◆ 吉永小百合さまの処女を奪った男・・・。 | 2009.5.22 |
女性を怒らせたらどうなるか、 その恐ろしさは骨身に染みて承知しております。 特にそのことは我が「女房ドノ」から「深く」学んでおります。 ある時のことでございました。 ほんの冗談のつもりでした。どういう気持でそれを言ったのか、 今もって己のことながら釈然としないのでございます が言ってしまったのでございます。 「女房ドノ」に向かって「お前は嘘つきだ」と・・・・。 今にして思えはホントに恐いモノ知らずだったとつくづく思うのでございます。 がどうしたことがあったのでしょうか、本当にあの時「女房ドノ」に向かって 「嘘つきだ」と言ってしまったのでございます。 それはニューヨークのハーレムの黒人集団に向かって中指びを立てて 「ファック・ユー」と言うがごとき向こうみずのことであったことをただ今の 私めはよく承知できるのでございますが、どういう料簡からでしょうか、 あの時私めは言ってしまったのでございました。 心のどこかに夫婦だから右ホホをゆるめて聞き流せる、 そんな甘えがあったのだと思います。 ところがアノ時の「女房ドノ」は違いました。 なにかで余程ご気嫌ナナメだったのでありましょうか。 聞き流すどころか、カッと目を見開いて喰ってかかってきたのでございます。 怒りのため口唇が震えています。顔面も蒼白、血の化が失せています。 「あら私が嘘つきですって、冗談でしょう。だったらあなたはなんなのか知らん。 一番最初に会ったとき、カメラテストだからって嘘をついて私を犯したのは 誰れかしら。嫌です、って言ったのに丁度今度レイプの撮影があるから そのリハーサルのつもりで、なんて言っちゃって「中出し」したのは誰れだったのよ。 結婚は二回目だ、なんて言っていたクセに謄本を取り寄せたら四回目だったのはどなた。 前科は少しあるけど、それも仕事上の「向こう傷だ」なんてもったいぶったけど、 少しだけ、じゃないじゃない、七犯も前科があって。母親のお葬式のとき、 刑務所の看守をしている親戚のオジさんに「前科七犯なんて人間じゃない」 って云われたのよ、私がどんなに悔しい思いをしたかあなた知らないでしょ。 故郷に家があるから老後は安心だ、って言うから実家を見に一緒に行ったら、 ナニあのアバラ家(以前、週刊誌AERAの取材で私の実家を訪れた作家の 佐野眞一氏が、私の育った家を見て、戦後これほど荒廃したアバラ家を見たことがない、 と書かれました。女房ドノはその表現を真似て言ったのであります) 子供を産んだときだってそうよ、必ず出産費用は送るから、と約束したクセに、 待てど暮せど送ってこないで実家の両親に立て替えてもらったじゃない。 両親は(出産費用も出せない男と結婚したのか)って悲しい顔をしていたわ。 あの恥しかったこと、一生忘れないわ。必ず一発あてて束にしたものを渡して ラクにしてやるから、って大きな口をきいてもう何年経ったかしら貧乏暮らしが。 束にしたものって渡されたのは、請求書だけじゃない。 女の問題だってそうよ。仕事以外は私的女関係は無い、なんて大嘘ついて。 私が十五年間切ったことのない髪をバッサリ切るきっかけとなったあの時のあの女、 あの女は何番目の(浮気の本気)の女よ。そして別のあの女・・・」 私は土下座していました。ご免なさい、許して下さい。 と詫びていました。冗談のつもりでつい言った「嘘つき」の言葉が、 女房ドノをこれほどまでに激怒させるに至るとは、 予想もつかないことでした。 ご免なさい、ご免なさい、 と生まれてこのかた「ご免なさい」の言葉を あの時ほど沢山云ったことはなかった気がします。 口は災いの元、を心の底から悟ったのでございます。 女性の悪口は絶対に言ってはならない、 云えばその何倍ものものが返ってくる ことを身をもって体験したのでございます。 我が女房ドノがただの「ネズミ」じゃないことをそれ以前に 何度か感じる出来事がありました。 デパートに買い物に行ったときのことでございます。女房ドノが トイレに行きたい、とトイレに行きますと日曜日ということもあって 生憎トイレの前は長蛇の列でございました。 するとどうでしょう。女房ドノは突然アンダースローのピッチャーがボールを 投げる瞬間のように体を傾けた姿となって足をひきずりながら「傷害者用」 と書かれたトイレの扉を開けて中に消えたのでありました。 しばらく時間があって、女房ドノは先程とはまったく逆の方向に体を傾けながら、 トイレから出てきたのであります。女房ドノに少しも悪ぶる様子はありませんでした。 付き合いはじめた頃のことでございます。その日、朝まで彼女と一緒にいたい、 と思いホテルに誘いました。肉体関係は遂に何度かありましたが、 朝まで一緒に過ごしたことは一度もありませんでした。 が彼女はホテルに入ることを頑強に拒んだのでございます。 「嫌です、妹が心配するし、父親が田舎から出てきているから 今日は絶対に家に帰へります」と取りつくスキがないのであります。 頼むよ、と執要に誘う私、絶対に嫌、と許さない彼女、 そのときはラブホテルでしたが、入り口でもつれ合って植え込みの観葉樹を 二、三本倒す騒ぎとなってようやく「ホテル」の室に彼女を連れ込むのに 成功したのでありましたが、これまで経験したことのないような 実に骨の折れるヤリ取りをしました。 ところが、でございます。翌朝、彼女が化粧直しをしている洗面台 を見ましたら、ホテルのそなえ付けでない「マイ歯ぶらし」と思える ピンクの歯ぶらしが置いてあったのでございます。 彼女の下着も昨晩のピンクのものとは違う白地のモノにハきかえられていました。 マイ歯ぶらしと着換えての下着を持参しながらの、昨晩の観葉樹ナギ倒し騒動、 あのとき我が女房ドノのただものではない「気配」は感じとったのではありまし た・・・。 それなのに漫然と「嘘つき」の適矢を放ってしまったアサハカ な私めであったのでございます。 女性を怒らせたら、どういうことになるか、 実はそれまでにも何回も苦い経験をしております。 しばらく付き合っていた素人の女性、がおりました。 住む世界が違う、ということで別れることになりました。 最後に、一度だけ私のマンションに来て下さい、 と彼女から連絡がありました。 最後だから・・・ と気楽な気持ちで彼女のマンションに行きました。 ご気嫌で彼女が迎えてくれました。 背後でカチャっと鍵のかかる音がしました。同時にドアチェーンの音もしました。 あれ、なんでだろう、と少し気になりました。 がかまわず室の中へ入ると驚く事態が起きていました。 室中の壁という壁に長さ30センチほどの包丁が刺さってありました。 包丁の数、さっと百本近くはあったと思います。 包丁の先には全部写真が突き抜かれて貼ってありました。 見ればそれらは全部私の事務所の女優さんたちのグラビア写真でございます。 恐る恐る彼女に聞きました。「この包丁、どうしたの」 足はいま来た玄関の方に向かっていました。 「全部通販で買ったのよ」と言い終わるやいなや、 彼女は壁に突きさしてある包丁のうちから一本を抜き、 手に握りました。「ワラワララ」声にならない声、 とはあのときの声を云うのでしょう。 玄関に向かって行ってドアチェーンをハズし、鍵を開けて外に出ました。 その刹那でした。彼女が振りおろした包丁のきっ先が私の右ホホをかすめました。 5センチ、も間がなかったと思います。 悲鳴、を上げました。否、悲鳴、を上げれた、とは言えません。 声ならぬ声を出してマンションの階段を駆け降りました。 一度も、一度も振り返る余裕はありませんでした。 本当に恐しい、生きた心地がせず、しばらく体の震えが止まりませんでした。 あるタレント志願の若い女の娘と大阪に一泊の予定でイベントに行きました。 同じホテルに泊まりました。当然のごとく彼女とホテルの私の室でSEXをしました。 東京に帰へってきてから何度か彼女から電話がありましたが、 一度も電話に出ませんでした。 私は「真剣な交際」ではなく「一夜だけのアバンチュール」との認識でした。 しかし彼女は違いました。裏切られた、と思ったようです。 彼女との大阪行きのイベントのことがあった一ヶ月余り経った頃、 突然警察から呼び出しがありました。 何事か知らん、と出向いて行きましたら、彼女が私を「強姦」で訴えている、 というのであります。そんな馬鹿な、と思いましたが、どうも警察は本気で この件を立件しようとしているようなのです。 大阪で行って遂に泊まったホテルでの実況検分まで済ませている、 というのであります。帰へりぎわ、担当の刑事さんが耳元で 「我々もアンタが強姦したなんて信じていない、しかし訴えがあった以上、 それを警察は無視する分けにはいかない、こうした事犯の被害者が本心では 何を要求しているのか、アンタもよく考えて二、三日時間をあげるから 対処しなさい」とアドバイスをしてくれました。 それからは必死でした。彼女とコンタクトを取り会いました。 すると彼女は一緒に行きたいところがあると言うのでした。 どこでもいい、一緒に行こう、と快諾すると彼女はタクシーを停めました。 「△□スポーツ新聞社へ行って下さい」と彼女は運ちゃんに言いました。 何故!?新聞社へ、と訅くと、知り合いの新聞記者がいるから、 そこへいまから一緒に行ってアナタが私を強姦したこと を記事にしてもらうのだ、と言うのでありました。 とんでもない「めギツネ」でございます。しかしそこはガマンでございます。 “乗った”私が悪いのです。銀行の前に車を停めてもらいました。 銀行からおろした「ブロック」のかたまりを彼女に渡して、領収書を書いてもらい、 その場から警察に電話をしてアノ刑事に告訴を取り下げる主旨を話してもらいました。 今にして思えばあれは彼女のヤリ口で「一人美人局」の常習ではなかったか、 と確信的に思っています。また別の別れた女性からは「贈り物」を一年余りの間に 「贈られて」閉口したことがあります。 ある日彼女の方から「タレントを止めて故郷に帰へる」 と申し出があったのでございます。理由は「お見合いをした相手と結婚」 するから、とのことでした。相手、とは弁護士だとのことであります。 当方も潮どき、という気持ちでございましたから、止めることもなく、 それは「おめでたい」と別れを快諾したのでありました。 そのことが彼女には面白くなかったようでございます。 「冷い男」と彼女は恨む気持ちを持ったようでございます。 一年後、彼女から「贈り物」が郵便で届けられました。 開けてみると中に白い白濁した液の入った一升ビンが入っていました。 添えられてあった手紙には以下のようなことが書かれてありました。 「結婚は嘘です。故郷に帰へってきてあなたの子供を堕ろしました。 お乳が張って絞ぼるとオッパイが出てきます。 あなたの子供が飲むはずだったお乳です。あなたにかわって飲んで 欲しいので、溜まったら送ります。」 オカルト映画に出てくるような話でございますが「実話」でございます。 道であったらバッタリとその場で土下座をして許しを乞わなければならない 女性が、ザット数えて20人近くはいます。 ビルから飛び降りろ、と言われたら飛びおりて見せなくてはならない 女性は6人はいるのです。多くの女性を怒らせてきた罪深き人生、 を生きてまいっております。 ですから、女性が怒るようなことは絶対に云えないし、 書けない私でございます。 その面からも「野郎」は気が楽でございます。 そのほとんどが怒ってみせていても、命を捨ててまで勝負に出てくる、 といった女性の真の恐さ、からは無縁な「ハッタリ野郎」たちばかり だからでございます。 「ハッタリ野郎」といえば、代表的な存在は「石原軍団」でございます。 来たる七月には、国立競技場を借りきって23回忌なる「興行」を行う 計画をしているようでありますが、当日は十五万人の「ファン」の動員が 予定されているそうであります。 またぞろ「石原裕次郎」の「幻の人気」をジャッキ・アップしての 「ハッタリ興行」なのでございます。 亡くなって23年も経つのにいかなスター「裕次郎」といえども15万人 もの「参加者」が果たしているのもでありましょうか。仕掛けは応募者の中から 五万人が無料でもらえる「記念の焼酎と写真集」でございます。 タダでくれる、というならネットで売れる。 商売にして小銭を稼げる、といった全く「裕次郎」が好きでも嫌いでもなく 小銭が欲しい輩がこぞって飛びつくのであります。 応募総数実に二百万人、さすが「裕次郎の人気は不滅だ」 とあおる魂胆でありましょうが、内実はタダだから、それも一人で二十通、 三十通応募の葉書きをだしました、といったところとなるのであります。 そして本当は15万人以上の人が押し寄せることになるかもしれません。何故なら、 好評につき当日会場に来られた方には出来る限り景品を増やしてお渡しする。 との必ず二の矢の放送がある筈だから、でございます。 小林専務は「大きな映画一本分の費用をかける」と凄んでみせておりますが、 (20億円との予算といわれております。)ポーズの裏側はすべて タイアップ、スポンサーに「オンブに抱っこ」で自腹は痛まぬ算だん となっているのでございます。 本根は「裕次郎不滅の人気」とハヤシ立てて、小樽築港にある 「裕次郎記念館」入場料1500円 の上がりで、一日も長く喰いつなぐこと、であります。 草場の陰で故裕次郎は本分を忘れて飽食の日々を送る野郎ドモに嘆き悲しみ 怒られているに違いありません。 映画屋が映画作りをせずに「ハッタリ興行」にあけくれてどうする!! 裕次郎の叱咤の声が聞こえてきます。 いいかげんセンコウの煙で飯を喰うのは止めにしなさい、恥を知れ、 でございます。 裕次郎が五社共定を向こうに廻して戦いを挑んだ「黒部の太陽」の映画屋魂 はどこへ行った、でございます。 この何年も石原プロは本文である映画をつくることがありません。 発想が貧困なのか、リスクを恐れる臆病者なのか。21世紀の裕次郎 とコンテストまで開催して選んだ男はいずこへ、でありましょうか。 渡哲也、舘ひろし、神田正輝の軍団の今日の姿は「無難」という のでありましょうか。亡き裕次郎から見れば「無惨なり」の一言でありましょう。 「石原軍団」凋落は「影の実力者」と称される「小林専務」の存在にあるように 思われるのであります。 この男の「小判鮫的生き方」が裕次郎亡き跡の「石原軍団」を「無惨なり」として しまっているのであります。小林専務の「小判鮫的生き方」と象徴されるのが、 日活撮影所において今日においても噂される「吉永小百合さまの処女を奪った男」 の逸話でございます。 小百合さまの顔面をニキビが覆っていた青春時代、その突き出しかけたクリトリス の春をツクシンボウによって鎮静化せんとするものが、誰一人として現れること のない時代がずい分と過ぎました。 当時日活の撮影所は男優陣のキャストの豪華さとあいまって、女優陣もまた 浅丘ルリ子、芦川いずみ、等々、美しく花やかな名花揃いでございました。 ニキビ顔のまだ青い小百合さまの存在は、カスんで見えていました。 しかし当時の撮影所の幹部連は将来日活を背負って立つことになるであろう 「吉永小百合」というスターの蕾をこのまま放置しておいてどこの馬の骨か わからぬ「女たらし」に傷ものにされることがあっては一大事、 と日活撮影所から「咬ませマラ」をあてがうことにしたのであります。 そこで選ばれたのがあの「小林専務」であった、というのであります。 いやアレは世間知らずの小百合さまを無理矢理犯したのだ、と・・・。 ことの真雁は今日おいてもさだかではありませんが、いずれにしても「小判鮫」の 存在であった小林専務が、漁夫の利の味をしめたというのであります。 主役でなくワキ役の「小判鮫」で生きていくメリットを悟った「瞬間」 であったのでした。 小林専務が「石原軍団」の役者馬鹿集団の中にあって、その度胸と才覚において 類いまれなき実力の持ち主であり、軍団の栄光を築きあげた第一の功労者 であったことは事実でありましょう。 しかしそれとて「裕次郎」という後ろ立て、があったればこその時代の 話でございます。「実力専務」などとハヤシたてられていても、精神はドップリと 「小判鮫」根性で、やることなすことは今日の23回忌に見られる 「茶番」ごときに終始してございます。 彼等がオメデタイのは、そのウス汚い魂胆が世間にバレていない、とタカを喰って いるところでございます。「美談」で押し通せると信じている「裸の王様軍団」 なのであります。哀れ、であります。 韓流といわず世界の映画人は、失敗を恐れず前に前に進もうとしています。 真に「映画人裕次郎」の精神を愛するものは、いいかげん世間をたぶらかすこと を止めなければなりません。群れずとも、荒野にたたずんで一人、 目を閉じれば愛する者の姿はいつでもハッキリと甦えるのであります。 「失敗しないことより何もしないことを恐れよ」(本田宗一郎) 「石原軍団」よ、クリント・イーストウッドに学び、生涯映画人の原点に帰へり、 志を高くして映画作りに奮励せよ。 |