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【格闘技】三沢さんは3ヶ月絶対安静だった 柔道整復師の酒井さんが証言2009年6月22日 紙面から 13日の試合中に46歳で急死したノアの三沢光晴さんが、死の2週間前に1〜3カ月の絶対安静の状態にあったことが、21日分かった。三沢さんの体をケアしていた柔道整復師によると「頸椎(けいつい)と腰椎が変形しているのが触診でも分かるほど。運動をやめなさいというレベル」だったという。それでも、団体の社長であり看板レスラーであったため、試合を休めなかった。亡くなる直前の三沢さんの厳しい体調が、生々しい証言で明らかになった。 (森合正範) 詳細を語った柔道整復師は、都内でクリニックを営む酒井慎太郎さん(39)。今年2月に三沢さんと知り合って以来、体を診察していた。プライベートでの親交もあり、死の直前の5月29日にも健康の相談をされていたという。 酒井さんが三沢さんの体の不調をあらためて感じたのは、4月上旬。食事をしながら体の相談を受けていたとき、三沢さんの付け人で若手レスラーの太田一平から「先生、社長の体を何とかしてください」と懇願された。 「首も腰もダメージが重なり、酷使されていました。触診ですぐに、頸椎(けいつい)と腰椎が変形しているのが分かりました。頸椎は、椎間板(ついかんばん)がすり減って、正常可動域よりも動く範囲がせまい。動かないので周りに脂肪が付きます。トレーニングができないし、運動をやめなさいというレベル。少なくても1カ月、できれば3カ月くらい絶対安静の状態でした。三沢さんは、あごを負傷した太田君に『ちゃんと受け身をとらないと。まだまだ一流じゃないな』とアドバイスしていた。その三沢さんが受け身もとれないくらいだったのか…と」 プロレスラーは多かれ少なかれ、痛みや故障を抱えたままリングに上がる。団体を背負う三沢さんはなおさら。責任感から、体が動く限り欠場することはできなかった。体にムチを打ち、毎日リングに上がるしかなかった。 「試合に出るとしても1、2カ月に1回にするとか…。『もうダメだ』とはよく言っていました。でも、若い選手が多いし、自分が出なきゃという意識が強かったと思う」 三沢さんが亡くなったノアの6月シリーズは、4日に東京で開幕。千葉、静岡、大阪、広島、九州を回り、名古屋を経て、22日、東京で閉幕する。19日間で11試合という過密日程だった。
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