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総務省がストリート・ビューについて「法律違反にあたらず」という見解を出した。
以下、記事の引用。
(1) 《 ストリートビュー法規制見送り 総務省が初見解 》──
グーグルのストリートビューなどインターネット上で道路沿いの映像を見られる情報サービスについて総務省は 22日、原則として個人情報保護法違反やプライバシー・肖像権の侵害にはあたらないとの見解をまとめた。
総務省のワーキンググループは今年4月から議論を開始。その結果、写り込んだ人の姿や表札は個人情報保護法で保護すべき個人データにはあたらないと判断。プライバシーや肖像権の侵害にあたるケースも極めて限定的なため、一律にサービスを停止すべき重大な問題があるとは言い難いと結論づけた。
( → 朝日新聞 2009-06-22 )
(2) 《 ストリートビューは合法 総務省、個人の識別性なし 》
住居の外観や自動車のナンバープレートが写真に写っていても「個人の識別性がなく、個人情報には該当しない」と判断した。プライバシーや肖像権についても「(人の顔などに)ぼかし処理を施すなど適切な配慮がなされている限り、サービスの大部分は違法となることはない」と指摘。
今後、一般からの意見を募集した上で8月にも正式に判断をまとめる。
( → 共同 2009-06-22 )
(3) 《 「ストリートビューは個人情報保護法の規制対象外」,総務省研究会が見解示す 》
個人情報保護法は,サービス事業者に同法の義務を適用する場合,事業者が「特定の個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したもの」を持っている必要があるとしている。簡単に言えば,個人情報が入った検索可能なデータベースを持っていることを指す。道路周辺映像サービスは,特定の住所から特定の個人を検索したり,個人名から住所を検索したりといったことはできない。そのため,個人情報保護法の適用外である というのが報告書での見解である。
個人情報そのものについても,道路周辺映像サービスで提供される情報は個人情報に当たらないという考えを示した。例えば道路周辺映像サービスで提供される情報として候補に上がるのは,住居の外観や自動車のナンバープレート,個人の容貌がある。住居の外観については,表札が読める状態など例外を除けば,誰の住居か特定できないものであるから個人情報に当たらないとしている。
( → itpro 2009-06-22 )
(1)(2) では、結論が出ている。「ストリート・ビューは違法でない」と。
だが、大事なのは、(3) である。「ストリート・ビューは違法でない。その理由はこれこれ」と記してある。そして、肝心なのは、そこでは誤解がある、ということだ。(ITのリテラシーがない、とも言える。総務省は。)
そもそも、ストリート・ビューの問題点は、どこにあるか? 総務省の人々は、次のことが問題だ、と考えているようだ。
「路上から住所画像を撮影して、その画像が公開される」
こう考えた上で、「これは個人情報の公開には当たらない」と考えているわけだ。
しかし、そこには、誤解がある。実は、上記のことは、もともと問題になっていない。(高木浩光氏は、それを問題にしているが、私はそれを問題にしていない。)
ストリート・ビューの問題点は、撮影画像そのものにあるのではなく、住所との結びつきにある。つまり、こうだ。
「住所を入力すると、その住所の画像が公開される」
具体例は、下記の項目に示したとおり。
→ ストリートビュー強化
たとえば、Google の地図サイト で、次の住所を入力する。
「東京都大田区田園調布1丁目44−2」
これを入力して、試してみるといい。特定の住所画像が現れる。つまり、
住所 → 住所画像
という形で、個人情報が公開される。
このことが問題となっているのだ。
( ※ このことは、この例に限らず、あらゆる住所について当てはまる。)
もう少しはっきり言おう。
総務省の理屈から言えるのは、次のことだけだ。
「住所を示さないで、個人の住宅画像を公開することは、合法である」
このことは、現時点でも、違法となっていない。住所がわからなければ、個人の識別性はないからだ。この場合、総務省の見解は、きちんと成立する。
しかしながら、次のことは成立しない。
「住所を示して、個人の住宅画像を公開することは、合法である」
住所を示せば、個人の識別性はある。その住所が誰の住所であるか(住民が誰か)は、比較的容易に判明する。この場合、総務省の見解は、成立ないのだ。
要するに、総務省は、「そこに住所が示されている」ということを理解しないまま、単に「路上から撮影した画像を公開することの是非」を論じている。……これではまったく、問題の所在を理解していない。
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結局、総務省は、問題が何かをまるきり理解していないのだ。
人々の訴え:
「住所を入力したら、住所画像が公開される!」
「住所を入力しなくても、地図と照合すると、住所から住所画像が公開される!」
総務省の見解:
「氏名なしで画像を公開することは、違法ではありません」
馬鹿じゃなかろうか? 問題をあえてすり替えている。
比喩1。
店:
「この万引き犯は、商品を盗んだ! 違法だ!」
総務省:
「お金を払って、商品を取るのは、違法ではありません」
全然、トンチンカン。話の筋道を取り違えている。(現実には金を払っていないのだから。)
比喩2。
そば屋:
「あいつが、そばを無銭飲食した! 逮捕してくれ!」
総務省:
「自分のそばを食べても、違法ではありません」
全然、トンチンカン。話の筋道を取り違えている。(現実には、自分のそばではないのだから。)
以上と同様である。
ストリート・ビューの反対者:
「住所と結びつけて画像を公開している! 個人情報の漏洩だ!」
総務省:
「住所・氏名と結びつけないで画像を公開するのは、合法です」
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総務省は、たぶん、次のように考えているのだろう。
「個人情報というのは、氏名と結びついた情報だけが、個人情報である。氏名と結びつかなければ、住所と結びついても、個人情報ではない」
しかし、そのようなことは成立しない。( [ 付記1 ] を参照。)
仮に、そのようなことが許容されれば、たいていの個人情報漏洩は、違法ではなくなる。次のようにすればいいからだ。
・ データ1 …… 個人の氏名と住所を結びつける
・ データ2 …… 個人の住所と秘密情報を結びつける
この場合、両者は分断されている。すると、データ2 の方は、個人の氏名が欠落しているから、いくらでも個人の秘密情報を漏洩し放題だ。その上で、データ2 と データ1 を照合することで、誰の秘密情報であるかは、はっきりと暴露される。
実を言うと、データ1の方は、個人情報の漏洩には当たらない。つまり、次のことは、個人情報の漏洩とは言えない。
氏名 → 住所
この程度のことなら、多くの住所録や名簿や電話番号簿に記してある。それを一般公開するかどうかはともかく、このくらいのことで「個人情報漏洩だ!」と騒ぐほどのことはない。「氏名 → 住所」というのは、社会的に共有される基礎データとしても、特に問題はないだろう。(悪用しない限りは。……ま、ちょっと灰色っぽいところはあるが。)
そして、そう考えれば、次のように結論できる。
「たとえ氏名が記入されていなくても、住所が記入されていれば、個人はほぼ特定される。ゆえに、データ2 のタイプは、個人情報の漏洩に当たる」
具体的に言おう。
「石原慎太郎」という名前から、「東京都大田区田園調布1丁目44−2」という住所を出しても、それは特に「個人情報漏洩」と騒ぐほどのことはない。
しかし、「東京都大田区田園調布1丁目44−2」という住所から、「その世帯主の収入、病歴」などが漏洩したら、それは明白に個人情報の漏洩なのだ。たとえそこに「氏名」が欠落していたとしても、それは明白に個人情報の漏洩なのだ。
総務省には、その法的な理解がない。あえて問題を曲解している。
仮に、法務省の方針が是認されたら、これからは上記の形(データ1 と データ2 を分離する形)で、個人情報の漏洩は やり放題になるだろう。
たとえば、Google マップなどを利用して、病院が患者の病歴を意図的に公開したとしても、「そこには氏名が欠けています」というだけで、公開が是認されてしまう。そして、その上で、別途「住所」のページを見ることで、その住所の個人の氏名も知ることができる。
あるいは、逆に、個人を知って、住所を知ったら、その住所から、個人の病歴を勝手に盗み見ることができる。
そういう形で、「個人情報の漏洩」が、完全に正当化されてしまう。
政府が犯罪を是認すれば、犯罪は野放しになる。総務省は、問題の所在を、まったく理解していない。トンチンカンな結論を出している。
[ 付記1 ]
氏名と住所については、重要なことがある。こうだ。
「個人の特定のためには、氏名よりも住所が重要である」
たとえば、「鈴木太郎」とか、「田中花子」とか、そういう名前があったとする。この名前だけでは、個人を特定できない。同姓同名はたくさんいるからだ。
一方、「東京都世田谷区××町××番地」というふうに住所が特定されれば、そこから、個人はほぼ特定される。(世帯単位で。)また、氏名もかなり特定できる。(現場に行けば表札が見える。)
したがって、氏名と住所のどちらがいっそう個人の特定に役立つかといえば、氏名よりも住所なのだ。
その意味で、「住所 → 個人情報」という形で個人情報が暴露されることは、好ましくないのだ。
[ 付記2 ]
総務省のために、ストリート・ビューの問題の核心を、簡単に指摘しておこう。
「商業地でなく住宅地では、ストリート・ビューの画像は個人情報の漏洩となる」
これが核心だ。商業地では、住所は個人情報にならないが、住宅地では、住所は個人情報になる。だから、商業地でのストリート・ビューは違法ではないが、住宅地でのストリート・ビューは違法になるのだ。……これがポイントだ。
つまり、「ストリート・ビューを一律で禁止せよ」と述べているのではない。「住宅地に限り、禁止せよ」と言っているのだ。そこが核心。
もうちょっと説明しよう。
総務省は、次の二点を混同している。
・ 繁華街の撮影を「問題なし」と判断する。
・ 住宅街の撮影を「問題なし」と判断する。
今回は、後者が問題になっている。
だが、その違いを理解できないで、前者について「問題なし」と結論し、それをもって、後者についても「問題なし」と結論する。(拡大解釈。)
そういう混同を、総務省は なしている。
( ※ 比喩的に言うと、「営業中の商店に勝手に入っていい」ということを名分にして、「個人住宅に勝手に入っていい」と結論するようなもの。そのことで、若い女性の家宅にこっそり侵入することを、「合法だ」と見なすようなもの。とんでもない拡大解釈。)
また、たとえ住宅地の画像であるとしても、住所と切り離されていれば、特に問題はない。問題があるのは、それが地図という形で住所と結びついているからだ。……ここでも、「個人情報の漏洩か否か」ということが問題となる。
[ 付記3 ]
総務省が混同するのは、総務省が馬鹿だからだ、とは言えない。実は、Google が、意図的に混同させようとしているのだ。そして、その作戦にまんまと引っかかって、だまされてしまったのが、総務省だ。
・ 商業地での撮影はOK → 住宅地での撮影もOK
・ 個人名がなければOK → 住所情報があってもOK
・ 路上で目視してもOK → 路上で撮影して公開してもOK
こういうふうに、左のことをOKと見なしたあとで、右のこともOKと見なしてしまう。区別ができずに。
物事の区別ができない阿呆は、詐欺師の詭弁にだまされる。Google は稀代の詐欺師なのだ。
[ 付記4 ]
さらに言えば、「その場で見える」ということと、「ネットで世界に公開する」ということとは、全然別のことである。
たとえば、公衆浴場で他人の裸が見えるということと、その裸を勝手に撮影して公開することとは、別のことである。
村上春樹の作品を、読者が購入して読めるということと、その内容を勝手にネットに上げて公開するということとは、別のことである。
公道上から家屋がたまたま洗濯物が見えるということと、そこでたまたま見た洗濯物を勝手に撮影して世界中に公開するということとは、別のことである。
公の場では勝手に撮影して公開していい、という理屈は成立しない。── このことを示す判例があった。
→ 乱交で逮捕 ,逮捕の法的根拠
法的根拠については、弁護士の言葉が紹介されていた。
「特定の人たちだけの秘密結社なら話は別ですが、今回は、営利目的で客をたくさん増やそうとしています。ネットを使って募集しているので、『不特定』とみなされます。また、5、6人もいれば、『多数』とみなされてしまいます。こうしたことは、判例でも出ていますね。また、わいせつ事件では、被害者がいないのは当たり前です。私は、今回の摘発については、違和感がありません」とにかく、(同好の士でなく)営利目的で不特定多数の乱交があると、それは、「公然わいせつ罪」に問われる。つまり、そこは、「公の場」と見なされる。
そして、Google の理屈だと、「公の場では勝手に撮影して公開していい」ということになるが、もしそうだとすれば、乱交の現場を勝手に撮影して公開していい、ということになる。しかし、そんなことは、ありえない。
また、混浴の浴場も、同様だ。そこは不特定多数の入浴する「公の場」であるが、だからといって、混浴の浴場にいる人々を勝手に撮影して公開していい、ということはありえない。
要するに、「公の場では勝手に撮影して公開していい」ということはない。……そして、そのことが、乱交の違法性から、わかるわけだ。
( ※ 話が面白おかしくなっているが。済みません。 (^^); )