(※この連載は、全9回の予定です)
7 左派が右派勢力を封じ込める?②――和田春樹 左派による右派勢力の封じ込め、または妥協のもう一例として、和田春樹のケースを取り上げよう。 和田春樹は、周知のように、「国民基金」の主導者であるが、これがこうした妥協策の典型であることは詳述するまでもあるまい(本人も認めている)。ここではもう一つ、和田と佐藤優との提携について考えたい。 和田と佐藤の提携については、既に何度も書いてきたが、これほど珍妙な組み合わせも珍しいだろう。和田と佐藤は、日本政府の対北朝鮮外交や朝鮮総連への処遇についてほとんど180度逆のことを言ってきたのであるから。 この提携の理由はいろいろあろうが(注1)、最も大きな点は、まさに両者が180度逆のことを言っているからだと思われる。 佐藤は、下の文章で、和田と、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博を持ち上げている。 http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200806110006o.nwc 荒木は、拉致被害者救出のためには、自衛隊の出動が必要であると主張している人物であり、拉致被害者救出運動の中では最右派の立場にあると言ってよいだろう。 http://araki.way-nifty.com/araki/2008/02/post_989d.html 検索すればいろいろ出てくるが、佐藤は、この荒木と交流している。荒木のような極右とつきあう佐藤と、「良心的知識人」の和田が付き合うのはやはり奇妙に見えるだろう。では、なぜ付き合うのか?その鍵となるのが、下の佐藤の文章であると思われる。 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/236475/ ここで佐藤は、今年3月の北朝鮮のロケット発射に対して、以下のように述べている。 「「平壌宣言」を無視するというのは、北朝鮮が日本国家と日本国民をナメているということだ。こういう状況で、自民党、民主党は国家的見地から団結して、毅然(きぜん)たる姿勢で北朝鮮の暴挙を弾劾しなくてはならなのだが、それができていない。 この機会に「平壌宣言」に反する長距離弾道ミサイルの発射などということをすると、どれだけ面倒になるかということを北朝鮮に教えなくてはならない。」 佐藤の語調は勇ましい。荒木からすれば、佐藤は対北朝鮮強硬論の「同志」に映っているだろう。荒木の場合、「救う会」とのいざこざがあるから、佐藤の人気と、外務省官僚という地位や要人との人脈に頼らざるを得ない構図になっているように思われる。 そして、ここにこそ和田が佐藤と提携する理由がある、と私は思う。事態を和田から眺めてみよう。荒木が佐藤と提携することによって、荒木のような最右派の対北朝鮮強硬論は、外務省のライン、すなわち、和田が支持する平壌宣言のラインに回収される(と和田には映る)ようになるのである。 現に荒木は、上で佐藤が持ち上げている文章(荒木和博「拉致救出活動は政府と一体化すべきではない」『諸君』2008年7月号)の結論部分で、拉致被害者救出には「自衛隊が様々な形で重要な役割を果たすことは必要不可欠であり、すべては政治の決断にかかっている」としながらも、以下のように述べている(強調、下線、斜体は引用者)。 「第一次小泉訪朝以前のように「北朝鮮は拉致をしていない」という勢力が存在していたときと異なり、拉致問題について一定の世論形成ができている現在、拉致被害者を救出すべきという点においては左右を問わず大きな違いはない。強硬に取り返すか、あるいは話し合いで、国交正常化を通じて取り返すかだけの違いである。今「拉致はなかった」とか「拉致被害者は北朝鮮で死んでいくべきだ」などという人間はいないのであって、本音はともかく基本的には方法論の違いの範囲であると言える。 したがって、現在望ましいのは運動の無理な一体化ではなく、多様性をフルに活かすことである。中央集権的な指示によるのではなく、最終的な方向に向かってそれぞれが活動しながら、可能な範囲で横の連携をとり、必要であれば共同行動を呼びかけていくことが望ましい。小泉訪朝のときも、一方に拉致を許さないという世論があり、もう一方で国交正常化を目指した小泉総理・福田官房長官・田中均アジア大洋州局長のラインがあったから、結果的にではあるが北朝鮮を欺き拉致を認めさせ五人を取り返すことができた。 もちろん前述した「宣告」など許せない面は様々あるのだが、国交正常化への動きがなければ北朝鮮は今も拉致を認めていなかったかもしれない。国民が拉致問題の本質をより理解し、その解決が自らの安全を守ることだと認識していればできるだけ様々な方法でアプローチすることにより画一的、硬直化した北朝鮮の体制にくさびを打ち込み拉致被害者救出を実現することができるはずだ。今は自由主義社会の優位性を徹底的に活用するときである。私自身それに向かって行動していくつもりだ。」 この引用箇所の太字部分は、一目瞭然であろうが、荒木が平壌宣言のラインに立ったこと(少なくともそれを容認していること)を示している。興味深いのは、こうした言明と同時に、「本音はともかく」「結果的にではあるが」「かもしれない」などと、留保的な表現も発せられていることである(下線+斜体の部分)。もっと言うと、この下線+斜体の部分こそが、太字部分で示されている平壌宣言のラインの容認の表明が、荒木にとって大きな決断であったことを示しているのである。 和田からすれば、これによって、自身の悲願の日朝国交正常化における、最大の足かせの一つである、「右バネ」のうちの大きな部分を回収できた、ということになるだろう。この「右バネ」の影響力の大きさについては、佐藤が証言している。 「日本の外務官僚には「右バネ」に対する過剰な恐れがある。右翼的潮流に迎合するか、逃げ回るかのいずれかである。外務官僚に右翼の人々と誠実に話をするという腹が欠けているからだ。外務官僚が表面上、勇ましいことを言っているときは、右翼対策であることが多い。 」 http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200809240009o.nwc 私から見れば、「ロシアのスパイ」などと糾弾されてきた佐藤こそが「右翼対策」として、右翼になっているように見えるのだが(もちろんそれが「本気」か「演技」か、「ネタ」か「ベタ」かはどうでもよい)、それはさておき、和田からすれば、佐藤は、右翼に送られたトロイの木馬と映っているのではないか。多分、佐藤も和田にそう思わせているのだと思う。 だが、事態を今度は荒木から眺めてみよう。 和田が佐藤と付き合っているということは、和田は、対北朝鮮外交に関しては、外務省のラインを支持するということである。佐藤は外務省のラインから基本的に出ていないから。そして、和田は、「共同提言 対北政策の転換を」(『世界』2008年7月号。ほぼ間違いなく、中心的な執筆者は和田であろう)において、拉致被害者への「補償」の必要性を謳う一方で、植民地支配の被害者へは、「個別的措置」の実施が必要だと述べている。「個人補償」ではないのである。 だから、荒木からすれば、上記の引用箇所でも示唆されているが、和田ら左派は、佐藤との付き合いを通じて、日朝交渉に関して、恐らく荒木らにとっては最大の懸念事項の植民地支配の清算の問題は曖昧にし、「拉致問題」を最重要課題とするようになった、と映っているだろう(佐藤の影響は多分ないが、この共同提言の性格は、このようなものである)。<佐藤優現象>という右傾化現象に慣らされることで、「左翼」が「反日」を捨てて「サヨク」になったのだ、と。 荒木からすれば、これは大きな勝利であろう。それは、植民地支配に起因する、北朝鮮へのなけなしの日本世論の躊躇を弱めることを意味するから、拉致被害者救出の主張を日本政府がより強硬に北朝鮮政府にぶつけられるようになること、将来の軍事介入へのハードルを下げること(言うまでもないが、国交正常化したとしても、軍事介入は起こりうる)を、荒木にとっては意味するだろうからである。 したがって、荒木からすれば、佐藤は、左派に送られたトロイの木馬と映っていると思われる。佐藤は、右翼の集会では、「右が左を包み込む」と言っているらしいので、似たようなことは、荒木にも言っているだろう。 では、結局、ここでの勝者は誰なのか?和田か荒木か?和田・佐藤か荒木・佐藤か?和田・佐藤・荒木か? (注1)和田からすれば、佐藤が自分を褒めれば「北朝鮮の手先」なるレッテルから脱却できるし、佐藤からすれば、和田が自分を褒めれば左派論壇で登場できるのである。私は、『世界』の岡本厚編集長から佐藤を使う理由の一つは「和田さんも付き合っているから」だと言われたことがある。 (つづく)
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