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支局長からの手紙:脳死移植 /京都

 交通違反の車を追跡中の事故で4月3日に死亡した府警交通機動隊、上田頼久警部(当時45歳)の警察葬に参列しました。式場に入って目に飛び込んだのは遺族席のベビーカーでした。程なくそれは上田警部の長女の席として用意されていることと分かりました。

 長女は事故前の2月26日に生まれました。上田警部40代半ばで初めての子です。「まだ、うまく抱っこできない」と同僚に言っていたそうです。不器用だが愛情にあふれた姿が目に浮かびます。そんなお父さんの死を知らず、お母さんに抱かれ、泣き声を上げる長女。私の目にも涙があふれました。

 冷たい男と思われるかもしれませんが、私は身内の葬儀でも泣いた記憶があまりありません。泣いたと言えば約15年前。当時、私は科学部に在籍し、心臓移植でないと助からないと医師から告げられていた中年男性の葬儀に行きました。入院中、何度か話をうかがっていたので、遺族の了解を得て参列しました。参列者は私をを含めて5人ほどでした。

 仕事や近所付き合いも、長い闘病生活で切れていたのです。「移植を受けて社会復帰したい」と語っていた男性の思いに、寂しいお葬式に涙がこぼれました。

 脳死移植を認める臓器移植法施行(97年10月)より数年前のことです。国内では大阪大学を中心に脳死移植の再開機運が高まっていました。脳死移植を認めないとする法律があったわけではありませんが、脳死移植を認める法律がなかったことがハードルになっていました。

 しかし、法律ができても脳死移植は年に10件もない状況です。現行法では子供から臓器提供を受けられず、大人からの提供も増えにくい要素があります。だからこそ、今回の改正案衆院可決となりました。

 一般に、脳死になることも脳死移植が必要になることもまれです。言ってみれば多くの人にとって脳死も移植も切実な話ではありません。それは多くの国会議員にとってもそうなのでしょう。何しろ、「施行後3年を目途に、検討して必要な措置が講ぜられるべきもの」と法律に明記しておきながら11年半も過ぎたのですから。

 脳死移植が増えない理由は法律のせいだけだとは思いません。法改正が実現すれば、自分の脳死だけでなく、遺族の立場で脳死を考える機会に巡り合う可能性が高まります。また、法改正で臓器提供の意思の有無を運転免許証や医療保険者証に記載できるようにもなるようです。脳死を考える人が一人でも多くなってほしいと思います。【京都支局長・北出昭】

毎日新聞 2009年6月22日 地方版

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