今、経営者に求められる「従業員に対する発想の転換」
――従業員1人当たりの仕事の負荷が増えたことによる過労によって心身共に疲弊してしまったということもあると思いますが、例えば、大企業のまさかの倒産など、今まで想像もしなかったことが起こり、これまでの学歴信仰や終身雇用という保障制度が一気に崩壊したことによって、「自分の人生を一生この会社に捧げよう」といった気持ちが薄れ、「一生懸命働いても、いつ会社が倒産したり、リストラの憂き目に遭うか分からない」といった諦念によって、仕事そのものに対する意欲や情熱が損なわれてしまったということもあるのではないでしょうか。
寺崎氏: この点に関しては、大きく分けて2つの問題があると考えています。1つ目は、自分の会社に対する「ロイヤリティ」が失われてしまったということです。ロイヤリティを和訳すると、従来は“忠誠心”であり、ネガティブなイメージがありますが、ここでは、よりポジティブな“愛着”という言葉に置き換えて下さって構わないと思います。
| 寺崎文勝氏 |
実際、おっしゃるように、最近の従業員が、会社や職場、組織に対する愛着心をあまり持てなくなっていることは確かです。それはやはり、企業側が、終身雇用を放棄したり、大胆なリストラを強行したり、無茶な就業体制を強要したことで、会社に対する信頼が以前よりも薄れてしまったということでしょう。
2つ目の問題は、仕事そのものに対する「誇り」も失われてしまっているということです。たとえ会社や職場に対する愛着がなくなったとしても、自分の仕事自体を愛していれば、最低限、仕事に対するモチベーションというものが失われることはないはずです。しかしながら、仕事に対する意欲や情熱を失ってしまった人たちというのは、そもそも仕事自体に対する誇りを持てなくなってしまっているということと同等です。
では、なぜ、仕事に対する誇りが持てなくなっているのか。例えば、現在のIT業界で言えば、プログラマがSEになり、SEがシステムコンサルタントになるといったキャリアパスというのが、実はほとんどありません。プログラマがどんなにプログラミングの仕事をこなしたとしても、SEに昇格するといったことはないのです。要するに、仕事が固定化し、一種の単純労働化してしまっているのです。
それに対し、特に今の若者は、「自分が成長しているという実感」を求める傾向が非常に強いため、単純労働には耐えらないのです。
年功序列が導入されていた頃の日本企業の良かったところは、「次の仕事で報いてあげることができる」ということでした。頑張った従業員には、次に、よりやりがいのある仕事を与えることで、報いてあげていたのです。しかし、残念ながら、今、そういったことのできる企業というのはごく限られた優良な大企業のみです。しかも、成果主義の導入により、ごく優秀な人材に限られます。こういった状況の中、どうすれば、今の仕事に誇りを持つことができるというのでしょうか。
――若者は、少子高齢化が進む日本の将来自体にも夢を持つことができていないのではないでしょうか。
寺崎氏: 最近は、景気の回復によって就職難もかなり解消されたため、将来に対する絶望感や目先の経済的な不安は、以前よりずっと薄れていると感じています。不況の頃は、「とにかく職が得られれば良い」とか「少しでもお給料が高くて安定した会社に就職したい」といった要望が強く、本質的なところにはあまり目が向いていませんでした。でも、逆に、そういった要望が強くない今だからこそ、仕事に対するモチベーションや意欲、情熱といった本質的なことの方により強く、関心が向いているのです。そのため、「企業のネームバリューに惹かれてこの会社に入ったけれども、イメージしていた仕事内容と全然違う」といった想像と現実とのギャップに戸惑いや不満を感じた若手社員がいとも簡単に会社を辞めてしまうといった現象が起きているのです。
| 寺崎文勝氏 |
実際、様々な企業の人事部の方々と話をしていますと、最近、真っ先に話題に上るのが、新卒者の“採用”、次に“人材育成”です。この2つはリンクしている問題です。数年前までの話題といえば“成果主義”ばかりだったので、世の中が確実に変化してきていることを感じます。さらに、採用だけでなく、せっかく入社した若手社員の“流出”をどうやって食い止めるかも大きな問題になってきています。入社後、2〜3年で辞められてしまったのでは、単なるコストになってしまいますから、企業にとっては深刻です。
新入社員にすぐに辞めて欲しくなければ、「この会社に3〜5年いれば、こういうメリットがあるんだよ」といった意味づけをきちんとしてあげることが重要です。私は『キャリア強迫症』という言葉を使っていますが、自分のキャリアを非常に重んじる今の若者にとって、自分のキャリアにつながらない期間というのは、耐えられないほどの“回り道”もしくは“人生の空白期間”なのです。従来のような、「上司の背中を見て、仕事を覚えろ」的なことを若手に要求するのは、もはや時代遅れです。
とはいえ、あまりにも不況のインパクトが強すぎたため、従業員を、人件費や要員計画など“数値”としてしか見ない習慣がすっかり身に付いてしまったということは否めません。しかし、企業を長期的かつ持続的に成長させていきたいのであれば、今こそ、経営者は、従業員に対する発想の転換を行わなければいけません。
そういう意味では、日本のカルチャー自体が、極めてロー・コンテクストなものになりつつあるということでしょうか。相手に行間を読んでもらうことを期待するのはもはや困難であり、細部にわたり可視化、明文化することが企業側の責任になってしまっているわけですから。
成果主義を導入したことも大きな要因になっているかも知れません。今、若手社員からは、人事や経営に関して、「職務定義書を明記してくれ」、「評価基準を明確に示してくれ」といった要望が数多く寄せられています。「きちんと定義付けをして、それを明文化してくれないと、納得ができない」というのです。また、就職活動をしている学生さんたちの中にも、企業に対して、「どういった人材を求めているのか、定義をきちんと示してくれ」と要求してくる人が少なくありません。「人材に関する定義ではなく、重要なのは“人間力”だ」とか「“フィーリング”だ」と言っても、彼らは納得しないんですよね。
| 1 .2 .3 .4 .5 | ||