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【話の肖像画】何ものも恐れず(中)映画監督 木村大作(69)
このニュースのトピックス:話の肖像画
■「黒澤組」に配属され学ぶ
−−映画界に入ったきっかけは
木村 私は4人兄弟の長男で、おやじが高2のときに亡くなったので早く就職がしたかった。たまたま応募した東宝の面接で「本社のボイラーマンでもいいか」と言われて「結構です。どこでもいいから入りたいんです」と答えたら受かりました。4月に入社して翌月に回されたのが撮影助手係。昭和33年のことで、当時は東宝だけで撮影助手が60人いた。私は61番目(笑い)。照明は150人いた。8班体制で月に映画を8本撮っていた。そういう時代ですよ。
−−そこで初めての仕事が黒澤明監督の「隠し砦(とりで)の三悪人」だった
木村 黒澤組はいつも2キャメラだから、撮影助手は4人ずつの計8人必要だった。その8人目の一番下っ端です。最初は失敗ばかりでした。黒澤さんは僕を怒るとき「でこ助」と言うんです(苦笑)。
−−その後、黒澤組として「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「どですかでん」に携わるわけですね
木村 「どですかでん」でチーフになった。「用心棒」まで黒澤さんから名前を呼ばれなかったのですが、「椿三十郎」のときに初めて遠くから「大(だい)ちゃん」と呼ばれた。うれしくて涙を流しましたね。
−−黒澤監督から教わったことはありますか
木村 映画とは「こだわり」「集中」「記憶」の3つ。技術的には「被写体さえ良ければどう撮っても良くなる」ということ。
−−「記憶」とは?
木村 黒澤さんのような大天才でも過去の映画からのいただき(引用)があるんです。「劔岳」にもきりがないほどの「記憶」がありますよ。例えば門柱をはい上がるトカゲが出てきますが、今村昌平監督を意識しました。トカゲを8匹用意して30回ぐらい撮り直しましたけど(笑い)。(伊藤徳裕)
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