スポーツ
元滝川第二野球部監督の吉本宗泰氏死去
1996年の選抜高校野球大会1回戦の試合前、ノックをする滝川第二監督の吉本宗泰さん。当時69歳だった=甲子園球場 |
吉本 宗泰氏(よしもと・むねやす=元滝川高、滝川第二高硬式野球部監督)25日午後4時15分、下咽頭(いんとう)がんのため、神戸市内の病院で死去。81歳。神戸市出身。自宅は神戸市須磨区行幸町2の4の4。通夜は28日午後7時から、葬儀・告別式は29日午後零時半からいずれも神戸市兵庫区新開地3の2の15、平安祭典神戸会館で。喪主は妻聖子(せいこ)さん。
1957年から通算32年間にわたって監督を務め、春8度、夏5度の甲子園出場を果たした。芝池博明投手(元近鉄)、村田真一捕手(元巨人)ら多くのプロ選手を育てた。
■基本に忠実な指導を徹底
高校球界の名将、吉本宗泰さんが25日、81歳の生涯を閉じた。滝川高、同校野球部の歴史を受け継いだ滝川第二高の監督を通算32年務め、高校球児とともに歩んだ人生だった。
専大を卒業後の1957年、請われて母校の滝川高の監督に就任した。試合後、薄暗いベンチ裏での取材。勝っても負けても、達観したようなコメントが忘れられない。
敗戦につながる失策が出ても「誰も好んでエラーをするわけじゃない。プロでもミスをするんだから」。エースが期待を裏切っても「人間だから調子がいい時もあれば悪い時もある」。選手を決して責めなかった。
そんな吉本さんがプレーに対して厳しい言葉を投げかけるのを、一度だけ聞いたことがある。86年秋の近畿大会で、隠し球をしようとしてボークを取られた時のことだ。「隠し球のようなフェアプレーに反する行為を、教えたことも指示したこともない」と不機嫌そのものだった。
小手先に走らない、基本に忠実な野球を指導のモットーに掲げた。だから金属バットの採用でパワー野球の時代になっても、走者を確実に次の塁に進める戦法として「送りバント重視」に変わりはなかった。
2003年に教え子たちが開いた喜寿のパーティー。あいさつに立った吉本さんは、62年の選抜大会2回戦の思い出に触れた。3-0とリードし、ゲームセットまであと1死までこぎつけながら同点にされ、結局、延長戦の末に敗れた。
「1球の大切さをあらためて思い知った。負けた試合の方が野球の勉強になった」。謙虚な人柄がうかがえた。(吉岡猛逸)
■「オヤジには感謝しかない」 元近鉄の芝池さん
1964年夏の甲子園出場時、滝川高のエースだった芝池博明さん(61)(元近鉄)は「オヤジに教えられた通りに人生を歩んできた。感謝の言葉しかない」と恩師の悲報に声を詰まらせた。
芝池さんは吉本元監督と同じ専大出身。26日に開かれる野球部OB会に出席する予定で、「病状を報告するつもりだったが、まさかこんなことになるとは…」とショックを隠しきれなかった。
滝川第二高の北森哲治監督(53)も無念さをにじませ、「甲子園から長く遠ざかり、元気なうちに出場したいと思っていたが果たせなかった。残念です」と悔やんだ。(松本大輔)
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