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2009/06/23

JAZZはお洒落なオトナの音楽

ブルーノート100名盤 (平凡社新書)

ブルーノート100名盤 (平凡社新書)
価格:¥ 798(税込)
発売日:2009-01

上のAmazonリンクの本なんだが、ブルーノートというJAZZレーベルの書籍というのは、他にも何冊も出ているわけです。正直、おいら、特に好きなレーベルというわけでもないんだが、それでも改めて見てみるとずいぶん持ってますね、ここのアルバム。で、



 ブルーノートは1939年にドイツ出身のジャズ愛好家、アルフレッド・ライオンによって創設された。その名を高めたのは50年代中期入ってから。ルディ・ヴァン・ゲルダーの個性的な録音、フランシス・ウルフによるミュージシャンの本質をとらえた写真、斬新この上ないリード・マイルスのジャケットデザインが混然一体となって「これぞモダンジャズ」というアルバムを量産した。特に56年から録音の始まった1500番台と59年にスタートした4000番台のシリーズは、モダンジャズのマストアイテムといわれる。

 今月10日に発売されたのは、同社が運営するブルーノート・クラブが行ったアンケート「私のブルーノート・ベスト3」の上位50枚。ちなみにこのアンケートの結果は平凡社新書の「ブルーノート100名盤」にまとめられている。
コレが売れてるわけです。
14日のジャズチャート(サウンドスキャン調べ)で
「ジョン・コルトレーン/ブルートレイン」が1位▽

「キャノンボール・アダレイ/サムシン・エルス」=同<中>=が2位▽
「ソニー・クラーク/クール・ストラッティン」=が4位▽
「ハービー・ハンコック/処女航海」が6位に。
計33枚が50位までにチャートイン
このレーベルの特徴というのは、JAZZという音楽をうまく、一枚のアルバムにまとめ上げたところにあるわけだ。特に、ここのジャケットは物凄くカッコ良くて、昔はどこのJAZZ喫茶でもここのジャケットが飾ってありましたね。今ではCDなので、絵が小さくて寂しいです。それでもデザインは昔のままなので、いっそ、PCで拡大してプリンターで印刷しちゃうか? まぁ、
JAZZはセンスの良いオトナの音楽というイメージは、このブルーノートのジャケットで作られたという部分もあるわけで、それが
1100円という破格の値段で買えるというのは、素晴らしいです。

今回発売されたのは、JAZZ史上でも名盤中の名盤なので、どれを買っても外れはないです。50枚全部買っても5万5千円。とりあえずコレだけ持っていれば、JAZZマニアのフリが出来ますw つうか、Amazonリンクをクリックすると各アルバム試聴が出来るようなので、もちろん聴いて気に入ったモノを購入してもいいですね。と、とりあえずAmazon強化特集でしたw

ブルー・トレイン

ブルー・トレイン
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

サムシン・エルス

サムシン・エルス
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

クール・ストラッティン

クール・ストラッティン
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

処女航海

処女航海
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

チュニジアの夜

チュニジアの夜
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

キャンディ

キャンディ
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

スピーク・ライク・ア・チャイルド

スピーク・ライク・ア・チャイルド
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

モーニン

モーニン
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

アフロ・キューバン

アフロ・キューバン
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

ニュークス・タイム

ニュークス・タイム
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ

ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

ミッドナイト・ブルー

ミッドナイト・ブルー
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

ザ・シーン・チェンジズ

ザ・シーン・チェンジズ
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

スイング・スワング・スインギン

スイング・スワング・スインギン
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

スイート・ハニー・ビー

スイート・ハニー・ビー
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

メモリアル・アルバム

メモリアル・アルバム
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

ブルー・アワー

ブルー・アワー
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

ベース・オン・トップ

ベース・オン・トップ
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

ゲッティン・アラウンド

ゲッティン・アラウンド
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

アス・スリー

アス・スリー
価格:¥ 1,100(税込)
発売日:2009-06-10

コメント

この人 半年前 有楽町のビックで目撃しました

聴きに 見に来てください ぶっ飛びます

自分もホームレスが 自動演奏で遊んでいるかと思ったほです でも音と体全体が一致していたので 店員に{なにもの?}と聞いた ら 有名な人とのこと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090621-00000545-san-soci

自分 音感自信ありますよ プログレ好きだし 今 今後の日本から世界に行くのが aria ajia  
こんなんです http://www.youtube.com/watch?v=53VfDNeuaIE

サムシンエルスのマイルスにくらっとしたあの頃を思い出しました。あ〜やばい。Amazon商売反則です〜〜〜。

しょうがない。アマゾンで買うか。。。

 ブルー・ノートってジャケット買いした時の当たり率が高いんですよねえ。紹介の 20枚中、自分で持ってたのは7枚でした。この中で特にお気に入りはハービー。処女航海もスピーク・ライク・ア・チャイルドも最高です。ハービーって自分にとって最もお気に入りの鍵盤屋の一人なんだけど、犬作先生の弟子って言うのが本当に悔やまれます。

 自分ではサムシン・エルスって今二つくらい。マイルスはマイルストーンが好きかな。あと、ビッチェズ・ブリューも。ポーギーとベスなんかも良いですね。アート・ブレイキーは大所帯ポイ音が好みじゃないかな。コルトレーンは「至高の愛」を含めてどれ聞いても外れなく良いと思います。ソニー・クラークのピアノも好きだなあ。

 昨日買ったCDはラムゼイ・ルイスのサンゴッデスとリロイ・ハトソンの2枚目でした。なんてことをジャズじゃないけど、スイング・アウト・シスターのセカンド聞きながら書いてます。

>JAZZはセンスの良いオトナの音楽というイメージは、このブルーノートのジャケットで作られたという部分もあるわけで、

確かにどのジャケットもセンス良いですね~♪
初めてアメリカに行った時、その辺にいる、ジーンズにTシャツと言う軽装のオサ~ンすら遠目で見ると、お洒落な絵はがきの世界に見えて、
「さすが外人!」と思いますたw
やっぱ『体格』っすかね?
私は日本人女性としては背が高い方(165cm)ですが…
昔から日本人の体形にはやっぱり着物が似合う!!と思ってまして…
(男も女も)洋服を捨て着物を着よう!!
な~んて、不便で現実的じゃないっすよね?w

あ!本題から外れちゃったf^_^;
ジャズは好きなので、試聴して気に入ったアルバムを何枚か購入しようと思います♪

AAのルーツが・・・

>ブルーノート

アメロとか、新ドルの話かとオモタw

たしかにこれは、、、、、
反則です?、、、、、、相当アメリカは厳しい状況か?

いまどきレコードだけでジャズ喫茶が成り立つのはかなり難しいだろう。
大阪は天王寺に「トップ・シンバル」があったんですがこれも潰れました、
30年くらい通ってたんですがね、、、、、、、。

ターンテーブルにそっとレコードをのせて、さり気なくジャケットを飾る、
レコードのまーるい形に傷んだそれが、やわらかいライトに照らされて目からもジャズを教えてくれたっけ。

もっとも、今に至るもジャズの事なにも判っちゃいませんが(苦笑)、、、、

何枚か持っててビックリしたぁ~。久々に今度うちの店で流そ~っと♪

やっぱブルーノートは夜とお酒と相性がいいですね。
インパルス時代のコルトレーンはBARとかではかけづらいですもんねw
でも私はインパルスの方が好きなんですけど。

煎餅新聞に名前が載ってるのが居るのが辛い。

何とかという工場でプレスされた○年代のモノラル盤がヤバイ!
と、ヲタが狂喜してたんですが、単なる懐古主義なんだろうと思いつつ、試しに聴かせてもらったけど確かにスゴかったです。

いきなりコルトレーンが出てきたので、エリック・ドルフィーを思い出した。「あなたは愛を知らない。」 よかったら聞いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=sgGs3h7CytA&feature=related

いや〜ここに載ってるレコードは
本当に外しのないものばかりですよね。

ジャケットデザインは、仕事でいろいろと
模倣したことがありますが、本当にシャレていると思います。
タイポグラフィが素晴らしいです。

 おれなんか、もう達観してるんでね、蒲焼きの臭い嗅ぐだけで蒲焼き食った気分になれるように、ジャケット見れば音楽流れてくるわけで、目で音楽が聞ける。安上がりでスイマセン。

 ただね、ネットゲリラさんがわざわざ並べてくれたジャケットを見ながら、音楽のCD化というものが、音楽の息の音を止める真因というか、非常にマイナーな気分になってます。

 どのジャケット見ても、飾りたくなりますね。いいデザインですよ。それが5分の1~10分の1の大きさに縮小したのがCDです。CDは30センチ四方のジャケットを限りなく貶めていますねぇ。本来は額に入れて飾りたくなるくらいの名品なのに。

 それと、CD化はライナーノートの価値も貶めました。ハードカバーの装丁本がピラピラの文庫本に変わったようなもので、真面目に読む気にもならない。昔はライナーノート一つで文学賞相当の栄誉に預かれたというのに、残念なことです。

 音楽というものは、目で聞く、言葉で聞くという想像力の部分も大事にしないといけません。昔はレコードを竹針で聞くというような風流もあったのに、光学的読み取りのCDでは、それもかないません。その辺りは、ジャズ屋さんの見解もぜひ聞きたいところだが、見てねぇだろうなぁ。

 ともかく、ジャケットを並べていただいてネットゲリラさん、有り難う。蒲焼きのようにジャズを味わってます。ところで、コルトレーンの「ブルートレイン」の日本語訳は? 

 哀愁列車だよ。

 

>阿井卯栄男さん

お久しぶりです。や、いつもネットゲリラ拝見させていただいてますよ。
ただ、以前より政治ネタなんかだとコメント欄が荒れるようになったので、書き込むのに躊躇してただけなんです。
しかしこんな絶好のパスを出していただけたのなら、やはり書かずにはいられません。とか言いつつ、テレサテンやらタイマーズやらの時も書きたいことはたくさんあったんですけどね、野次馬さんの更新が多くてしかもそれぞれ面白いので読むだけでおなかいっぱい、長々と書く暇がないというのが本当のところですがw

私も今でも中古屋でLPを集めるのを最大の趣味としているような人間ですので、CDの味気なさには同意も同意、大同意であります。
しかしブルーノートは人気ですので日本盤でも高いし、珍しいものとなるとまず中古屋にも出てきません。したがって私もこのレーベルの音源はたくさん持ってはいますが、7:3の割合でCDの方が多いという体たらくです。

しかしこのエントリー読んで「なんだかなぁ」と思わざるを得ないのは、これら名盤と言われてるものの再発、これで何度目なんだ、という事であります。数年前にも1500円で、しかも三枚買うと一枚タダというキャンペーンやってました。この時は通常の人気盤だけでなく割と珍しいものも一挙に再発されてたので私も無理矢理三枚買って、応募券シールを紙に貼ってレコード会社に送ってもう一枚ゲット、という作業を何回か繰り返しました。
まんまとレコード会社の策略に乗せられた次第ですが、とりあえず安いというのは有難い事ですので文句は言いますまい。
文句と言うよりもある種の絶望感を覚えるのは、同じ定番ものが何度も何度も再発されることによってつまびらかになる、ジャズという形式の音楽がすでに「終わっている」という事実についてであります。
もちろん今でも新譜は出ているし、何よりも私自身が趣味の延長線上ではあってもジャズと称する音楽を演ってる身の上、こんな事を書くのは仁義に欠けるのは承知の上ですが、しかしどうしても言わずにはいられません。

現役のミュージシャンの作るものが40年、50年前の録音に確実に負けているからこそ、レコード会社も確実に売り上げが見込める旧譜の再発ばかりに力を入れるわけです。いや、それはレコード会社が新しいものを育てたり紹介する努力を怠っているからだ、という声も聞こえてきそうですが、私見でも良いミュージシャンは沢山いる、しかし吃驚するような新しいものではない。私のようなアマチュアに毛の生えただけの道楽者がこういうことをほざくのはバークレーを首席で出たような方々には失礼かもしれません。しかし実際にそう思うんだから仕方がない。

この問題はジャズというジャンルだけではなく今やポップスやロックや歌謡曲にも言えることです。誰もが聴いたことのない音を作ることで歴史を紡いでいく時代がもはや終わりを遂げている。いいな、と思ってもそれはすでに過去の個々人の好きな音に似ているから、いいなと思うだけである、と。
無論、新しさや革新性を優先順位の最上位に置いて評価する音楽評論は音楽そのものに斬り込んでいないという点において、根本から間違ってはいるのです。そんな偏った史観への反発から、難しい音楽理論のイノベーションとは無関係な踊るためだけのファンキージャズが再評価されたのも記憶に新しい。でもそれにしたって現役のミュージシャンより過去の埋もれていた人の発掘という形での現象です。

何故そうなるのかと考えてみると、結局音楽というものは時代の空気を無意識に吸って存在しているわけです。音楽に勢いのあった時代に生まれた曲や演奏にはその時代の勢いが真空パックされている。
この考え方からすれば現代は音楽が文化、娯楽の中心ではありません。個々人の趣味は細分化し、共通言語だった流行り歌というものもとっくに姿を消しております。CDの売り上げが減っているのは若者たちがCDより携帯電話やゲーム機器の方にこそお金を優先的に使うという状況がまずあり、売れているというi-podなどのダウンロード配信にしても、タダで手に入れられる違法サイトからのものが断然多い。タダのものやデータだけのものなどは愛着が湧くはずもないので飽きればすぐに消去。我々のようなパッケージ商品を崇めた世代とは心理的にも音楽に関する重要度はかなり下がっていることでしょう。いわゆる消耗品です。

そんな時代の空気を反映した音楽が過去の音源に勝てるわけがないのであります。もちろん良い演奏をする凄いミュージシャンは今でも世界中にはあまたといる。しかしその魅力が過去の名演と同程度であるならば、絶対的に過去の名盤の数々の方に軍配は上がります。良い悪いを越えた「時代の熱気」までもを再現することは不可能だからです。
だからこれら再発ブームは「なんだかなぁ」と思いつつも仕方のない現象と諦める他はないし、レコード会社を責めてもしょうがない。
そして結果的に音楽(ポピュラーミュージック)という20世紀最大の娯楽は古典芸能となって、新譜の方は細々とマニアの間だけで聴かれ、旧譜は名盤認定されたものだけが何度も何度も再発を繰り返し新たな聴き手を吸収しながら、これまた細々と存続していく未来を想像しております。

なんか暗い話になってしまいましたがw 今正直に思っている音楽という文化の行く末について考えてみました。我々、LPやドーナツ盤を知っている世代からすればなんともやり切れない話かもしれませんが、実際のところレコード文化というものもエジソンから100年、そして大衆に広く親しまれてからは70年やそこらでしょうか。黄金時代が去ったとしても納得できるだけの年月がすでに経っている事は間違いないところです。

最後になりますが、確か阿井卯栄男さんが紹介してた村西とおるの日記が読めるサイト、あれ、凄く面白くて全部読んでしまいました!
特に妻が夢中になってしまいまして、谷崎潤一郎の映画をこの人に撮ってもらいたいなどと申しておりますw
ここのコメント欄の方々にはそういったリンク先の提示でもお世話になっております。ただしそうやって飛んだ先で読みふけってしまうこともしばしばなので、ますますここへの書き込みができませんw
ともあれ、阿井卯栄男さんをはじめ、皆様方にも感謝、感謝です。
もちろん秀逸かつ面白く、幅広い記事を毎日提供してくれる野次馬さんには最大級の感謝を込めて、今回はこのへんで。ではまた。

round about midnightのコルトレーンの入り方に起ちます。

 Oh,ジャズ屋さん! やっぱり見てくれていましたか。嬉しいね。

 過去の音源以上の音楽が無いとなると、もうすでに音楽は終わっていますよね。これがジャズ屋さんの究極の見解なんでしょう。そりゃ、コルトレーンもジャッキー・マクリーンも凄いけど、たしかにチャーリー・パーカー聞いたら、やっぱこっちが上でしょ、ってことになる。ジャズに限らず、ロックも60年代のボブ・ディラン、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、S&G、ドアーズ、ジミ・ヘンドリックスを越えようと思えばまさにヒマラヤ最高峰。とても登頂不能ということになる。

 となると、音楽感動も過去志向ということにしかならない。これはもう、ジャズ屋さんじゃなくともドン詰まり感に陥りますよね。クラシックなんかも、基本的に19世紀のワーグナー現象で終わっている。それをどう解釈するか、乗り越えるかで、自分の音楽も大きく変わる。クラシックはまだスコアの再現ということだから、自分だけの表現の余地は残されている気はするが、テリトリーは狭まっている。

 だったら、民族音楽の収集によって道を開こうという方向もあるが、これまたもう未開の音楽もほぼ出尽くされた感じ。はっきり言えば、出口無しの袋小路に音楽ははまっている状況かも知れない。若い人がジャズを聞き、ロックを聴いても、過去に遡源せざるを得ない。聞く耳が育てば育つほど、過去志向とならざるを得ない。何かもう、嫁入り道具にピアノやってるような田舎お嬢か、カラオケおばさんからのし上がったスーザン・ボイルぐらいしか「音楽」は生き生きとして新鮮でないとするなら、ちょい絶望的になりますよねw

 どうすりゃいいんでしょうw 

 とにかく、CDという奴は、音楽の音楽のジャケット文化とライナーノート文化を破壊した。つまり、目で聞き、言葉で感じる部分を破壊し、これは音楽感動の想像力のレベルさえ犯そうとしている。大げさに聞こえるかもしれませんが、私はそう思っています。ネットゲリラさんがブルーノートの名曲名盤を広いスペースを取って視覚的に分かりやすく紹介してくれるのは、本当に有り難く思います。ネットゲリラさんも、同じような思いで、丁寧に紹介してくれているのかもしれません。となると、やっぱり、先祖返りで竹針復古?

 あらゆる悲観論は彼の現実的反映に過ぎない、という意見もある。つまり、この私の人生どん詰まりそのものが、音楽観に反映されているのかもしれない。そうだとしたら、こんな駄文、誰も読まない方がいいのかも知れないですが。それにしても、相変わらずというか、ジャズ屋さんの音楽観はクールです。幻想の部分がほんとにありません。これは驚くべきことですねぇ。あんまり長くなると、読みづらくなるので、いったんこの辺で。

40年ぐらい前「JAZZ喫茶でJAZZを聞いた。」と言ったら、家の近くのお兄さんに「JAZZはブルーノートの1500番台だ!」と言う暑きアドバイス。
貯金をおろして1500番台の98枚を買いに行った事を思い出します。
しかし、なぜか「クール・ストラッテン」はレコードで5枚も持っている。

ケン・バーンズの「JAZZ」と言うDVDを買ったのだが、難しくてよくわからん。
やはりJAZZ(音楽)は聞くものだ!!

天王寺トップシンバル・・・先日久々に行くと失かった・・・
懐かしい ゴルゴ13似の渋いマスター ドライマティーニ 
ノートに山ほど 落書きしたなぁ・・・涙も流したし
最終電車までの 銘JAZZ喫茶でした 

>良い悪いを越えた「時代の熱気」までもを再現することは不可能だからです。(ジャズ屋さん)

 クラシックでも、同じような絶望感があるかもしれませんね。たとえば、ストラディバリウスというバイオリンの名器は彼の作りあげた500丁余のバイオリンにいまだに及ばない。また、音楽家ではモーツァルト。彼の音楽性を越える天才はいまだ現れない。こうした現象も当時のヨーロッパの時代状況無しには語れないはずですが、ここのところの相関を十分に説明した音楽評論はあまり目にしません。

 話は飛びますが、1969年のウッドストック音楽祭。これはもう奇跡としかいいようの無い音楽祭で、聴衆とミュージシャンが一体となって、想像を絶するレベルの音楽を作り上げた場であったのですが、あれを復活させようとして何度かイベント屋たちが再企画を催したがことごとく失敗した。あれはまさに60年代の「時代の熱気」を総括した大パノラマであったわけです。

 よき音楽をう生むめにはよきミュージシャン聴衆が必要である。それはまさしく「時代の熱気」が必要ということになって、これはもうタイムスリップする以外無い。ちょうど今、100年に一度の金融危機に襲われているというエコノミストがありますが、私の予感ではウッドストックに象徴される1960年代から数えて100年後ぐらいに、また大がかりな時代の転機が訪れる予感はありますが。といっても、それは2060年w みんな死んでます。

  

阿井卯栄男さんへ

>もうすでに音楽は終わっていますよね

そうですね、いや、音楽自体は不滅だとは思いますが、従来の音楽業界が作り上げてきた、ある種の幻想のようなものはすでに終焉の時を迎えていると感じています。それは詰まるところ進歩史観による音楽史という意味においてでして、これは音楽に限った問題では済まない、大袈裟に言えば「文化」全体の危機なのかもしれません。実際、趣味の細分化だけでは説明できない程、テレビでも映画でも過去のアイデアや脚本に負けているからこそ衰退している。CGによるリメイクで一見映像的には進歩しているようでも内容が原作に遠く及ばないのは、多くの方が指摘する通りです。

私がクールな分析をしてるとの褒め言葉(?)も頂戴しましたが、考えてみますと、私が音楽を聴き続けてきた中で得た結論とは音楽は「音」でしかない、というような至極単純な事なんです。現代人はそこに物語を付加することでただの娯楽だったりお祭りの伴奏に過ぎなかったはずの「音」に意味を持たせてしまった。その一番顕著な例がジャズでして、黒人さんたちが西洋楽器を手にして面白がって音を出し、踊って楽しんでいただけのものを白人さんたちが理論的に説明しようとする。アドリブは崇高な行為のように思われがちですが、私のような凡人ですら演奏していて気分が乗ってくればメロディを崩したくなるのはジャズなんてものを知らない時から普通にやっていた自然な行為です。自分のキーに合わない曲の一部を自己流に崩すことで解決する、なんてことは市井のおじさんおばさんの鼻歌にこそ多く見られる技であります。

もちろんこうしたただの芸能行為を芸術として持ち上げるジャーナリズムの存在によって産業としては右肩上がりの成功を遂げたことは事実ですし、それによって生活することが出来たミュージシャンの多くは、この芸能の芸術化に喜んでいたかもしれない。しかし最終的には自らの首を絞める結果となったこともまた事実。アドリブの方法論ばかりが重視されるジャズという狭いジャンルの中では、楽しむことよりも生き残りを賭けて新たなイノベーションを図る方向にどうしてもなってしまう。その結果がフリージャズであり、民族音階を探求したコルトレーンであり、ロックやファンクを取り込んでフュージョンの礎を築いたマイルスであったのでしょう。これらの音楽を私はすべて愛聴しておりますが、このような進歩=素晴らしい、という考え方がどこかで頭打ちになるのは当たり前のことで、ジャズはラディカルに推し進め過ぎた分、他のジャンルに先んじてその壁にぶち当たることとなって今に至る。今とはまさにブルーノートやプレスティッジの定番をリマスターしたり格安にしたり、手を変え「品を変えず」に再発し続ける時代ということであります。

詰まるところ、私の結論は芸能に物語(理論や差別問題や政治など)を付加して芸術にしてしまうと、マルクス主義のような進歩史観に絡めとられて最終的に身動きが取れなくなる、ということです。理論的な頭打ちだけでなくハードの発達に頼る進歩も同じ事で、エレキギターが開発されればそりゃ新しい音は生まれるし、機材が進化する度にみんなが聴いたことのない音が誕生していたのも今は昔、コンピューターの発達によって人間の可聴範囲内にある音はその音色も含めて、もはや楽器ができなくてもすべて再現可能となっている昨今、コンピューターでリッピングした波形以外の要素を探すとすれば、それは先に述べた「時代の熱気」のような非科学的なものでしか有り得ません。しかも厄介なことに我々音楽ファンはそんな時代がもう訪れないことを薄々知っている。阿井卯栄男さんが例として挙げたウッドストックの頃のような熱気は一度やってしまったが故に、二匹目のドジョウはいない。あるとすれば別の形の熱気、それは20世紀のような進歩史観が活きていた時のものとは違う、ある種絶望的な空気感が最大限に高まった頃に誕生するやもしれません。いや、これもすでにロックの世界では具現化しているのかもしれず、現在最先端と呼ばれる前衛的なロックのダークで混沌とした陰鬱さは、私などはとても聴けたものではありません。

>音楽のジャケット文化とライナーノート文化を破壊した。

CDがジャケットの価値を台無しにしたことは多くの方の共通の嘆きでしょうが、ライナーノーツまで破壊したとのご指摘は慧眼ですね。
確かにCDのライナーをじっくり読むことはなくなりました。日本盤を買うメリットは今やライナーの有無ではなくボーナストラックの存在に委ねられていると思います。
しかし私の見解ではジャケットはパッケージ商品としてのデザインを楽しむ観点から文化破壊というご意見に賛成なのですが、ライナーは物語性を補強するものとして邪魔な駄文がLP時代にも多かったことを覚えておりますので、全面的同意ではないことをお許し下さいw
でも、思い出してみればジャズであれば油井正一さんの解説などは名文でしたし、私の嫌いな中村とうよう氏w のような差別、被差別の話を音楽に持ち込まず純粋に良いところを褒めるようなスタイルは大好きでした。そう考えると今はまともな評論家がいないという事には同意です。中山泰樹氏というマイルス至上主義の人は文章は面白いのですが、いかんせんマイルスをすべての基準にして語ってしまうので真に受けることはまったくできません。ジャズ喫茶の時代が終わり、いつのまにかカルチャースクールのジャズ初心者入門のようなインチキ講座の講師になっていたりする元ジャズ喫茶マスターたちの文章は論外で、読むと頭にきますw

>100年後ぐらいに、また大がかりな時代の転機が訪れる予感

それだけ経てば想像もつかない熱気が世界を覆ってるかもしれませんですねw ただ、私の結論に整合性を探るならば、これは音楽のみならず文化全体に言えることで、もはや進歩というものは幻想である、と。いや、文明と大きく風呂敷を広げたところでやはり人類が進歩しているとは到底思えない。一部分だけ進歩したように見えてもその分どこかは凹んで逆行している、プラマイゼロ、そんなイメージが真相に近いのではないでしょうか。
だとすればもし20世紀に匹敵するような熱気を帯びた時代が来るとすれば、それは再発見の熱気かもしれません。今のような見落とされがちなミュージシャンの再発見ではなく、音楽文化すべてが忘却されたあとにふと誰かが考古学的発見のように大騒ぎして広まるムーヴメント。そんなものしか予想できない私ですが、まあ、予想を裏切るような面白い時代というものは常に期待だけはしておきたいものですね。

ひとつ音楽の未来ということで思い出したのは、ブライアンイーノというミュージシャンがいまして、この人はアンヴィエント、環境音楽というものを作って今の癒し系、ヒーリングミュージックなんかの元祖みたいな方なんですが、この人の未来の音楽についての予言というのがありまして。
それは何度も同じ曲を聴くようなスタイルは滅びるだろう、というものなんですが、つまりレコード(録音)文化の消滅ですね。聴こうとする度にその時の環境に応じてメロディもリズムも変化するようなものが主流になると言ってるわけです。固定した「楽曲」というものの終焉。
これはすでにパッケージ文化が衰退し、音楽自体がデータ配信に移行しつつある現在から見ても充分有り得そうな予言でして、先に述べたように楽器や歌唱すらできない人でも音楽が作れる現状、コンピュータがランダムにその都度作曲する形態というのは、もう、すぐそこまで来ているように思うのです。将棋のソフトに羽生や渡辺といった現代最強の棋士たちの最新棋譜をどんどん入力して、ソフトの棋力が日進月歩で上がっているそうですが、これと同じように今までの音楽ソフトのアーカイブを自動生成のマシーンに全部突っ込んで、聴くたびに新作が出てくるようなハードの発達というのは充分予測の範囲内でしょう。すでに我々が愛したジャケットや、私は批判の立場ですが音楽を支えていた「物語」がまったく存在しない、データだけの音楽をi-podでランダム再生するのが主流になっているのですから、音楽の匿名性はすでに達成されているわけです。ここから曲名までも剥ぎ取ってしまうまでに、そう時間はかからないかもしれません。
初音ミクとかいうボーカロイドに歌わせた動画がネット上で人気を博していることを鑑みても、このブライアンイーノの予言というのは結構いい線を突いているように思うのですが、どうでしょうか。

またお約束のように長くなってしまいました。
他の方にもコメントしたかったのですが、今夜はこのへんでご勘弁。
こういう話は書いてて面白いので、またいつでもパス出して下さいw

最高の聴衆と最高のミュージシャンのLIVE
現代日本で スポンサー無しで続けている唯一無二の野外コンサート
それが 春一番コンサート
ミュージシャン達がGWの予定を意識的に空けて待っている
忌野もそうだった 今年は追悼
そこには確かに それがある

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