
エヴァを特集した雑誌やエヴァ関連書籍
デラべっぴん 96年8月号
(英知出版)

第四話のアスカが寝ぼけてシンジの布団に来る場面には、シンジの枕元に「デラぺっぴん」なる雑誌がある。フフッ、さては映画版の冒頭への伏線?…というのは冗談ですが。
そして本家(?)「デラべっぴん」では、96年7月という一般誌では比較的早い段階で、エヴァ特集を14ページに渡って組むという荒技を披露。しかも監修は岡田斗司夫なのだ。
冒頭でエヴァへの共感を高らかに謳い上げ、まずストーリー紹介やアニメ史上の位置づけ、庵野監督のプロフィールなどの基本情報をしっかり押さえる。さらに、アニメ雑誌各誌のエヴァ特集の比較や、元ネタ暴露、吉田戦車をはじめとする有名人のコメントなどで、一気に「デラべっぴん」らしさを全開にしている。ホント、勢いに溢れた紙面なのだ。
そう、現在のエヴァブームの中で様々な雑誌が組んでいるエヴァ特集は、この「デラべっぴん」の延長線上にある。さらに、雨後のタケノコ状態となる謎本の先を行った「アニメージュ」96年4月号、衒学趣味全開の「ユリイカ」96年8月号の3冊で、ほぼすべてのバリエーションは出尽くしてしまっているのだ。
エロ本というフィールドは、基本的に裸さえあればあとは何をしても構わないという性質がある。かつて羽良多平吉が活躍した「HEAVEN」は、その好例。この「デラべっぴん」も、そうした自分のメディアの特殊性を逆手にとって暴走した例のひとつだろう。この企画を通した編集者氏には、思わずリスペクトだ。
ユリイカ 96年8月号
(青土社)

ユリイカの他の号のバックナンバーは大型の書店に行けばいくらでもあるのに、この号だけはない。思想・哲学誌「ユリイカ」の「ジャパニメーション」特集は、かなりの割合がエヴァに割かれていたのだ。
「ユリイカ」だけに、読み応えがある内容、言い換えれば、眠気がかった頭じゃ理解困難な高尚な記事が続く。あるいは、「衒学趣味」の一言で表現できるかも。
しかし、「エヴァは自己啓発セミナー」と安易な分析をした大塚英志が、「超越性」なんて概念を持ち出してかつての自分の発言をごまかすのに必死だったり、ここでも登場している岡田斗司夫を上野俊哉が批判したりと、エヴァをめぐっての文化人模様を観察をするだけでもなかなか楽しめる。
それにしても、同時期に「デラべっぴん」と「ユリイカ」というある意味で両極をなす雑誌が、ともにエヴァ特集を組んだのは興味深い事実だ。
SFマガジン 96年8月号
(早川書房)

SF的観点からの記事は意外と少なくないので、非SF者でも安心の特集。(というのも変だけど。)
まずグラビア4ページでエヴァの概要を解説。そしてメインは、96年4月28日のSFセミナーでの庵野監督と大森望との対談。やめときゃいいのに、庵野監督はファンを挑発するような発言を連発しまくり。その後の修羅場も予想してのだろうが、この頃はまだ威勢がよかったんだなぁ…と妙な感慨にふけってしまうものがある。
また、アニメ雑誌編集者の久保美鈴による、最終回放映後の反響についての分析が、当時の状況をリアルに伝えている点で興味深い。
Quick Japan vol.9〜vol.13
(太田出版)

封切りから1週間ほど経った頃、僕は渋谷で「DEATH & REBIRTH」を観た。そこで驚いたのが客層。いわいる「アニメ・ファン」ではないのだ。そして、この場にいる少なからぬ人々が、「Quick Japan」に感化されて来たんだろうなぁと想像した。
分類すればストリート・カルチャーやサブカルチャー雑誌ということになるであろう「Quick Japan」が、初めてエヴァ特集を組んだのは96年8月に発売されたvol.9。以来、97年4月発売のvol.13までの5号に渡って、竹熊健太郎や大泉実成らを中心に、テンションの高いエヴァ関連の記事が載り続けた。このことからも、エヴァ関連企画への読者の反響の大きさが窺われる。
vol.9/vol.10では庵野監督のロング・インタビューを掲載し、しかもvol.10では、その庵野監督を表紙に起用するという大技を展開。エヴァの持つ「オタクの外側へも届く力」に着目し、「エヴァ的なもの」を求める読者に数々の企画を提示した赤田編集長の手腕は、さすがの一言。
なお、vol.13の編集後記で赤田編集長は、「『エヴァ』関連の企画は、これを持って、しばらくお休みします」と宣言。さすがにやりすぎましたか。
STUDIO VOICE 97年3月号
(インファス)

その兆候は、96年10月号に、庵野監督のインタビューが載った時点であった。しかし、極度にスタイリッシュなサブカルチャー誌「STUDIO VOICE」の表紙を、まさかシンジ君が飾ることになるとは、さすがに意表を突かれた。
内容的には、「ユリイカ」の特集から高尚さを少し削って、テーマごとに圧縮した感じ。エヴァが含有する様々な引用に対して、過敏に反応している点が「STUDIO VOICE」らしさか。そうした分析を、一種の遊びとして割り切れれば、なかなか面白い特集だと思う。
グラフィックワークも例によって凝っているが、いかんせんネタ元のエヴァと相性の悪い部分もあったりする。
キネマ旬報 97年3月下旬号
(キネマ旬報社)

一連のエヴァを特集した雑誌の中でも、読者の年齢層が最も高いであろう雑誌がこの「キネ旬」。表紙もエヴァ。
エヴァが映画から引用している点を、片っ端から挙げる企画でもあるのかと思いきや、エヴァの社会的・経済的影響の解説など、意外と無難な紹介記事が中心。
しかし、この特集で興味を持って、映画版で初めてエヴァを見た人は、わけがわかんなくて怒ったろうなぁ(笑)。
ムー 97年7月号
(学習研究社)

なにしろあの「ムー」なのだ。最初こそお約束通りエヴァのストーリーや設定の解説だが、次の瞬間には神秘の世界へと突入。「死海文書」をはじめとするエヴァの神秘主義的要素の解説も、そこらの謎本が裸足で逃げ出すぐらいにディープだ。
ただ、いかんせん画像のキャプションの内容が奇妙だったりするし、読めば読むほどエヴァの本筋から遠ざかっていくような気もする。もっとも、こうした強引な世界観の構築があってこそ「ムー」なのだろう。なにせ、初期のあの教団を登場させた雑誌だからなぁ。
スキゾ・エヴァンゲリオン
パラノ・エヴァンゲリオン
(太田出版)

スキゾ・エヴァンゲリオン
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パラノ・エヴァンゲリオン
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雑誌ではないが、番外編でこの本も。
腐るほど出た「謎本」の存在を一気に無意味にしてしまったのがこの2冊。庵野監督本人を連れて来るんだから、もう反則そのものという感じだ。
「Quick Japan」に掲載された庵野監督のロング・インタビューに、ガイナックスのスタッフの座談会を加えて分冊にしたもの。おたく文化に造詣が深く、しかもエヴァに夢中な竹熊健太郎と大泉実成がインタビューアーなだけあって、かなりコアな部分へも質問は及んでいる。エヴァの製作背景−つまり庵野監督個人の 内面的風景を知るには、現時点ではこの本が最適と思われる。
ところで、庵野監督の父親は片足がなく、トウジも劇中で片足を失う。個人的には、この点が今もなんとなく引っ掛かっているのだ。
エヴァンゲリオン快楽原則
(第三書館)

「エヴァンゲリオン・スタイル」で名を上げた同社から出た、エヴァ関連の言説を集めた書籍。編者は五十嵐太郎。入手困難な雑誌や新聞の記事も多く収録されており、野火ノビタ「大人は判ってくれない」も全文を収録している。また、当コーナーで紹介したすべての雑誌(「ムー」を除く)の主要な記事も収録されている。各章の立て方も的確。エヴァをめぐる圧倒的な情報の海を泳ぐ指針として、極めて重宝する1冊だ。
別冊宝島330 アニメの見方が変わる本
(宝島社)

「『新世紀エヴァンゲリオン』はいかに語られたか」では、エヴァを取り上げた雑誌・新聞・書籍の主要記事を一挙総括。それぞれを5点満点で採点、辛口で容赦のない評価を下している。対象は実に100以上に及び、資料価値も高い記事だ。
なお、資料協力という形で本ページ管理人も本書に参加。手前味噌でスイマセン。

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