2009年6月24日 3時10分 更新:6月24日 3時10分
「貴社は業界におけるリーディングカンパニーの一つとして業界の結束の要」。与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は多額献金の中心となった商品先物取引会社「オリエント貿易」(東京都新宿区)が00年に発刊した40年史に祝辞を寄せていた。与謝野氏は商品先物業界を指導・監督する旧通産相を務め、後に金融担当相として金融商品取引法案の国会審議でも答弁した。与謝野氏の秘書は毎日新聞の取材に応じ、オ社社主は若いころから応援してくれる「あしながおじさんだった」と述べ、答弁などと献金との関係を否定した。【山本太一、伊澤拓也】
商品先物取引について定める商品取引所法は、98年改正で大幅な規制緩和が盛り込まれ、業界に歓迎された。改正法施行時の通産相は与謝野氏だった。
与謝野氏は00年に刊行されたオ社の40年史に「前通商産業大臣・衆議院議員」の肩書で祝辞を寄せ「国民の資産運用の場として開かれた商品先物取引は重要。業界発展の礎石として期待する」と激励。当時の白鳥忠志社長は発刊の言葉で「商品取引所法の改正は『規制から育成』の行政指導となり、自由で利便性のある市場作りがなされてきた」と歓迎した。両氏が握手する写真も掲載され親密ぶりをうかがわせた。秘書は「長い間の応援者から要請があったので一文を寄せた」と説明した。
与謝野氏は、オ社グループの政治団体「政経政策研究会」設立の81年から21年間、後援団体に指定。通産相だった98~99年も献金を受けていたが、秘書は「資金面ではそのころはまだ金は集まっていなかった。(月に献金)25万円は大変ありがたかった」と明かす。献金を仕切っていたオ社の加藤幸男社主については「なんとか頑張って大きくなってくれという(応援してくれる)おやじです」と語った。
与謝野氏が金融担当相だった06年に成立した金融商品取引法は、商品先物取引を規制対象から外した。法案の国会審議で与謝野氏は「(商品先物取引は)ゲームではなく、生産と流通を支える側面が大きい」などと答弁、規制対象の拡大に慎重な姿勢を示した。秘書は「答弁は業界を擁護したものではない。献金の有無とは全く関係ない」と強調した。
だがオ社元役員は「法対象となったら、我々は営業活動ができない。業界にとっては大きなこと」、グループ会社元役員は「当時はトラブルの多い業界で、法律を有利にしたいという意図はあったと思う」と語った。
加藤社主は病気を理由に毎日新聞の取材を拒否。政経会の前会計責任者は「付き合いの範囲で加藤社主と仲のいい政治家に献金していた。詳しいことは加藤社主しか分からない」と話した。