でした。
もし私達障害者の存在の意義が問題であるならば、あなたたち自分自身が、そして
人類全体の存在意義が問われなければならない、と語りかけたのです。
「はるな愛」は性同一性障害を見事乗り越えて、芸能界という花園で大輪の花を
咲かせております。人柄もよく、頭もいい、芸も達者である、そんなたぐいまれなき
才能の持主が、好漢野田社長との二人三脚で、かつて芸能界史上、
誰れもがなしえなかった「金字塔」の領域に到達されることを、期待します。
「はるな愛」のような存在が、お茶の間のテレビにヒンパンに出演し、
まっとうなスターとして活躍でき人気者となれる国は、世界のどこを見ても
日本以外に考えられないことでございます。
それは、これまでさまざまな「差別」に苦しんで生きてきた人達への
大いなる励みであり、人間に対するやさしいまなざしを人々が持つ
「日本」という国の「象徴」といえる現象、と思えるのでございます。
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