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栃木県足利市で女児が殺害された事件の犯人とされ、無期懲役が確定した菅家利和さんについて、東京高裁が「犯人と認めるには合理的な疑いがある」として裁判のやり直しを決めた。
精度の低い初期のDNA型鑑定と、うその「自白」。それらを過信してしまったことが誤った判決を導いた。再審開始決定は、そう読み取れる。
再審裁判での無罪判決は確実だ。戦後、4人の死刑囚が再審無罪となったほか数々の冤罪の歴史を重ねてきた刑事司法は、再び自ら信用を傷つけた。
足利事件ではすでに公訴時効の期間が過ぎている。誤判は無実の市民に刑罰を科すだけでなく、真犯人を取り逃がすことにほかならない。国家が犯す人権侵害の最たるものだ。
誤りのない裁判こそ刑事司法の最も重要な使命である。
それを担うためには裁判官や検察官、警察官、弁護士がそれぞれの立場から、誤判があれば、なぜ誤ったのかを徹底的に究明する必要がある。そして、その結果を公表し、社会で共有することが大切だ。
高裁の再審決定は誤判の原因を検証していない。菅家さん側の批判にもうなずける。まずは宇都宮地裁の再審裁判にその役割を期待したい。
再審の道を開いたのは、犯人と菅家さんのDNA型が再鑑定で一致しなかったことだ。過去の冤罪でも血痕などの鑑定結果がくつがえった事例はいくつもあった。なぜDNA型鑑定を過信したのか。再鑑定の機会は何度もあったが、裁判官はなぜ怠ったのか。
菅家さんが強いられたという「自白」についてもそうだ。信用性を疑わせる事実に、どうして目を向けなかったのか。
犯人しか知らない「秘密の暴露」はなかったし、被害女児を自転車で犯行現場まで連れて行ったとの「自白」を裏付ける目撃者もいなかった。「自白」した殺害方法と遺体の状況とが一致しない可能性もあった。
宇都宮地裁に求めたい。一、二審、最高裁、再審請求一審の審理にあたった計14人の裁判官はなぜ誤ったのか。その答えを国民は聞きたいはずだ。
そうした姿勢なしに裁判所の信頼は回復しない。無実の男性が服役したあと真犯人が分かった富山事件の再審で、裁判所は誤判原因の解明に背を向けた。こうした姿勢は許されない。
そもそも、誤判を究明する仕組みがないことも問題だ。最高裁と最高検、日本弁護士連合会は、共同でこの仕組み作りの検討を急ぐべきだ。
死刑再審事件を手がけた弁護士グループは裁判員向けに、「取り調べや鑑定が適正であったか確認を」「『自白』に疑問を持って」など「誤判防止の八つのお願い」を発表した。聞くべき指摘である。
財政健全化をめぐる格闘の歴史に刻まれる「骨太の時代」は終わった。そう見てよいのではないか。
政府は経済財政運営の方向を示す「骨太の方針09」を決めた。小泉政権から引き継いできた歳出改革の象徴のひとつだった「社会保障費の抑制」は、与党の猛反発で空文化した。
医療や介護など福祉のほころびを直すには、社会保障費の抑制をこれ以上続けることはできず、迫り来る総選挙はとても戦えないという状況認識の反映といえるだろう。
「骨太の時代」は小泉内閣発足の01年に始まる。それまで財政規律は、政・官・業の「鉄の三角形」による歳出圧力を大蔵省(現財務省)が抑え込む形で維持されていた。だが、90年代後半の景気対策で財政赤字が急膨張。これを制御する新機軸が経済財政諮問会議での骨太の方針だった。
官邸主導による予算編成と、歳出抑制を主な手段として財政再建を推進する舞台装置。その上で、納税者の「無駄遣い」批判を背に、公共事業費の削減などによる歳出構造の改革を進めた。市場原理の重視や「小さな政府」の理念を武器に、道路公団や郵政事業の民営化も推進した。
しかし財政運営はやがて壁にぶつかる。小泉内閣は「骨太06」で5年間の歳出削減・抑制目標を掲げ、後継政権を縛ろうとした。節約に成果を上げた半面、福祉の抑制という「痛み」に耐えるよう国民に求め続けることになった。メリハリの乏しい歳出削減頼みで、負担増は先送りを決め込んだ手法の限界が示されたといっていい。
安倍、福田両政権は早晩、歳出構造をもっと大胆に見直すか、負担増への道を示す形で骨太の枠組みを革新する必要があったが、果たせなかった。ようやく麻生政権が福祉のほころびを認め、社会保障を強化するために景気回復後に消費税率を引き上げるという方針を掲げはしたが、総選挙を前にした「骨太」に「消費税」の文字はない。
世界経済危機という要因もあるにせよ、官邸の求心力、政権が何を目指すのかという方向づけの弱さが無残なまでに示された形だ。
来る総選挙で民主党が勝てば骨太の枠組みは廃されよう。だが、「消費増税を4年間封印し、行政の無駄を省くなどして20兆円をひねり出す」という民主党の方針は「在任中は消費税を上げない」とした小泉路線を思い出させる。民主党が何を目指すのかも、決して明確とはいえない。
小泉改革の次に政治が目指すべき方向性を示すことができるか。これは日本政治全体の大テーマだ。
混迷や空白が続けば、財政の将来に不安を募らせた投資家が国債を売る。長期金利が上昇し、「市場の規律」が政治を縛る時代が到来しかねない。