昭和32年3月13日に、チャレター事件の判決を下した最高裁は、多数の国民の倫理観念が麻痺した場合は、政府が個人の自由を規制しても良いと述べた。これを一般に政府パターナリズムと呼ぶ。一般的に、社会主義国家や全体主義国家そして福祉国家に見られる思想である。我が国とて同じである。そして、福祉国家はより国民の倫理・道徳観念を犯すのである。スェーデンは福祉国家で、1970年代からはアルコール中毒患者のリハビリテーションにも賃金保障を行っている。ところが、推定で30万人以上ものアルコール中毒患者がいる。一方で、歴史的に古くから禁酒が行われ、1913年からアルコール中毒ケア法が成立し翌年には酒類購入帳制度ができ、1955年まで酒類購入は制限されていた上に、現在も酒はコンビニなどでは買えず、土日の販売は禁止されている。そして、禁酒キャンペーンや、アルコール中毒者支援策を政府は打ち出しているが、福祉国家の定めで、労働者は働かなくとも食っていけるために、怠け、非道徳的になるのである。規制やパターナリズムは、何もできないどころか、事態を悪化させるのである。
そもそもだが国家が労働市場規制と医療規制をなくせば、アルコール中毒は簡単につぶせる。すなわち、国家が全国民を対象にした均一的医療保険制度を運営するのではなく、その人の生活習慣にあわせた民間の医療保険会社がカバーすればよいのである。というのも、例えば、アルコール中毒者ならば、肝臓がんなどにかかりやすいため、保険数理学的に、保険料が高くなる。このため、被保険者は保険料を少なくしようと、酒量を下げざるおえなくなるのである。また、労働規制を撤廃し、きちんと労働しなければ、生活が維持できない社会になれば、より必死に働くため、アルコールに手は出なくなるのである。これは、タバコ依存症などにも当てはまる。
ハイエクが書いていたが、『道徳的』とか『社会正義』なる言葉で、ナチスも共産主義者も寄ってきて、もっとも非道徳的な社会を築くのである。ちなみに、スェーデンでは、麻薬問題もアルコール同様社会的問題であった。やはり、福祉国家は、国民を堕落させるため、非道徳的な問題が噴出するのだろう。国民は、さらに『道徳的』と思われる、規制に頼るが、それは解決策ではないのである。より、自分自身を『非道徳的』にするだけなのである。
もちろん、リバタリアニズムが道徳的とは思えないが、少なくとも、福祉国家的な政府パターナリズムよりはマシだ。そもそも、ネット保守は、政府の児童ポルノ規制に反対のはずだ。これこそ、政府パターナリズムの現れなのに、児童ポルノには規制反対で、パチンコなら規制賛成とはどういうことなのか?やはり、ネット保守には思想的なバックボーンが無いのだろう。
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by hoshu0606
麻薬、パチンコ、売春