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2009-06-24 14:01:09

DV

テーマ:ブログ
ALOHA色*
眩しい光をまぶしいと感じること、
そよ風をキモチいいと感じること、
嬉しいことを喜べること、
ストレスを発散できること、
思いっきり叫ぶことができること、
腹の底から笑うことができること、
季節を感じること、
たくさんの景色を見れること、
いろんな人との出会い、
自分の意志で動けるという自由な時間。
ごくごく当たり前のことを喜べる、心が豊かな状態がどんなに人間らしいか。
DV(ドメスティック•バイオレンス) なぜ、このことについて書こうと思ったかは、
世界でも、もちろん日本でも、DVが増えているということ。
そして、加害者も被害者もそれに気づかないことが多いということ。
だから、もしも悩んでいる、そうかもしれないと心当たりのある方がこれを目にして何か感じてくれたら、そしてDVを知らない人が、こういうものなんだあと知ってもらえることに何かしらの意味があるんじゃないかな、自分は、伝えるために経験したんじゃないかな、って。
そう思ったので、書くことにしました。
嫌いな人は読まないでくださいね。

DVとは、家庭内で怒る暴力のことだけではなくて、恋人や友人、仕事、親しかったり近かったりする関係の間にておこる異常な精神的暴力(過剰な縛り)、肉体的暴力等のことをいいます。
全く無知だった私は、それがDVだとも知らずに、知らず知らずのうちに、 DVの被害者へとなっていきました。それが、2から3年前。 私の場合は仕事関係の人でした。以前入っていた事務所の方だったので、私は信じきっていました。人生どこで何が起こるか、ホントにわからないものです。

NOと言えば怒られ、脅され、精神的自由はなくなり、友達はいなくなり、そのうち暴力が始まり、身内とさえ自由に連絡がとれなくなりました。電話は盗聴器をつけられ、携帯はかえさせられ、アルバムは燃やされ、写真に男の子が写っているだけで殴られた。全てのことにYESと言わなければならなくなっていきました。仕事のために我慢した時期もあったけど、そのうち、自分という人間がわからなくなり、生きてるんだかわからなくなりました。私の意思では動けない。着る洋服も。言葉さえも。一人で外には一歩も出られなくなり監視カメラもついていて、私は軟禁状態でした。
ブログには嫌な言葉を書かされ、孤独に陥れようとしてきました。ステージで仲間のことを悪く言わなければならなくなりました。仲間と応援してくれる人、大切な人を裏切るのは、とても苦しかった。考えると胃が痛くてもがき苦しみ、眠れない日々が続きました。
それでも私はただただ言われる通りにしなければならなかった。そうでなければ、何をされるかわからない、そして、その人はもっと苦しいんだ、と、だから私の苦しみなんてへっちゃらだ、と、完全に被害者の心情でした。
仕事の練習時間でさえとらせてもらえなく、心もがたがたで、でも、みんなでやると言ってはじめたこと、契約はまだ残っていて今やめたらお金も大変だし、チケット買ってもらっちゃってるし、とかいろんなこと考えちゃって。やりとげるしかなくて。でもでも、今目の前にいる人のために全て忘れて実力も心もがたがたでも精一杯やろうと必死だった。案の定、失敗もたくさんして、一部からは非難をあびた。もう全てが悔しかった。けど、それも自分の中で消化するしかない。
それよりも、生きることで精一杯になっていた私は、生きている意味もわからなくなって。
逃げてみようかな、と鞄をもって靴を履いた。それが、どうした、私!?って思うくらい足が震えて心臓はばくばく。結局怖くてあわてて片付けた。
横になりながら、テレビを見ていたら、江原さんが出ていて、念じれば思いは通じると言っていたので、私はママにパパに助けてと念じてみた。気づかれないように静かに涙を流しながら。
そうすると次の朝、ママから1通のメールが届いていた。「ゆかり、大丈夫?変な夢をみたの」って。
けど、大丈夫じゃないなんて返せない。そんなのも全てばれてしまうから。送信メールを消したって、受信メールを消したって、NTTに連れて行かれて全て記録を出さなくちゃいけないから。
そのとき、長く付き合っていた遠距離の彼のことがバレて、一方的に酷い言葉を返し、終わりに。
まあ、あたしが悪い。彼にはとても、とてもごめんね。
その後はもう、殴られる、殴られる。
「痛いからやめて」と言えば、「俺の心はもっと痛いんだ」と言われ、殴られる。
きっと私が暴れたら刃物持ち出すだろうなって、我慢した。
だんだんと時が過ぎていった。

契約していたステージは全て、なんとか終わり、
「契約が終わったら逃げ出すんだろう、どうせ」と弱気に呟いていたその人にもちろん、「うん」なんて言ったら殴られる。けれども、完璧被害者心情な私は、暴力がなくなれば、もう少し様子をみようかな、なんて思っていた。それもこれも、仕事のためだと決めていたけれど、情もうつってしまっていて。すごく悲しそうにされるから。体が弱くて寝込んだり、両親のこと、過去のことも話されすごく寂しそうにするから。
と、逃げるに逃げられなくなっていて。
けども、暴力はやまなかった。
私の心はもう死んでいて、いつからか笑うことさえ忘れてしまっていた。常に様子を伺ってびくびくしていたのを覚えている。

ただただ思ったのが、私、普通でいいや、って。
暑かったり、寒かったり、悲しかったり、楽しかったり、
普通のことを普通に感じたいと思った。
別に、小さい頃からの夢なんて、いいやあって。
自分、ていうものを表現できないってこんなに苦しんだあ、って。そうも思った。
そして、私はこのままどうなるんだろうって。
そうするととにかく早く抜け出さなきゃ、って冷静に思った。
心が完璧に死んでしまう前に、早く普通の生活に戻らなきゃって。
全てをびくびくびくびくしながら計画して、

逃げた。
全てを置いて、バックひとつ持てていることを、今だ、と思い走った。
階段を駆け下りた。
後ろを振り返りながら、異常な恐ろしさと不安と共に、走った。
周りの人は、びびっただろうな。
とにかく、何をされるかわからない。
その人は人を使って人を苦しませる。
だからはやく、ママとパパと弟に連絡を入れなくちゃ。
ホームの公衆電話から、パパだけに通じた。
とにかく電話がきたら、こう言えってだけ伝えて、私は大丈夫だから今から帰るねと伝えて。
電車に乗った。
乗っている間も緊張。きょろきょろきょろきょろ。手下がいるんじゃないかって怖かった。

到着。
全てを話し、親の愛情ってすごいなって感じた日でした。
その人にも親の愛っていうのを感じて欲しかった。
愛の感じ方を知らない人がDVになるケースが多いと思う。
人の愛し方を知らない人が間違った方向に愛を表現してしまう。
男とか女とか関係なくて。愛って深い。
私も自業自得。仕事のために偽った愛。そのときの私は最悪だ。
何より救われたのが、男と女の関係はなかったこと。
どこまで明かすんだよって感じだけど(笑  本当に救い。

ママに会って言われました。
「ゆか、今小学生みたいな目をしているよ」って。
「何も知らない、子供の純粋な目になってる、ゆからしくないね。もっと意志が強かったのに」って。
しばらく何もする気がおこらなかった。少しうつっぽくなっていた。
とりあえず、このままでもいけないと思って。

南の国に行こうと思った。ずっと行きたかった沖縄に、やっと行ける時がきたと思って、
思い切って両親を説得し、飛んでみた。
心を落ち着ける旅に、いろんな人と出会いたいと思った。
那覇を経由して宮古島に到着。
今思うと全てがつながっていたんだなと思う。
一番最初に泊まった宿で、たまたまインターネットで開いたページに、
DVのことがかかれていたんだもの。
私は、そのとき初めて自分がDVにあっていたんだって知った。
あー、これだったんだあって。
まだアザも残っていてそのアザをみながら、いろんなことを思った。
本当は警察にも行けたんだあって知った。
もっといろんなこと知っておけばよかったって。
沖縄でも最初は人のことをあまり信じられなかった。
仲良くのなり方がわからなかったり、なんかね、変だった。
結局そこに半年以上住むようになって、だんだんと元の私にもどっていったのだけれども。
元にもどったっていうか、プラスされたことがたくさんある。
そして今の私がいる。
全て、経験してよかったと今は思ってる。
こうして全てを受け止めて楽しく生きていける心を手に入れたから、
全て、経験してよかった。
失ったものもたくさんあるけど、きっとそれは、これからだんだんと取り戻していける。
そう思って忘れずに生きている。

もし、これを書いたら、また何かされてしまうかな、と少し怖さはあるんだけれどね。
だから少し経ったら消しちゃうかも。
でも、少しでも何か感じてもらいたくてさ。被害者も加害者も幸せになれるよって気づいてもらいたくて。
ALOHA色*-DVC00145.jpg

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