従業員は“投資”であり“キャピタル”
――バブルの時期、「24時間働けますか?」といったCMが流行ったように、職場は活気に溢れ、忙しいながらも、皆それなりに楽しそうに働いていました。その頃、企業は人材育成に熱心に取り組んでいたということでしょうか。
寺崎氏: ひと言で言うと、今ほど職場がギスギスしていなかった、余裕があったということでしょう。最近、色々な人がよく口にするのが、「窓際族って、企業にとって決してマイナスではなかったよね」ということです。意外とそういった人たちが、現場で、若手社員の愚痴を聞いてあげたり、細かい指導してあげたりしていたわけで、いわゆる職場の“潤滑油”になっていたのです。たとえて言えば、ハンドルの“遊び”であり、そういった余力というのは、企業にとってやはり必要なのではないかということです。
| 寺崎文勝氏 |
また、今よりも余裕があった頃は、従業員の適材適所を考えた配置転換もより容易でした。しかしながら、成果主義がベースとなっている今は、変に配置転換をしてしまうと、その部署の業績が落ちてしまったり、本人も、たとえ、やりたい仕事があったとしても、部署が変わることによって給料が下がることを恐れてしまうため、どうしても職場が固定化してしまいがちなのです。
それに対し、経営者は、従業員のモチベーションが下がっているのであればモチベーションを上げてやり、スキルがない状態なのであればスキルを上げてやり、職場の人間関係がよくないのであれば配置転換をしてやり、職種が合っていないのであれば、可能な限り職種転換をしてやるといった努力をする必要があります。
そういった努力を放棄して、単に成果主義の名の下、従業員をハイ・パフォーマーとロー・パフォーマーに分けてしまうということは、つまり、単に従業員を“コスト管理”といった視点でしか見ていないということなのです。
でも、セミナー会場で、私が来場者によく言うのは、「ハイ・パフォーマーというのは、ある日、突然、燃え尽きちゃうことがあるから気を付けてね」ということです。ハイ・パフォーマーである優秀な人材には、どんどん難しい仕事が集中してしまうため、オーバーワークになって、ある日、突然、切れたり心身を病んでしまったりといったことが結構起こるのを私は数多く見てきました。
「優秀な人材が燃え尽きないためにはどうしたら良いか?」は、私にとっても大きな研究テーマですが、多くの企業の方々と接する中で痛感するのは、成果主義の根本には、「金を払えば、従業員は満足するだろう」とか「ポジションを上げてやれば、仕事に対するモチベーションも高まるだろう」といったドライな契約思想があるということです。そして、こういった考え方こそが、ハイ・パフォーマーを隠れニート化させてしまう大きな要因になっているのです。
とはいえ、人事部の方の多くは、成果主義やメンタルヘルス、長時間労働といったことに対する高い問題意識を持っています。ところが、「これらの根底は、一緒である」ということには気付いていない場合が意外と多いのです。組織体制が、現場を知らないまま官僚化してしまうといった場合によく起こるケースです。
――ところで、窓際族と隠れニートとは違うということでしょうか。企業にとって、隠れニートの最大の問題点とは何でしょう。
寺崎氏: よく、組織は2:6:2で構成されていると言われますが、窓際族が属する下の2は、何らかの理由によって、パフォーマンスが出せていないとか、様々なミスマッチが生じている状態であって、決して“ぶら下がり”ではありません。例えば、適性と実際の仕事とのミスマッチや、上司と部下とのミスマッチ、あるいは、単に現在、スキルレスな状態になってしまっているだけで、きちんと教育や指導をしたり、環境を変えてあげれば、パフォーマンスが上がるかもしれないのです。
それに対し、隠れニートは、「その企業に対して、新たな付加価値を見出してはくれないだろう」という人たちのことです。隠れニートか否かは、彼らが、日々、会社で行っている業務を“労働”と捉えているか、“仕事”と捉えているかという1点に集約されます。労働と仕事の違いは、私の勝手な定義かもしれませんが、嫌々やらされているのが労働、自分から能動的に行っているのが仕事だと解釈しています。
要するに、仕事に対して「本当はこういう仕事はしたくないのだけど、生活のために仕方なくやっている」、「働かされている」、「自分は会社からこういった扱いを受けているのだから、自分もこの程度やっておけば良いや」といった考えしか持っていない従業員というのは、もはや、企業に対して、決して新たな付加価値を提供することはありませんし、生産性も良いはずがありません。そういった人たちが隠れニートであって、企業にとってはそれこそ余剰人員であり、単なるコストです。
企業はまず、従業員を隠れニート化させないことが重要ですが、仮に、従業員が隠れニート化してしまった場合、隠れニートから脱却させるには、少なくとも、彼らの意識を“労働”から“仕事”に転換させる必要があります。しかしながら、もし彼らの仕事が本当に単なる単純労働なのであれば、それこそ、外注すればよいということになるでしょう。
実際、仕事に対するモチベーションを持たず、単に企業にぶら下がっているだけの社員というのは2割もいないはずです。逆に2割もいたら企業としては大問題でしょう。つまり、隠れニートは2:6:2の中の、6や上の2の中にもいるかも知れないということなのです。
――「従業員1人ひとりの人生にきちんと敬意を払うことが人材育成には重要であり、隠れニートを作らないコツ」ということですが、そのためには、経営者はどういった具体的な意識改革が必要でしょうか。
寺崎氏: 2つあると思います。1つ目は、人を“コスト”ではなく“投資”として見るということ。もう1つは、人を“リソース(資源)”ではなく“キャピタル(資本)”として見るということです。リソースとして見ると、どうしても“使って”しまいます。「減ればまたどこかから補充すれば良いや」といった感覚にもなってしまいます。
IT産業や技術産業では、“知的資産”が重視されています。「企業の利益の源泉は、いわゆる金や物よりもナレッジに有り」という考え方です。そしてそれを満たしているのが、紛れもない“人”です。「ヒューマンキャピタルが利益を生み出す源泉になっている」ということであり、つまり、人はリソースではなくキャピタルだということです。よく人材を『人財』と表す経営者がいますが、まさしくその発想です。「従業員こそわが社の財産である」と思うのであれば、「それを徹底的に実践して下さい」と私は申し上げたいですね。
とはいえ、実際に現場で従業員を育成するのはマネージャーです。多くの場合、企業や職場に対する愛着や信頼感は、マネージャーに対する愛着や信頼感に帰着してしまいがちです。そのため、経営者だけでなく、マネージャーの意識改革も極めて重要です。
しかしながら、マネージャー自身も自分の仕事の成果を求められる上、さらに若手社員の人材育成も求められるとなると、仕事の負担というのはかなり大きくなってしまいます。そこで、私から、経営者層に助言したいことは、まず、「マネージャーとしての仕事が思い切りできるように、企業側で、できる限りプロテクトしてあげて欲しい」ということ、さらに「そもそもマネージャー教育自体がきちんと行われていないので、体制を整えて真剣に取り組んで欲しい」ということの2点です。それが不可能なのでれば、人材を育成する専門のスタッフや人材育成に責任を持てるスタッフを、現場にせめて1人くらいは配置していただきたいです。
実際、実務レベルのパフォーマンス向上にばかり目が行き、「部下をどうモチベートするか」、「そもそも管理職の役割とは何か」といったベーシックなテーマが意外とないがしろにされているのです。
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