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   句 の 陣 営   -情況への恋歌- 思想の深さだけが白い闇に届くだろう                                                                                                                                          このページをアンテナに追加 RSSフィード

  ☆有用性を超えた彼岸こそ至高性の領域である。−バタイユ

2009-06-22

LEC大学破綻、詐欺も同然

いつかいつかと待ちに待ちましたが、とうとうLEC大学が学生募集停止になりました。

何でも市場原理導入、初の株式会社の大学。

第一期大阪校入学をしたら、カリキュラムはまだ未定部分があり、ほとんどVTR授業。

事務局に何を聞いても曖昧、解らないことは東京本部の指示待ち。

学校の体をなしていない。その後もさまざまなトラブルで世間を騒がせてきた。


よくもこんないい加減な学校?を大学の要件を満たしていると認定したものだ。文科省はどこをみて認可したのだろうか?あまりにも杜撰な認可だと思う。


そもそも大学における学問が、LECが売り物にしたような功利主義的な実利ノウハウだと摺り返られて、専門学校化し始めたことが間違いの因ではないのか?


皮肉なのは、もともとのLECは企業経営スタッフや権力維持スタッフへの資格試験勉強を教え、それを経営陣は自らの学校運営に応用したはずである。

それが見事に外れ、自らの経営能力のないことを天下に晒した。


ここに露呈した本質的問題は、教育や大学という圏域には市場原理はそのままあてはめることができないということである。

企業や商品と同様な、市場原理によって学生が集まるという錯覚は、教育の本質論から逸脱した誤認である。


鶴見俊輔が、今の文科省は教育をスロットマシンだと思っていると語っていたが、いくら投資すれば自動的に投資以上のリターンがあるなどと単純な発想でいくはずがないのだ。そもそも投資以上のリターンはいかなる基準で決めるのか?人間の生産(教育)は、答えのある問題を解けるという能力ばかりではなく、窮地に答えの決められていない回答を創造する能力を育まなければ教育ではないだろう。そうすると、もともと教育投資にたいするリターンなどというものは、測る基準自体が単純に設定不可能だと思った方がいいのだ。


小浜逸郎は、学問=思想についてこんなふうにいっている。

思想とは、おそらくこの不安と焦燥の蓄積(家を出て途中で鍵をかけ忘れたのではないか、戻ろうかこのまま目的地へ行こうかという不安と迷いの状態−それが続くと不安と焦燥にかられる)と共に発生した「考え」のことなのであって、いかに目的地にうまくたどり着くかという単純な実用性に密着した「考え」とは違うのである。


また約束のことなどより戸締りの方が絶対的に大事だからただちに取って返すという「考え」とも違うのだ。


現代思想の困った人たち」は「思想」というものを、どこかでこのどちらかの「考え」に似たもののように思い違いをしている。

約束が大事か、戸締りの確認が大事か、どちらかを選べという決断に素早く身を寄せることが「思想的に考える」ことだと信じているのだ。


迷いと焦燥の現場で考えあぐねた結果、いずれにせよ人は結局、自分のつま先を目的地か家路かにしぶしぶ向けざるをえないだろう。しかしそれまでの長い逡巡の過程に寄り添うのが思想なのである。


−『現代思想の困った人たち』より−



とりあえず、大学が学問を探求する場であるなら、学生に短兵急な結果を要求してはいけない。会計士合格率何パーセントなどというのは、専門学校でいいのである。


なお鷲田小弥太が、論文も著作もろくに出さないグータラ教師が多くて困る、ノルマがきつくなったといっても2、3年に一冊ぐらいのペースで著作を出せないようなやつは失格だ、とぼやいておりましたが、それはまた大学における研究者とは何かという各論で、大学人自身が論議すべき問題だ。

nakamas@kenroku.kanazawa-u.ac.jpnakamas@kenroku.kanazawa-u.ac.jp 2009/06/23 15:24 仲正昌樹だ。名誉毀損に対する謝罪を求める。

nakamasamasakinakamasamasaki 2009/06/23 15:26 謝罪しなければ、hatenaに住所と名前の開示を求め、法的措置を検討する

とりおとりお 2009/06/23 21:14 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090623
同じコメントがこちらにもありますね。

mochizukishikoumochizukishikou 2009/06/24 00:39 >仲正さん
本物の仲正昌樹さんですね、ご来訪いただき光栄です。なにしろわたしのような者のところへ
こんな有名人がくることめったないので、嬉しく思います。なにしろ深夜しか帰りませんし
体調わるければすぐ寝てしまいますので、遅くなりすいません。
1.まず指摘の件ですが、山崎行太郎氏のブログコメントの件ですよね。
消されていたようなので、おおよそのことしか記憶にありませんが、ネットでの
書き込みで、あの程度のものがご指摘の名誉毀損を構成するのかどうかわたしに
はよくわかりません。仲正さんのほうがよく解っているのではないでしょうか?
わたしは仲正さんのネット上の経歴をみて、事実だと思っていましたから、その
ように書いたわけで、事実でなければそれはわたしの安易さのなせるところで
申し訳なく思います。その他のコメントは人それぞれの立場による感想ですから
致し方ないと思います。仲正さんはれっきとした国立大教授、わたしは市井の貧
しい一老人です。言論や著述に携わっていれば、それらが一人歩きするし、著者
への勝手な解釈も巷間をにぎわすことにもなりましょう。そういうことを考えると
仲正さんが名誉毀損だといっても、世間からみれば、あの有名な人が無名の老人
にクレームをつけているという印象だけが一人歩きして、決して仲正さんの利益
にはならないと思います。

2.わたしのスタンス。
とはいっても、現実的に仲正さんが立腹されているわけで、本意ではありません。
わたしは相手を感情的に立腹されるために過剰なもの言いをするわけではありません。
論議の端緒をつくったり、ホンネを引き出して論議を深めたりするのが目的ですから、
相手が立腹したときは素直に謝ります。ひとのルサンチマンやコンプレックスによる
ボーダーラインがどの程度かは本人しか解り得ませんから、いつでもそのときは誤って
います。ですから、逃げも隠れもしませんし、本名でこのブログも立ち上げています。
ひとの感情は理屈でいい悪いではありませんから当然です。
以上のようなポリシーを課して今までやっていますので、名誉毀損かどうかは別にして
仲正さんが納得のいくようにさせていただきます。ただし金はないですよ(笑)。

3.実際の話。
まあコメントはあのように書きましたが、実際は以前から仲正さんの著作は読ませて
いただいております。『日本の現代思想』と『日本とドイツ二つの戦後思想』などは
解りやすく大方納得できるものでした。友人にもかなり薦めましたね。いいできばえ
だと思います。しかし、その後信者としての仲正さんがどういう内在的な発露から
哲学や思想にかかわっているのかその筋道がよく見えなくて、読んでいません。
わたしは何処といわずに宗教は生理的にすきでないので(まあこれこそがわたしの
コンプレックスですが)言説を好意的に受入ていただけに落胆もした、というのが
本当のところです。
ともあれ、感情は感情の処理のしかたで対応するしかないと思っています。
以上。

mochizukishikoumochizukishikou 2009/06/24 01:08 >仲正さん

アウトルックのアドレス後でしりましたが、送信の仕方がわかりません。
通常のアドレスをいただければソチラに送ります。あるいは操作方法を
教えてください。

山崎行太郎山崎行太郎 2009/06/24 03:33 失礼します。山崎行太郎です。いつも拙ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。またコメント、いつも楽しく読ませていただいております。
さて、「仲正昌樹」なる人物の「名誉毀損」がどうのこうのという警告文の件ですが、小生の方でも、新しい記事をアップしましたので、お知らせします。今後ともよろしくお願いします。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

mochizukishikoumochizukishikou 2009/06/24 04:57 >山崎行太郎さま

またまた大物登場で恐縮します。山崎さんのブログ上でかかる不始末、大変ご迷惑
おかけします。実際は結構仲正氏の評価はわたしの中では高くて、人にも薦めてい
たのです。金沢大の法にはわたしの古い知人もいて(ここでは名前はいえませんが)、
勝ってな親近感もあったのですが、しかしいきなりで面食らっています。
わざわざご連絡いただき恐縮します。また拝読させていただきます。
ありがとうございます。

nakamasamasakinakamasamasaki 2009/06/24 14:41  ブログを開設している人がメールを送れないというのも、自分が書いたコメントをよく覚えていないのも、私には理解しにくいことだが、放っておくと返事がないままだし、山崎行太郎があることないことを妄想を交えて書きまくって、手が付けられない状態になっているので、問題点を指摘しておきたい。なお私は今後はこのブログも、山崎のブログも見ないので、返事はきちんと、メールで nakamas@kenroku.kanazawa-u.ac.jpに送って頂きたい。リンクが出来なくても、メールは送れると思う。

あなたの書き込みは以下の通り、

「>パンさん
仲昌正樹は統一教会です。今かどうか知りませんが、オカルトにこるような教授はろくなものではありません。」

名前を間違っているのはまだいいとしても、「今かどうか知りません」は、偽装脱会か、現在も信者であることを匂わせる言い方である。私が統一教会にいたと知っている以上、29歳の時にやめたと繰り返し言っていることを知らないとは考えにくい。たとえ偽装かと疑っていたとしても、公の目に触れる書き込みをする以上、仮に記憶がはっきりしていなくても、確認すべきである。確かめること自体は極めて容易であるはずだ。
一番問題なのは、「オカルトにこるような教授はろくなものではない」という表現。これが本人の名誉を傷つける表現でなくて何だろうか?統一教会をオカルトと思うのは勝手だが、教授になってから、オカルトが好きだからという理由で、こったわけではない。この表現ではまるで、教授である私が最近になってオカルト趣味に走って、それで統一教会に入ったかのように聞こえる。
「ろくなものではない」と言っておきながら、実は評価しているというのは全くもって解せない。危ない奴なので、こんな奴の本は読まないようにしましょう、と促しているように見える。本当にそう思っているのなら、言ってもいいが、その場合は、正確な事実関係に基づいて主張すべきである。誤解を招くような表現はおかしい。
漠然と部分的な事実関係だけを不正確な形で示し、その人物の評価を低めるように誘導する表現をするのは、名誉毀損ではないのか?一般社会で六十すぎまでまともに働いたことのある人が、そういう不注意をするとは思えない。だから、名誉毀損を意図的にやったものと判断した。
しかも、そういうことをよりによって、山崎のようにあることないことを書くくせのある人物のブログに書き込むのは問題である。山崎ブログを見れば分かるように、山崎も当初のあなたと同様、いい年をして、どういうことが、単なる事実の指摘で、それをどのようにゆがめると名誉毀損になるか分かっていない。私のことを知らないと言いながら、そのすぐ後で、私が保守・右翼を自称しているとでたらめを述べるとか、世界日報の鴨野氏(私にとって教会時代にもあまり接点がなく、長いこと忘れていた人物)のことを急に持ち出すとか、常人とは思えない。彼があれを大真面目で書いているとしたら、もう終わりだと思うので、基本的に無視することにはするが。
統一教会時代のことは、近い内に、まとめて本にして出す。山崎のようなものに、勝手に妄想されるいわれはない。

以上のような理由から、六十一歳の良識ある大人の書き込みとは思えないので、名誉毀損と断じて、怒った。繰り返しになるが、今後は直接のメール以外ではコンタクトを持つつもりはないので、言いたいことがあれば、上記のアドレスに返信するようにして頂きたい。

マイケルマイケル 2009/06/24 18:51 こんな汚い文章書く人が東大博士号持ってるんですね
何を勉強したんだか
結論を述べない文章を書くところが非常に日本人らしい

喜八喜八 2009/06/24 22:18 mochizukishikou 様、はじめまして。

> nakamas@kenroku.kanazawa-u.ac.jp 2009/06/23 15:24
> 仲正昌樹だ。名誉毀損に対する謝罪を求める。

↑いきなり、こんな文言を未知の人物に投げかけるのが「いい年をし」た「良識ある大人」とでも
いいたいのでしょうか(笑)。

というか、そもそも文学者や思想家がいい年をし」た「良識ある大人」である必要なんか
どこにもないように思いますが?
仲正昌樹センセー、はっきり言って、あなたの文章は退屈きわまる上に、
いささか品性に欠けるようでありますよ(笑)。

mochizukishikoumochizukishikou 2009/06/25 00:34 >仲正正樹さん

コレかいてももう見ていただけないのでしようかねー?でも一応せっかく来て頂いたのでお返事しておきます。
お怒りの因がよくわかりました。先のわたしの「言い訳」で書きましたように、相手が怒れば理由の如何を問わ
ずに謝る、というのがわたしのスタンスですので、そういう点でご立腹なら謝りましよう。
しかしだからといってわたしの意見を引っ込めるということではありません。

仲正さんは基本的な錯覚があるように思います。

1.普通の生活者は、知識人がモノゴトを論文を書くように正確にひと−それも著書でしか知らないような
ひと−のことを記憶したり調べたりして発言しているわけではないという単純な常識であります。
知識人が、言説の切り売りを生業にする限り、それは死活問題になりますから、ご指摘の「正確でない」という
ことに拘るのでしょうが、こういう庶民や生活者の基本的生態を基本認識として根底にもたない知識人は
どうも信用できないのです。

2.仲正「一番問題なのは、『オカルトにこるような教授はろくなものではない』という表現。」
この言い草は、庶民の間では常識なんですね。うちの父親は無学でしたが、しょっちゅう言ってましたよ、
「宗教にこるようなやつはろくなものじゃねぇ」。わたしも肌身に沁みて、宗教(種類を問わず)にこる人間
が粘着的陰湿的タイプで、周囲の人間に迷惑をかけているのを体験しています。全てとはいいませんが、
庶民の中では、尊い箴言のひとつでしょう。こういう庶民の智恵をバカにしている知識人には、こんな言い方
もあります。「不在の神になお信を置きうる人間を成熟した人間と呼ぶ。それはおのれの弱さを計量できる
もののことである。」−レヴィナス。レヴィナスは、絶対知(神)へ帰依したときから、「神/歴史が命じた
から」という根拠づけに逃避し主体なき無−責任に転落すると辛らつに述べているのです。

教授になってから統一教会とは関係ないことを正確に認識して欲しい、という仲正さんの願い
は了解しました。しかし、そういうことに拘るよりもあなたの学問がどういうあなた自身の生
の体験と内的必然によって根拠付けられているか、その方が重要なのではないでしょうか?
その意味で、今の教授の権威づけではなくて、「統一教会入信と脱会」の思想的総括を今度書
かれる本で期待したいと思います。その質的レベルがあなたの「信用」だと思っています。

3.仲正「山崎のようにあることないことを書くくせのある人物のブログに書き込むのは問題である。」
これは山崎氏への名誉毀損ではないか(笑)。まあ仲正さんでしたらそういうでしょうね、自分の場合
には(笑)。おおきなお世話というものです。山崎氏はいつも自分の拠って立つ立場を鮮明にして語る
生活と思想が内的に統一されたいまどき珍しい思想家ですよ。ただ言説が正しいかどうかではなくて、
文章の行間、あるいは文体の中に読んだものを勇気づけてくれるような迫力があります。そこが並みの
知識人と思想家山崎行太郎を分ける大きな違いだと思います。仲正さんの資料も手際よく事実だけを
みごとにまとめられています。自分の気に入らない感想はすべてデタラメ呼ばわりはいかがなものか?

(蛇足)こういう神経症的な突っ込みしかできなくなっている今の大学教授は一般的傾向なのでしょうか?
わたしはよく判りません。山崎氏はあれだけタチの悪い右翼もどきに絡まれても平然と言いたいことを主張
している。この差をなんなのだろうか?わたしも、2chで「mochizukishikouって山崎に騙されているよう
なやつだから、頭悪いやつには間違いないだろう」などと書き込まれてましたが(笑)、まあ仲正さんも
わたしのような無名の俳人のいうことにいちいち目くじら立てるより、一冊でもいい本を書いてださい。
ご健筆期待しています。

mochizukishikoumochizukishikou 2009/06/25 00:36 >とりおさん

おそくなりましたが、ご連絡ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いします。

mochizukishikoumochizukishikou 2009/06/25 00:40 >マイケルさん

慰問?ありがとう。うんちょっとヒステリックですね。神経症的というか。プライドもありむつかしいひとなんじゃ
ないかな。MIXIで右翼政党新風に絡まれて依頼ですね(爆)

mochizukishikoumochizukishikou 2009/06/25 00:48 >喜八さん

お初です。コメありがとうございます。わたしは大分良識ないようなので(笑)。
少し神経症的ですかね。あるいは、教授になってからは統一教会とは関係ない
と強調してますから、本人の中でも忸怩たるものがあるのではないかと想像しますね。

はやくそういう体験をプラスにするには、思想的総括を公に発表してしまえばいいと
思いますが、未だにやってないということは、本人にまだわだかまりがあるのでしょうね。

これを機会に今後とも宜しくお願いします。

ゲスト