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あなたが愛に身を委ねるとき、起こり得る最悪の事態は何でしょうか? 私たちが最も恐れるの は心を傷つけられることです。けれども、傷つけられるのを拒む気持ち、それこそが心が傷ついた 状態なのです。皮肉な、そして悲劇的なことに、傷つくのを防ごうとして人はみな傷ついた状態で 生きています。真実の愛は、何百万回でも何千万回でも喜んで傷つこう、という気持ちの中から 姿を現すのです。
この先、あなたが死ぬ瞬間までの一瞬一瞬、世界中のあらゆるものにあなたの心を傷つけてもら いなさい。そうすればあなたはこの人生を愛への奉仕に生きることができます。虐待的な人間関係 の中に留まれと言っているのではありません。あなたにとっていつでも変わらず真実なもの、 つまり愛に対してさえ忠実であればよい、といっているのです。それ以外のものはすべて物語に 過ぎません。その物語に疑問を持たない限り、あなたは物語が現実だと信じ、あなたの心を、 魂を、愛を守らなければならないという前提のもとに人生を生きていくことになります。けれどその 前提は実はあなたの心、魂、愛を否定していることに他ならないのです。それは自分を愛すること の否定です。
何よりの朗報は、愛は自由であること、そして今でもここにある、ということです。あなたが愛から 身を隠していた長い長い年月にもかかわらず、愛は今もここにあり、今もあなたを歓迎し、 あなたが愛にその身を捧げるのを待っています。「そう、私は愛の真実にこの命を捧げます。 よいこと、悪いこと、豊かさ、貧しさ、たとえなんであろうとも、愛がその望むままにこの命を使い ますように」 ― あなたがそう言うのを待っているのです。
正直に自己探求することを通して、あなたは自分がなぜ愛に身を委ねることができずにいるのかを 理解し、また、あなたには実際に愛に身を委ねるという選択肢が与えられているのだということを 理解します。そして、無意識下にあった物語を意識し、それまで知らなかったことを知るのです。 自分にこう尋ねてごらんなさい―愛に身を委ねるのが危険なのはなぜなのだろうか?愛に身を 委ねるのがなぜ正しいことなのか、でも、なぜそれがよいことなのか、でもなく、愛に身を委ねては なぜ危険なのか、と訊くのです。
あなたという個人の意識を、意識の源に飛び込ませてごらんなさい。そこでは、愛に身を委ねる ことに抵抗するあらゆる理由や正当化は、単なる物語、でっち上げにすぎず、あなたはいとも たやすくそれを手放すことができると、ということがわかります。すべての物語や言い訳をありの ままの姿で見てください。そのひとつでもキープする価値がありますか?そのためにあなたの人生 はどんな代償を払うのでしょうか?
あなたがあらゆるところに捜し求める愛、それはもうあなたの中に存在しています。それを呼び 覚ます人やできごとはいろいろあることでしょう。山や夕日がこの愛を喚起することもあるかもしれ ません。けれども、最終的にはあなたは、あなた自身がこの愛であることに気づかなければなりま せん。すべての愛の源は、あなたの中にあるのです。
41 愛に身を委ねる 完
傷を負った心は、拒絶されることや失うこと、それによって傷つくことを恐れて愛することを辞めて しまう。流れを妨げられた愛というエネルギーは行き場を失い、いつしか、石のように硬く冷たい塊 となり心は何も感じられなくなる。それによって、自分を守ろうとするかのように... でも、自己の本質が、元々「愛」そのものでできているということを知ったとき、惜しみなく愛という エネルギーを流すことができるのでしょうね。 そう、『与え尽くしの愛』の象徴である、わたし達の 愛の星、地球のように...
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恐れているもの、それが愛なのかも知れません。あまりに近すぎて、真の姿がみえないもの、 人がもっともあこがれ、もっとも翻弄され続けてきたもの...。 愛。
愛という言葉に手こずる人がたくさんいます。私たちのほとんどが知っている通り、愛は感傷的で ときにだらしがなく、また決してコントロールの効かないものです。それでも私たちは愛を渇望します。 愛という概念には、しばしば愛と憎しみが混ざり合っています。これは恐らく幼年時代、ただどう しようもなく愛することしかできなかった経験から来ています。私たちは、母親、父親、兄弟姉妹など、 愛する人たちに向ってその愛を投げ与え、あるとき、彼らがあまり当てにならない、ということを経験 します。そして彼らの行動と愛を混同し、愛とは信用ならないものだ、と結論づけたのです。
人が信用ならないものであるのは紛れもない事実です。なぜなら普通、人は、自分とはこういう 人間だ、という物語を守るのに一所懸命でとても忙しいからです。自分自身の物語に没頭している ため、一定の量の愛情を人に与えると今度は「私が愛をもらえるのはいつ?」と考え始めます。愛と いうものを自分以外の誰かとの関連で認識しており、それが、愛をめぐる不信感の連鎖を生む のです。でも愛は人ではありません。愛というのは、個別であり、集合体であり、そして普遍の魂の ことです。愛とは神であり、真実であり、美であり、平和であり、そして自分自身です。自分自身を 知ること、自分の本当の姿にひれ伏すこと、それはつまり、愛に身を委ねるということです。
自分がそれに抵抗していることに気づいており、愛に身を委ねたいと願いながらも、どうしたら それができるのかがわからない人が大勢います。実は、身を委ねることを阻む障害は、唯一、 すべてを愛に委ねてしまっては危険だ、とあなたがあなた自身に言って聞かせている物語にあなた 自身が気づいていないということだけなのです。すべてを愛に投げ出すことに抵抗すればするだけ、 あなたは苦しむことになります。自分が何ものか、という物語を守ろうとすればするほど、あなたは 愛から切り離されたように感じるのです。「わたしが何よりも求めるものは真実、すなわち愛である」 ということに気づくまで、あなたは自分が愛とはかけ離れたものであると感じます。愛とは不変の ものです。愛が真実の一面なのではなく、真実、神、自己が愛の一部なのです。
つづく
愛読書である『ポケットの中のダイヤモンド』の中から、キラキラと真理の光を放つ言葉のいくつかを、ランダムにシェアしていきます。 まずはエックハルトさんの序文から...
序文 エックハルト・トール 『真実を知りなさい。そうすれば真実はあなたを自由にするだろう』というイエス・キリストの言葉の 「真実」とは、概念としての「真実」ではなく、名前や見た目を超えたところにあるあなたの真の姿、 存在を指している。それはあなたが自分自身について知らなければならない何かではなく、 より深くそれでいて驚くほどシンプルな知覚のことであり、そこでは「知るもの」と「知られるもの」は 一つである。分裂した自我は癒され、あなたは再び完全な存在となる。この知覚は次のように表現 できるかもしれない―つまり、突然、意識がそれ自身を意識するのだ、と。そのときあなたは、 この世に覚醒をもたらそうとする宇宙の進化衝動と足並みを揃える。 この世でどれほど成功しようとも、この生きた真実を知らない限り、あなたは芽を出さなかった種の ようなものであり、人間としての存在の真の目的を掴みそこなったのだ。そして仮にあなたの人生が 苦しみと過ちの連続であったとしても、この知覚さえ手にすることができればあなたの人生は 価値を取り戻し、一見何の価値もないように見えたものが、振り返れば重要な意味を持つものと なる。あなたが犯した過ちのすべてが今この地点、つまりこの気づきにあなたを導いたのだと すれば、それらは過ちなどでは決してなかったのだ。『私とは起きる出来事のことではない。 出来事の起きるスペース、それが私である』。この知覚、この生きた真実こそがあなたを、 形象との同一化、時間、そして頭で作り上げた偽の自己イメージから解放する。すべての出来事が 起きるスペースとは何か?それは形以前の意識そのものである。
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この本は、単に衝動的で無自覚な思考からの脱却や人間としての苦しみの終わりについて 述べているのではない。これは、宇宙的規模での進化的変容、つまり、形象との自己同一化 という夢、自己と他者との乖離という夢からの覚醒のプロセスの一部である。あなたが今これを 読んでいるという事実は、この集団覚醒という素晴らしい冒険に欠かせない一部となることが、 あなたに運命づけられている、ということを意味するのである。
Gangaji(ガンガジ) 本名アントワネット・ロバートソン・ヴァーナー。米国、ミシシッピ州の出身。同年代の多くの人がそうだあったように、恋愛、仕事、子育て、政治活動、そして精神的な修養などに人生の充足感を追い求める彼女の探求は、1990年、スリ・ラマナ・マハリシの弟子であったスリ・ブーンジャ師とガンジス川の岸辺で出逢い、自己認識の扉が開かれたことによって完結する。師から授けられた名前のGangajiは、ガンジス川に由来する。 ガンガジは、スピリチュアル・ティーチャーとして、また執筆者として、世界各地を歩き、師から受け取った招待状を人々に分け与えている。その招待状とは、人間の存在の本質である絶対的自由と普遍の平安に、完全に目覚める、ということである。
愛読している阿部敏郎さんのブログから転載します。 月初めに相応しい素晴らしいかんながらのお話です。 裏ブログの<随(かんながら)神>の物語もお奨めです。
30代の中頃のことでした。
人は誰でもみんな、
All this, we can do! All this, we WILL do!
しかし地球世界はここでは止まらないのです。諦めないのです。 私たちのシステムでこの試練に耐えられるかと危惧する人よ。 あなた達は、人類がどれだけ多くのことを達成したか、 どれだけの道のりを歩んできたかを忘れている。 私たちの先人達が独立の危機に瀕し、 「希望と美徳の精神」だけが手元に残されたとき、 先人達はそれを捨てませんでした...。 世界よ、今再び、この言葉を胸に立ち上がろうではありませんか! このスピリットこそ、次世代に希望の光をもたらすことができる 祖先からの力ある唯一の遺産なのです! 地球世界は今日、あらゆる人種や文化や歴史の違いを超えて、 結束して理想世界を実現するのです!』
天にては、セラフィムらの奏でる妙なる楽の音とともに 御使いたちが喜びの歌声を響かせ、 宇宙の同胞達は、 操縦室のスクリーンに映し出される演説を コマンドらと潤む瞳で見守り、 海のいるかたちは、 花火のような輪になって泳ぎ回り、 くじらたちは、 歓喜して噴き上げる潮の間に間に 夜明けまで歌い続けたことでしょう...
All this, we can do!!
http://www.youtube.com/watch?v=EDoBgqikbPM 日本語入り
我は見せられた 留まるも戻るも許さぬ この光は やがてこの静やかな炎は 惑星最大の難局を迎え 友よ 我はこれを 友よ
初夢 内村鑑三
内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月26日- 1930年3月28日)は、日本人のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。 Wikipediaより 画像参照先:あぶくま無教会
その人の足は白く光って見えました。実にはやく実にまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。真っ白な足先が二度ばかり光りもうその人は一郎の近くへ来ていました... 「こわいことはないぞ」かすかに微かに笑いながらその人はみんなに云いました。その大きな瞳は青い蓮の花びらのようにりんとみんなを見ました。みんなはどう云うわけともなく一度に手を合わせました。
金と紅玉石(ルビー)を組んだような美しい花皿を捧げて天人たちが一郎たちの頭の上をすぎ大きな碧(あお)や黄金いろのはなびらを落として行きました。 注文の多い料理店 「ひかりの素足」 より
如来の差し伸べた救いの手を感じとった一郎によって、幼くしてあの世へ旅立ち自ら撒いたカルマにより苦しい学びを強いられている魂たちがみな救われました。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風を食べ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます。 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばん素晴らしいびろうどや羅紗や、宝石入りのきものに、変わっているのをたびたび見ました。 私は、そういうきれいなたべものやきものをすきです。 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月明かりからもらってきたのです。 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。 ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、私はそのとおり書いたまでです。 ですから、これらの中には、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。 何のことだか、わけの分からないことろもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。 けれども、わたくしは、これらの小さなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなに願うかわかりません。
『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店(大正13年<1924>発行)』序文より。
あなたの体験は、すべて、「宇宙のハートの鼓動」にリズムを合わせて起こります。「宇宙のハートの鼓動」。それは銀河系宇宙に生きている、すべての種族を繋いでいる共通のリズムです。このリズムに波長を合わせることによって、あなたは統合の境地へと導かれていきます。 宇宙の愛の周波数は、共時性に満ちあふれた、普遍的な時間の統括者です。そして、あなた自身もこの愛の周波数の一部なのです。森羅万象を繋いでいる同じ響きが、あなたのハートの中にあるのです。それこそがあなたの源(ルーツ)です。いくら拒んでも、誰も自分の源(ルーツ)は変えられません。たとえあなたの毎日の暮らしが愛とは無縁でも、ハートがあなたにとって、本当の故郷へ帰る道であることに変わりはありません。そしていつの世も、人々は愛を求めてやまないでしょう。
『アセンションの道しるべ』
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