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アメリカよ・新ニッポン論:「対米」揺れた戦後論壇 台頭する現実主義(1/11ページ)

 アメリカの光と影は、戦後の日本を政治・外交・経済だけでなく、文化・思想・精神面でも深く規定してきた。米国に渡った多くの日本人が体験記を本にし、ベストセラーも少なくないのは、影響力の深さ、長さの表れだ。論壇におけるさまざまな潮流の移り変わりにも、それは特徴的にうかがえる。全面講和か片面講和か、保守・革新、理想と現実、護憲や国際貢献といった対立軸のいずれも、背景には常に親米・反米で割り切れないアメリカとの距離感、向き合い方があり、保守派や進歩派の枠を超えて複雑に絡まってきた。受容と超克の半世紀を振り返る。

 ◇反軍部、反共が源流 米から財政的支援---戦後保守派

 戦後すぐの論壇で保守派とは、大正デモクラシーに由来するオールド・リベラリストたちのことだった。自由主義の立場から戦前、軍部も共産主義も嫌った人々だ。現在の保守派とは、相当に趣が異なる。

 初めは敗戦の年の暮れ、岩波書店が創刊した雑誌「世界」に集ったが、ほどなく進歩派と呼ばれる戦後リベラリストたちに同誌を明け渡し、発言の場を雑誌「心」に移す。共産主義との距離感が相いれなかったからだ。戦前の無産政党関係者や近衛文麿首相周辺の人々もいた。社会民主主義者が目立ち、やはり反共意識から進歩派と距離を置いた。彼らと「心」が、約20年後の雑誌「諸君!」に至る戦後保守派の源流となった。

 保守派が力を付けたのは、アメリカの財政的後押しがあったからだ。1956年、戦後初の本格的な保守系知識人団体として結成された「日本文化フォーラム」は、CIA(米中央情報局)が支援した反共知識人の国際組織「文化自由会議」の事実上の日本支部だった。アメリカのソフト・パワー戦略を担ったフォード財団は、同フォーラムに年間約2000万円の活動費を出していた。

 同フォーラムの機関誌的雑誌「自由」は59年創刊で、10年後に「諸君!」ができると、執筆陣の多くがそちらへ移った。

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毎日新聞 2009年6月22日 東京朝刊

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