2009-06-21
おもちゃのベルトを巻いたって強くなんかなれない
なんとなく。
4歳になるうちの息子はスーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズが大好きだ。まあ、うちの息子に限らず、このくらいの年代の男の子は結構みんな好きなのだと思う。保育園のお友達もみんな観てるみたいだ。日曜の朝といえば、テレビ朝日なわけである。
先日、孫ができて完全にメロメロ状態になった私の父や母が、誕生日を迎えたわが息子のところに寄ってきて、さあプレゼントをねだれと、こう言う。息子はここぞとばかりに、いつもテレビで眺めており、憧れの対象であるあのヒーローたちのおもちゃをねだった。シンケンジャーのカタナとか、仮面ライダーのベルトとか。
これこれ。
- 出版社/メーカー: バンダイ
- 発売日: 2009/01/24
- メディア: おもちゃ&ホビー
このベルト、名前はディケイドライバーなどと立派だが、カードを入れると音が鳴って光る、ただそれだけの機能しかない。そんなの面白いのかと私は聞いたのだが、どうしてもそれが欲しいのだと言う。強情さが功を奏し、彼は誕生日に晴れてベルトを手にすることになるわけだが、そのときは大層喜んでいた。欲するものを手に入れた瞬間というのは誰でも嬉しいものだ。
ところが、案の定というべきか、そのベルトはその後すぐに飽きられることになる。当初1週間くらいは、頻繁にベルトを身につけ、「変身!」などと叫び、怪人に見立てた私を退治しては悦に入っていた。それが2週間もたてば、カードはグシャグシャニなった挙句に方々に散開し、ベルトは見向きもされなくなった。当初からすぐ飽きるのではないかと警告していた私としては、床に転がるディケイドライバーを見るにつけ、息子に対して嫌味のひとつでも言ってやりたくなるが、大人気ない気がするからやめておこう。
うちの息子はきっと、そのベルトさえあれば仮面ライダーのように強くなれるような気がしていたのではないだろうか。確かに、そのベルトを巻いて「変身!」と叫べば、その瞬間は気分が高揚し、まるで本当に強くなったかのような感覚に浸ることはできよう。しかしその程度である。しばらくして自己を客観的に見つめれば、自分自身の力には実は何の変化もないことに気がつくことになる。そして落胆し、飽きてしまう。
我々「大人」からすれば至極当然のことだが、おもちゃのベルトを巻いただけで強くなるということはあり得ない。
なぜならそれは、他人が生み出した価値に単にParticipateするだけの行為だからだ。ローン・パーティシペーションという金融取引があるが、これはお手軽に実行できるだけで、真正譲渡にはならない。一見リスクが移転されたかのように見えるが、原則としてオフバランスは認められない。
他人の価値に単にparticipateするというのはつまり、他人の価値のフィールドに参加させてもらい、そのおこぼれにあずかるという行為だ。そうすることで、そのフィールドのうちにいる限りにおいては、まるで自らが価値を得たかのように錯覚することができる。ただ所詮おこぼれにあずかっているだけだから、そのフィールドから一歩出れば元通りのただの無価値な人間に逆戻りというわけだ。
そうではなくて、真に自らのうちに価値を得ようと思うのであれば、力を蓄え、もっと大きなフィールドに打って出て、勝負を挑み、そして勝たなくてはならないのだと思う。そうした自らのうちに得た価値を今度は他人に施すことで、その価値はより大きなものになっていく。ここが実に滑稽なところだが、Participantたちは他人の価値を消費して楽しんでいるつもりになっているが、実はむしろ搾取されているのだ。
先ほどは、「大人」であれば、おもちゃのベルトで得られる一時的な高揚感を自らの価値と混同するような愚は犯さないであろうと述べたが、「おもちゃのベルト」を「他人の価値」といったより抽象的な意味合いを持つメタファーとして捉えると、これらを混同している人は決して少なくはない。
われらが愛するはてなは、「これはひどい」のタグを片手にはてなの野を駆け回り他人を見下しては賢くなった気でいるバカや、科学なんか勉強したこともないくせに「ニセ科学批判」にだけは人一倍精が出るニセ科学者共、無駄にたくさんの本を読んでいるが斜め読みだけで自分の頭ではろくに考えてもいない勘違い賢者で溢れているし、別にインターネットに限らず街へ出ても、流行のファッションを追いかけて右往左往しあまつさえそれが自分のオリジナリティであるかのように振舞う量産型DQNや、自分で稼いだわけでもないのに高級ブランド品を消費してそれだけで立派な人間になったような気でいるボンクラばかりだ。ビジネスの世界でもまったく一緒で、自分は何もできない癖に会社の看板だけでえばり散らすダメ人間がやはり大挙しているわけだ。
別にご当人たちがそれでいいと言うのであればそれでいいのだろうが、というかそれが幸せなんだろうが、私はあまりそうなりたいとは思わなかったし、子供にそうなってほしいとも思わない。
まあ、だからあんまりおもちゃは買いたくないという話。