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評論家でマンガ原作者の竹熊健太郎氏が、先日ぼくの会社の近くに引っ越してきた。歩いて3分ほどの、ほんの目と鼻の距離だ。 もともと竹熊氏は三鷹市、ぼくは吉祥寺とご近所だった。午後の吉祥寺パルコブックセンターでは、必ずぼくか竹熊さん(又はその両方)がタムロしていた。会えば必ず「じゃ、少しだけお茶でも」ということになり、そのまま2時間でも3時間でも話す仲である。 そんな竹熊氏の転機と言えばやはり「チャイルドプラネット」と「エヴァ」だ。チャイプラは竹熊氏を経済的に裕福にした。だけど、通常のマンガ原作という枠を超えようという竹熊氏のコンセプトは、相手のマンガ家や担当編集者にすら拒否され続けた。 この時期、たしかに竹熊氏は落ち込んでいた。 96年の春、ぼくは新宿ロフトプラスワンで「基礎からのオタク」というイベントを主宰した。時折しもTV版エヴァの終了直後、満場のオタクたちは「エヴァを語り倒したい!」という熱気に満ちあふれていた。エヴァ体験のなかった竹熊氏は会場の熱気に辟易し、見てもいないエヴァに対して好印象は抱かなかったようだった。 「ぼくたちみたいな人間はもう、何事に関しても本当の関係を結べない。たとえ一時、なにかに熱中するようなことがあっても、いずれそこからも離れていってしまう。ぼくはもう、生涯なにかに熱中するようなことすらないのかも知れない」 その頃の竹熊氏は、そう自嘲気味に語っていた。 しかしある日、雑誌アクロスの座談会後に夜の吉祥寺をうろついていたぼくと竹熊氏は、ばったり庵野秀明氏&作曲家の田中公平氏と出くわし、そのまま飲みに行くことになる。そしてその時から、ぼくの知っていた「クールな竹熊さん」はどっかへ行ってしまった。後に残ったのは「日本アニメ史に名を残すほど、ラブラブ、メロメロになっちまった評論家」であったのだ。 それから数カ月、竹熊氏は「庵野さんがこう言った、ああ言った」などという電話を深夜にかけてきた。庵野君の発言に一喜一憂する竹熊氏。それはまるで中学生の恋愛相談そっくりだった。 竹熊氏が庵野君にラブラブになることに反比例するかのように、「チャイルドプラネット」から竹熊さんの心は離れていった。竹熊氏の試みはけっきょく担当編集者にも理解されず、竹熊氏はクレジット上では「原案者」という立場に落ちついてしまったようだ。 「もうどうでもいいんです、あんなマンガは」 現実から拒否された竹熊氏は、ますますエヴァと庵野秀明に深くはまりこんだ。自宅に庵野君を呼んでかいがいしく自作の野菜カレーを振る舞い、ディープな話に夜を明かす。エヴァの全巻ビデオを揃えて、知り合いの編集者や作家に布教し、一人でも多くの理解者・賛同者を得ようと努力した。 「○○さんもエヴァを『わかっている』に違いない」 有名人がエヴァについて言及したと知ると、嬉しそうにぼくに電話してきた竹熊氏。たしかにあの時期の竹熊氏は熱狂していた。 |
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