第二次大戦中の1942年、旧日本軍がフィリピン・バターン半島で米兵捕虜ら1万人以上を約100キロ無理に歩かせ、約800人以上の犠牲者を出した「バターン死の行進」について5月30日、藤崎一郎駐米大使が元捕虜団体の会合に出席し、日本政府として初めて謝罪した。日本では90年代後半の歴史教科書問題以降、先の戦争の意味や責任を巡って論争が続くが、日米間の歴史認識問題は事実上封印されてきた。68年目の謝罪は何を意味するのか。
米テキサス州サンアントニオ。謝罪を求めてきた「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」は、会員の高齢化を理由に同日の総会で解散した。
「日本政府の立場をお伝えしたい。バターン半島と(米軍司令部のあった)コレヒドール島、その他の場所で、悲惨な経験をされた元戦争捕虜を含む多くの人々に、多大な損害と苦痛を与えたことを心から謝罪します。日本招待にも取り組みます」。藤崎氏が述べると、約400人の出席者の半数以上が立ち上がって拍手を送った。
毎日新聞 2009年6月22日 東京朝刊