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沈黙破った小橋…三沢さんのプロレス道継承を

三沢光晴さんの遺影の前で力皇(左)にチョップを見舞う小橋建太
三沢光晴さんの遺影の前で力皇(左)にチョップを見舞う小橋建太
Photo By スポニチ

 ノアは22日、三沢光晴さん(享年46)が試合中の事故で亡くなってから初めて、聖地・後楽園ホールでの大会を開催した。館内には献花台が設置され、試合開始前には1分間の黙とうをささげ、集まった2100人のファンが三沢さんへのお別れをした。試合後には沈黙を守っていた小橋建太(42)が、三沢さんの「プロレス道」を継承することを誓った。今後は看板選手としてノアを背負っていくことになる。 【試合結果

 試合後の控室で、小橋がやっと重い口を開いた。「斎藤も三沢さんも全力で戦った結果。誰も責められない。三沢さんは追いかける目標で、とても大きな存在だった」。目を真っ赤にしながら、絞り出すような声で話した。

 試合開始前には小橋のほか、三沢さんの遺影を持ったジョー樋口GHCタイトル管理委員長、百田副社長、田上、小川がリング上に並び、リング下には秋山ら選手たちがうつむきながら顔をそろえた。1分間の黙とう。時折、女性のすすり泣きと嗚咽(おえつ)が漏れる。三沢さんのテーマ曲「スパルタンX」が流れると、絶叫に近い三沢コールと拍手がわき起こった。

 試合ではマシンガンチョップ51発を含む86発のチョップを繰り出すだけにとどめた小橋は、モハメドヨネから「小橋!」とマイクを突きつけられても、リングでファンに両手を上げてアピールするだけ。試合後、小橋は「全試合終了してから話そうと思った。三沢さんとの思い出はいっぱいあって答えられない」と声を詰まらせた。

 三沢さんの突然の死は小橋にとって受け入れ難いショックだった。06年6月に腎臓がんの手術を受けた時も、昨年9月に両ひじと両ひざの手術を受けた際にも「しっかり治してから復帰しろ」と励ましてくれたのは三沢さんだった。だが、そんな三沢さんはもういない。

 試合後、無人のリングに何本もの緑の紙テープが投げ込まれ、三沢コールと拍手が続いた。温かい歓声を聞きながら小橋は「これまでのプロレス、三沢さんのプロレス道をまい進したい。前に行くしかないし、進んでいかないといけない」と決意を新たにした。もう悲しんでいる暇はない。小橋には、亡き三沢さんに代わる看板選手としてノアを背負っていく責任がある。 三沢光晴さん追悼特集

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