早稲田大学
水島ゼミ


ホームページ
水島ゼミとは
発表レジュメ
ゼミ生コラム
合宿報告
掲示板
お知らせ掲示板
リンク集
ご感想・ご意見等、
メールは↓まで。
mizushima-s@pos.to
発表レジュメ
発表レジュメ
発表レジュメ

2002年度早稲田大学法学部水島ゼミ(憲法)前期

事件の概要:【市川の一家四人殺害事件】
(千葉地裁判決平成6年8月8日判タ858号107頁)

確定死刑囚
(氏名)
 S・T
事件当時年齢
 19歳
犯行日時
 1992年3月5日
罪 状
 強盗殺人罪。他に婦女暴行、傷害など。
事件名
 市川一家四人殺害事件
事件概要
 店員である少年(19)は、知り合いのホステスを自室に泊まらせたことを暴力団員に脅され、200万円を要求されたため、強盗を決意。2月中旬、市川市内でたまたま通りかかった会社経営Yさん(42)の長女(15)を暴行し、奪っていた身分証明書からYさん一家の住所を知っており、押し入ることにした。 1992年3月5日16時半頃、会社役員Yさん宅に押し入り、寝ていたYさんの母親(83)から現金8万円を奪ったうえ、首をビニール製コードで絞めて殺した。長女が帰宅したところで監禁。長女の目の前で、19時ごろ帰宅したYさんの妻(36)の背中を包丁で刺して殺した。同21時半すぎ、帰宅したYさんから預金通帳などを奪ったうえで刺し殺し、翌6日6時半すぎには泣き出した次女(4)を刺殺。長女にも切りつけて背中などに約2週間のけがを負わせた。 少年は、奪った数十万円に満足せず、午前1時ごろ、監禁していた長女に、Yさんの会社に「金が必要だから通帳を取りに行く」と電話させたうえ、市川市内のYさんの会社に連れだし貯金通帳や印鑑などを会社に残っていた知人から受け取らせていたこともわかった。その際、長女は知人に「雑誌で記事をかいたことで脅されている」と説明。助けは特にもとめなかった、という。不審に思った知人は派出所に連絡、午前1時半前後に署員がYさん宅に出向いたがその時は電気が消えており、応答もなかったため不在と思って引き揚げた。 午前9時過ぎ、Yさんの知人から「社長宅の様子がおかしい」と近くの派出所に届け出があり、署員が現場に駆けつけた。玄関のかぎがかかっていたため、隣室のベランダをつたって窓から入ったところ、4人が別の部屋で死んでおり、部屋の中で少年と長女が呆然と立ちつくしているのを発見し、少年を連行。深夜、逮捕状を請求、逮捕した。 長女は少年に脅されただけであり、事件とは無関係である。 少年はほかに、行きずりの女性を強姦したり、路上ですれ違った車の運転手に傷害を与えたりするなど、1991年10月から一家殺害直後に逮捕されるまでの約5カ月間に計14の犯罪を繰り返した。
一 審
 1994年08月08日 千葉地裁 死刑判決
控訴審
 1996年07月02日 東京高裁 控訴棄却 死刑判決
上告審
 2001年12月03日 最高裁  上告棄却 死刑確定
拘置先
 東京拘置所
裁判焦点
 死刑廃止は世界的な潮流であり、死刑の摘要は避けるべき。 少年法は18歳未満の被告に対しては、死刑が相当の事案でも無期懲役とすることを定めている。被告は当時19歳1カ月で、少年の矯正を目的とする法の精神を考えると、量刑は重い。 父親の虐待による心的外傷や、少年の胎児期に母親が流産予防薬を大量に使用したため、攻撃的な性格が強まり、抑制する能力が減退していた。
その他
 事件当時、「週刊新潮」と「フォーカス」は、少年を実名報道した。「少年法に対する問題提起」という理由だったが、東京弁護士会は「人権を損なう行為」であると、要望書を新潮社に郵送した。 少年被告の死刑確定は、統計を取った1966年以降、8人目。

 

死刑制度のページに戻る