「羅針盤」と仰ぐ先輩に聞いてみたいことがあった。がんになった時、人はどこまで前向きに生きられるのか--。
肝臓に転移したがんを手術するため、今年2月、東京の虎の門病院に入院した鳥越俊太郎さん(69)は、案内された病室を見て驚いた。同じ部屋のベッドに、ジャーナリストの筑紫哲也さんが座っていたことを思い出したからだ。
07年5月。肺がんと闘う筑紫さんを見舞った。「これは読んでいないだろう」と、藤沢周平の文庫本を数冊差し入れた。勘は当たった。藤沢の小説を初めて手にした筑紫さんは、入院中につけ始めた日記に「残日録」と名付けた。藤沢の代表作「三屋清左衛門残日録」から取った。
毎日と朝日の記者。週刊誌「サンデー毎日」と「朝日ジャーナル」の編集長。そしてキャスター。鳥越さんと筑紫さんの経歴には共通点が多い。年は筑紫さんが五つ上だが、出身地も同じ九州。還暦を過ぎても、お互い現場にこだわった。ただ、世間が2人をライバルとみようとも、鳥越さんにそんな意識はなかった。「あの人は本物のジャーナリスト。留年続きで、『ほかに入れそうなところがない』と新聞社を受けたおれとは違う」
もう一つの共通点が、2人ともがんになったことだ。しかし、たどった経緯は違った。直腸がんの鳥越さんは手術ができた。筑紫さんの肺に見つかったのは、進行が速く手術が困難な「小細胞がん」だった。
筑紫さんの次女ゆうなさん(39)は言う。「父は最期まで取り乱すことはありませんでした。良くなるという暗示を自分にかけているように見えました」。それでも、家族の前で「頑張って生きようとするのは非常に醜い」とこぼすこともあった。医療文献を読みあさり、症状が出る原因や治療法を医師に書面で問いただしたりもした。
治療の場を鹿児島に移した昨夏、2人の娘が用事で一時帰京すると告げると、筑紫さんは「もう会えないかもしれない」と涙を見せたという。
昨年11月8日、鳥越さんは未明に都内の筑紫さん宅を訪ねた。前日に73歳で息を引き取った先輩に別れを告げるためだ。いつものように、「やあ」と声をかけてきそうな穏やかな顔だった。
一つ心残りがある。2人はがんになってから「WEB多事争論」というホームページで公開の往復書簡を交わしていた。昨年9月26日付で鳥越さんは尋ねた。「がんになってみて自分の死生観に揺るぎはありませんでしたか? たとえば、余命6カ月と言われても従容として最期の日を迎える自信はありますか?」
たとえ治らなくても、がんは最期までの時間を教えてくれる病だ。だから、鋭く、ぶれない発言がまぶしかった先輩の答えを聞きたかった。
いま思えば、酷な質問だったかもしれない。既に重篤になっていた筑紫さんから、返事はなかった。【前谷宏】=つづく
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毎日新聞 2009年6月23日 東京朝刊