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『エスパー魔美』DVDのOP

 最初に断っておくが、今回の話題は、気にしない人にとっては全く「どうでもいい事」だと思う。
 まあ、このブログで扱う話題全体がそんな感じなのだが、特に今回はその傾向が強いので、以下の文章を読んで「何言っているんだ、こいつ」と思っても、生暖かい目でスルーして下さい。人それぞれ、「こだわる部分」は違うのです。



 わざわざ、こんな断りを入れて何を書くかというと、アニメ『エスパー魔美』のOPについてだ。

 アニメ『魔美』についてはDVDの次回予告未収録問題を当ブログでも取り上げたが、その甲斐あってか(?)、DVD-BOX下巻収録分には次回予告が付いた。その仕様は後に出た単品セル版とレンタル版でも同様で、全20巻のうち11巻以降は次回予告が収録されている。
 最近、ふと最終回の予告を観たくなって、レンタル版の第20巻を借りた。『魔美』DVDは地元のリアル店舗には全然置いておらず、ネットレンタルを利用せざるを得ないのが困った点だが、それはともかくとして、レンタル版20巻にはちゃんと予告が入っており、1990年代の再放送以来、久々に最終回の予告を観る事が出来た。
 「パパ、がんばって! みんな、がんばって!」…やっぱり、これがあると無いとでは大違いだ。テレ朝チャンネルで最終話を観た時の微妙な物足りなさが、ようやく補完できた。こうやってあらためて観ると、予告も立派な作品の一部なのだとよくわかる。
 最終話以外では、「とうとうコンポコの正体が判明するのか?」とだまされた「嵐に消えたコンポコ」の予告も懐かしかった。番組終了が近かったせいもあって、本放送時にこの予告を観た時は本気でそう言う話だと思って期待してしまったのだ。


 このように、DVD後半の巻は、次回予告については問題ない。それより、驚いたのはOPだ。
 DVD-BOXが出てから3年近くが経つが、これまで「OPがおかしい」と言った話を聞いていなかったので、てっきり本放送版のOPが収録されていると思っていたが、実際に収録されているのはテレ朝チャンネルと同じくスタッフクレジットを入れ直した捏造版OPだった。これにはガックリきた。
 「捏造」はよくない呼び方とは分かっているが、自分の愛着のある本放送版の映像とは異なるので、あえてこう書かせていただいた。この捏造版OPは、クレジット表示のタイミングと位置は本放送版に準じているが、フォントが明らかに本放送版と異なり、後から作り直したのが一目瞭然だ。本放送版のフォントは後番組の『チンプイ』とほぼ同じ物が使われている。

 DVD第20巻に収録されているOPは後期の「S・O・S」版のみ。それでは、「テレポーテーション 〜恋の未確認〜」版はどうなっているのか。それを確認する為に、今度は第15巻を借りてみた。それが昨日届いたのだが、やはりこちらも捏造版OPだった。
 15巻を選んだのは、テレ朝チャンネルで唯一本放送版らしきOP(原作者名が「藤子不二雄F」名義、フォントも当時のもの)が付いた特番用エピソード「マイエンジェル魔美ちゃん」が入っており、捏造版OPとの比較対象として妥当だと思ったから。せっかくテレ朝チャンネルで本放送版OPが付いた「マイエンジェル魔美ちゃん」も、DVD15巻では他の話と同じく捏造版OPに差し替えられている。



 ここまで読んできて「捏造版OPの何が問題なんだ」と思われる方もいるかもしれない。
 私自身が捏造版OPを嫌う理由は、二つある。一つはごく個人的な感情の問題で、「自分が見慣れた懐かしい映像ではない」こと。OPアニメ自体は変わらなくても、そこに被さるスタッフクレジットのフォントが変わると画面全体から受ける印象はかなり違ってくる。
 もう一つは、「スタッフの変遷が分からなくなってしまう」事であり、これは感情だけでは済まされない問題だ。後期OPの「S・O・S」版は使用期間が短かったのでスタッフの変化はないが、「テレポーテーション 〜恋の未確認〜」版は第28話から第107話まで長期に渡って使われたので、本放送時には途中でスタッフの変更があった。具体的に言えば、最初三人だったプロデューサーが、途中から一人増えて四人になっている。
 にも関わらず、捏造版OPはプロデューサー三人時代のスタッフクレジットを参考に作ったらしく、第107話まで一貫してプロデューサーは三人しか表示されない。「マイエンジェル魔美ちゃん」のOPで比べると、違いがおわかりいただけるだろう。




左・DVD(捏造版)、右・テレ朝チャンネル(本放送版?)



 このように、実際には「テレポーテーション 〜恋の未確認〜」版OPが使われていた時期にプロデューサーが一人増えているが、現状ではテレ朝チャンネルは「マイエンジェル魔美ちゃん」以外は捏造版OPなので、その時期は分からないし、それはDVDも同様だ。
 本放送版OPへのこだわりを「些細な事」と思う方もいるかも知れないが、大勢の人で作るテレビアニメにおいて、スタッフの移動、変化は見過ごせない要素だと思う。特に、この『魔美』の場合は、原恵一氏と長年にわたって監督、プロデューサーとしてコンビで作品を生みだしてきた茂木仁史氏が、プロデューサーに昇格した時期がわからなくなっているのだから、少し大げさに言えば日本のアニメ史を語る上で必要な情報が欠落してしまっている。

 『魔美』のように捏造版OPを使い回すパターンはあまり聞かないが、DVDにおけるOP素材の使い回しは他にも例がある。例えば『タイムボカンシリーズ 逆転イッパツマン』DVD-BOX1では、初期の未完成版OPを30話全てに付けてしまうミスを犯している。BOX2では完成版が使われたが、時既に遅し。
 現在『イッパツマン』の再放送等はDVD素材が使われているらしく、yahoo動画の無料配信で確認したら確かに第30話でも未完成版のままで、間の抜けた感じだった。
 この件でスタッフが反省したのか、私の持っている『タイムパトロール隊 オタスケマン』『ヤットデタマン』DVD-BOXは、OP映像・スタッフクレジットともに本放送に準じた内容になっているが、『イッパツマン』については残念だ。『魔美』の件といい、手を抜くとこんな事になってしまうのだろう。



 それにしても、『エスパー魔美』DVDに予告の件以外でも問題がまだあったとは。
 もうこの件は蒸し返さないつもりだったが、あまりに驚いたのであえて書かせていただいた。結局、もし下巻に予告が入らなかったら、DVDはテレ朝チャンネル用の素材をほぼそのまま使い回した内容になっていたわけか。今更ながら、あきれてしまった。
 続いて発売された『チンプイ』は、本放送版の前期・後期OPをきちんと対応する話数につけていて、次回予告も全話分収録されており申し分のない内容だったが、やはりこれは『魔美』DVDの失敗を踏まえた上で作られたものだったようだ。両作品とも好きなので、『魔美』が犠牲になった形なのは残念だ。



 しかし、捏造版OPとは言え『魔美』の場合は本放送版に準じたスタッフ表示なので、まだましな方だ。
 シンエイアニメシアターでは、明らかに本放送当時と表示位置も役職も名前も違っており突っ込みたくなる作品が多々ある。一番ひどいのは『パーマン』だろうか。音楽担当者の名前を間違え、本放送時にいたのかも怪しい「シリーズ構成」の役職があり、さらにEDで「ハル三」を「ハルミ」と誤植。いい加減にもほどがある。

 シンエイ動画作品の本放送がどれだけ貴重か、シンエイアニメシアターと『魔美』DVDで思い知らされた。
 子供の頃から親しんだ『ドラえもん』『怪物くん』『忍者ハットリくん』『パーマン』などなどの本放送版のOP・EDが観られる日は、今後果たして来るのだろうか。個々のソフト化でなくても、せめて「主題歌集」のような形で本放送版を観られる機会を作っていただきたいものだ。
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テレビアニメ版『21エモン』を最後まで観た

 ふと思い立って、ここのところテレビアニメ版『21エモン』の後半10話分を観ていた。
 2004年にテレ朝チャンネルで1話から始まった時に最初から観ていたのだが、第29話で何となく視聴を中断してしまい、そのままになっていた。
 それを今になって観る気になったのに、特に理由はない。強いて言えば、今年3月の『ドラえもん』特番で放映された「天の川鉄道の夜」でゴンスケが車掌として登場しており、声がテレビ版『21エモン』と同じ龍田直樹だったので、「『21エモン』は途中だったな」と、心に引っかかっていたような気がする。
 また、「ネオ・ユートピア」の会誌最新号で龍田直樹氏のインタビューがあり、その中でも『21エモン』について触れられていたので、それを読んだのも一つのきっかけだったのかもしれない。


 以前にも書いたが、『21エモン』は本放送時には、ほとんど観ていなかった。
 第1話は『チンプイ』から引き続きで観てみたが、キャラクターデザインが原作とかなり違っていたので「これは原作とはかけ離れている」と思ってしまい、それが気に入らなくて観なくなってしまった。
 それに、第1話のサブタイトルが「僕ドラえもん僕の友達 エモン君の宇宙大冒険!」と、ドラえもんの名前で売り出そうとしている感じなのも、気にくわなかった。藤子・Fキャラとしては21エモンの方がドラえもんよりも先輩なのに、ドラ人気に寄りかかるのはどうかと思ったのだ。たしか、新番組予告にもドラえもんが登場して「大変、ぼくの友達の21エモン君が、テレビに出ているよ」と言っていて、それを観て「これはやりすぎだろう」と思った覚えがある。
 その後、最終話はたまたま観たが、21エモンとルナが結婚して宇宙に出て「つづれ屋 大宇宙支店」開業と言う結末に「やっぱり原作とは違うところへ行ってしまったんだな」と思い、その後再放送もなかった(いや、一回はあったかも)ので、きちんと観直す機会もなかった。
 今にして思えば、本放送当時は完全に原作至上主義だったので、キャラの見た目からそて原作と違っていた事が、テレビアニメ版を受け入れられなかった一番大きな理由だったと思う。

 このように、あまりいい印象を持っていなかったテレビアニメ版『21エモン』だったが、テレ朝チャンネルであらためて第1話から観直してみたら、思っていたよりも悪くない。それどころか、原作を程良く現代風(と言っても1991年当時の「現代」だが)にアレンジしており、テンポがよくて結構面白かった。
 このように印象が変わったのは、『21エモン』本放送の後に『ポコニャン!』『モジャ公』など、オリジナルエピソードばかりでF作品らしさが感じられないアニメ化をたくさん観てきて、私の中での藤子・Fアニメ評価のハードルが下がったせいなのかも知れない。オリジナルがつまらない点では、今世紀に入ってからの大山ドラもかなりのものだった。
 中でも、特に『モジャ公』のアニメ版はひどかった。これまで「好きな漫画のアニメ化」は何度も体験してきて、その都度テレビの前で楽しんだり、つまらなくてがっかりしたりと感想は様々だったが、『モジャ公』はその中でも最もがっかりさせられた作品だった。どのくらい酷かったかを書いてみたいが、長くなるのでやめておく。今回は『21エモン』の話だ。



 その今回の本題、シリーズ後半の10話分について書いておきたい。
 原作の後半と同じく、21エモン・モンガー・ゴンスケの3人で宇宙の旅に出る展開が描かれていたが、これが非常に面白く、10話分を一週間で一気に観てしまった。これまで観ずに放っておいたのを、もったいなく思ってしまったほどだ。
 29話までにも宇宙に出るエピソードはあったが、主にアニメオリジナルエピソードがメインで構成されていたため、あまり際だって面白いと思える話はなかった。あえて挙げれば、第26話・第27話のサルガッソーのエピソードは冒険物としての盛り上がりがあり、スカンレーがいい味を出していた。

 第30話以降では主に原作後半のエピソードがアニメ化されており、自分にとって馴染みのある話であり、どの話も見応えがあった。
 第33話「7627番目の客 幸福の星はパッピーだらけ」は、デカンショ星のエピソードに相当する。原作は結構ハードな展開だったが、パッピー(原作の「ハッピー」)にとりつかれたら首を切断するしかないと言う点もちゃんと描いており、ゴールデンタイムのアニメでよくやったなと感心してしまった。さすがに「首無し人間」は刺激が強すぎるせいか、ダミーの首を付けている設定になっていたが。
 そして、第35話・第36話は『モジャ公』の「ナイナイ星のかたきうち」のキャラクターを入れ替えたエピソード。「空夫のはなくそが特効薬」は汚いせいか改変されたが、それ以外はほぼ原作通り。これで面白くならないわけがないが、アニメでは特にエモンたちを追い詰めるムエの姿が効果的に描かれており、その恐ろしさが上手く演出されていた。本家『モジャ公』のアニメ版があんな事になったのを観てしまった後だと、先にこちらでアニメ化しておいてよかったと思わせられる出来だった。

 何本かアニメオリジナルの話もあったが、こちらも原作付きの話と遜色のないエピソード群だった。
 第34話「太陽が復活する モアモア伝説モンガーの予言」は、モンガーが神とあがめられる展開だったが、これはテレビ版でアニメ化されなかったボタンチラリ星のエピソードを連想させられる(こちらはゴンスケが神になったが)。それはともかく、わずか20分ほどで一つの星の神話を描いてしまうのだから、贅沢な話の作りだ。
 事実上の最終話にあたる第37話・第38話もアニメオリジナルだが、原作で描かれていた「宇宙船内でイモが異常成長して、エモンたちが遭難する」展開が取り入れられている。この例に限らず、シリーズ全体を通して原作をかなり大きくアレンジしている話もあるが、根底では原作を尊重している部分がわかり、あくまで藤子・F作品『21エモン』をアニメ化なのだという姿勢が伺われるところが原作ファンとしては嬉しい。


 後半を観て思ったが、あきらかにシリーズ前半よりもスタッフ・キャストともにノっていて、かなりテンションが高い。テレビ版『21エモン』は宇宙冒険に重点を置いたシリーズと言えるだろう。
 どの話も出来がよく、この作品のスタッフに、原作に沿った形で『モジャ公』をリメイクしてほしいとまで思ってしまった。
 『モジャ公』と言えば、第29話で登場したモンガーの無限トランクの設定は、モジャ公の何でも飲み込める体質を連想させられる。この設定は、第30話以降の本編ではあまり活かされていたとは言い難い。放映がもっと続いた場合に『モジャ公』の他の話をアレンジする事も視野に入れて、モンガーにモジャ公的な体質を取り入れたのだろうか。そうだとしたら、3クールでの終了はもったいなかった。



 また、本作のキャラクターデザインについても、再度考えてみた。
 『エスパー魔美』『チンプイ』と、同じ枠で富永貞義・堤規至両作画監督(この場合はキャラクターデザイン・総作画監督的な立場)の手により原作に近いデザインが続いていたところへ、作画監督が高倉佳彦に交替して『21エモン』のあのデザインが登場したため、特に「原作と違う」点に違和感を覚えたのだと思う。
 しかし、『チンプイ』と『21エモン』では原作の執筆年代に大きな開きがあり、絵柄はかなり違う。『チンプイ』の後に『21エモン』を原作に忠実なキャラデザインでアニメ化したら、『チンプイ』までの路線から大きく方向転換する事になり、原作を知らない視聴者からは、かえって「イメージが違う」「絵が古臭い」と思われる可能性があったと思う。そのため、今までの路線を引き継ぎ、発展させる意味も含めてあのキャラデザインに決まったのではないだろうか。

 原作『21エモン』は、特に主人公の21エモンがあか抜けず野暮ったい顔をしているが、彼やその他の登場人物・宇宙人達が、一見ほのぼのとした雰囲気の中で巻き起こすドタバタ騒動がすっとぼけた味を出しており、それが原作の魅力だと思う。「ウッシシ密輸団」なんて、まさにあの時のF先生にしか描けず、また『21エモン』の作品世界でないと描けなかった話だろう。
 それに対して、テレビアニメ版はテンポの良さが売りになっており、その点で原作と雰囲気が異なる。あの作風であれば、あのキャラクターデザインでちょうどよかったのではないか。原作は原作、アニメはアニメで根は一つでありながら、それぞれが一つの作品世界として成立している。違いはあっても、どちらも『21エモン』なのだ。エモンの顔が『エスパー魔美』の竹長くんに見えてしまう(声も同じ)などの問題もあるが、見慣れればアニメ版のキャラデザも悪くない。



 私がそうだったように、テレビ版『21エモン』は「食わず嫌い」をしている人が藤子ファンの中にも結構いるのではないだろうか。またいずれテレ朝チャンネルで再放送するだろうから、機会があったらぜひ観ていただきたい。極端な話、原作を知っていれば途中からでも問題はないので、3クール目だけでも見ておく価値はある。
 とは言っても、藤子アニメとしてはかなり癖の強い作品だろう。原恵一監督の仕事としては、初監督作品だった『エスパー魔美』より、その前の『ドラえもん』演出時代に手がけたドタバタ味の強いエピソードに近い味がある。観る人を選びそうなので、キャラデザインの件を抜きにしても全然合わなくて駄目、と言う人もいるかもしれないが、それは好みの問題なので仕方がない。

 『エスパー魔美』『チンプイ』とDVD化されて、次は『21エモン』だろうと予想していたが、なかなかこれは出ない。『魔美』や『チンプイ』に比べれば、特番もないからDVD化しやすそうなのに、不思議だ。まさか、また次回予告が見つからないなどの問題があるのだろうか。
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『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集』刊行決定

 近年、手塚治虫作品の貴重な復刻版を出してきたジェネオン・ユニバーサル・エンタテインメントから、『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集』が発売される事になった。

 『アトム』は、現在の単行本では初出の原形をとどめていないことはファンにとっては有名で、以前からぜひ初出版の単行本は出して欲しいと思っていた。
 だから、この本が出ると知った時は「とうとう来たか、絶対買わなくては!」と思ったのだが、上のリンク先の商品ページで詳細を見て、びっくりした。全6ユニットで1ユニットが14,900円とは、想像以上の値段だ。
 てっきり潮出版社の『鉄人28号 原作完全版』のように普通に書店に並ぶ本かと思ったし、あのように出してくれれば一番集めやすいのだが。


 よくよく詳細を確認してみると、単に「少年」初出版を復刻して単行本にまとめ直すだけではなく、初出が付録だった回はその付録を丸々復刻してボックスに収納するなど、徹底的に「オリジナル版」にこわだっており、しかも部数は2,000部限定だ。
 3月に出た『手塚治虫 予告編マンガ大全集』(こちらも2,000部限定)は350ページで税込6,825円だった。それに対して、今回の『アトム』は各ユニットが1,000ページを超える。単純にページ数だけで比較はできないが、『予告編マンガ大全集』以外の過去の復刻本と比較しても、滅茶苦茶にふっかけた値段とは言えない。今回は1ユニットのボリュームが大きいから、こんな値段になってしまうのだろう。

 現実的に懐具合を勘定してみると、9月から三ヶ月毎の発売なので、一月当たり5,000円とすれば払えない値段ではない。それに、『アトム』の初出誌を、付録を含めてすべて自分で集めた場合の手間・費用と比較すれば、間違いなくお買い得だ。
 『アトム』ほどの有名タイトルとなれば、この復刻大全集を出した後に、前述の『鉄人28号 原作完全版』のような手軽に買える普及版が出ないとも限らないが、今のところはそのようなものが出る保証もない。買わないで後悔するよりも、思い切って買っておくべきか。問題は値段だけで、読んでがっかりと言う事はないのだし。
 こうなると、『藤子・F・不二雄大全集』の一括払いは見送らざるを得ない。当初の予定通り、近所の書店に注文して、毎月本と引き替えに払う事にしよう。



 なお、『鉄腕アトム』の初出版は、これまでにも部分的には復刻されている。

 光文社文庫『「少年」傑作集』には「気体人間の巻」「空飛ぶ摩天楼の巻」「コバルトの巻」「□□□□から来た男の巻」「1/2人間の巻」「火星から帰ってきた男の巻」(以上、第1巻)、「ゴメスの亡霊の巻」(原作のみ担当、絵は虫プロ)(第3巻)、「ロボット流しの巻」(第4巻)、「フランケンシュタインの巻」(小説・絵物語篇)が収録された。このシリーズの第5巻は『忍者ハットリくん』が300ページ近くにわたって復刻されているので、藤子ファンにもお薦めの本だ。
 1997年に出た『鉄腕アトム ORIGINAL』では増刊号掲載の作品を中心に9話が復刻され、カラーページも再現されている。セリフの一部に改変があるので初出の完全復刻とは言えないが、今までは貴重な本だった。

 他に、『鉄腕アトム Happy Birthday Box』にも別冊付録の復刻版が3冊入っているが、これは買わなかったので現物は読んでいない。ただ、『アトム大使』の初出版を完全復刻した「鉄腕アトム誕生!大全」だけは古書店でバラで入手できた。

 このように『アトム』の初出復刻は小出しにされていただけに、今回の復刻大全集はとうとう来たかと言いたい。
 『「少年」傑作集』では「□□□□から来た男の巻」で内野純緒の代筆回がそのまま収録されていたが、今回の復刻大全集では石森章太郎がかなり手伝った「電光人間の巻」や、大部分を桑田次郎が代筆した「アルプスの決闘の巻」も、そのまま復刻されるのだろう。これも初出版復刻ならではのもので、ちょっと楽しみだ。



 それにしても、『藤子・F・不二雄大全集』と刊行時期が被るとは、タイミングがいいんだか悪いんだか。7月からは毎月5,000円をF全集購入用、さらに9月からは毎月10,000円をF全集+アトム復刻購入用として、ちゃんと家計を管理しなくては。
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『藤子・F・不二雄大全集』更に続報

『藤子・F・不二雄大全集』公式サイト


 『藤子・F・不二雄大全集』公式サイトが、更に更新された。こんなに早く9・10月刊行分の収録内容が公開されるとは思わなかった。

 9・10月刊行分のポイントは、


 ・『パーマン』第2巻最終話は「スーパー星への道」
 ・『オバケのQ太郎』第2巻に「ゆうれい部落」収録
 ・『ドラえもん』第3巻に「クルパーでんぱ」ほかガチャ子登場話収録


このあたりか。

 中でも、『パーマン』最終話がどうなるかは気になっていたのだが、タイトルが「スーパー星への道」になっている以上、初出版もしくは虫コミ、ホームコミックス版のいずれかを収録するのだろう。
 てんコミ収録時に大幅に描き足し・描き直しが行われた「バード星への道」は、「スーパー星への道」とは別物と言っていい。私はシンエイアニメ版放映前に「コロコロコミック」で再録された「スーパー星への道」を読んでいたので、てんコミで「バード星への道」を読んだ時には違いに驚いた。新作漫画と一緒に収録する最終話としては「バード星への道」も悪くはないが、それによって元のバージョンが読めなくなったのは残念だった。だから、今回の全集第2巻はかなり楽しみだ。
 おそらく「バード星への道」も、新作版最終話としてあらためて全集『パーマン』最終第8巻あたりに収録されるのだろう。この話はてんコミ版とFFランド版の2種類(厳密に言えば、微妙にセリフの違うコロコロ文庫版を入れて3種類)が存在する。後者ではパー坊の登場するコマが復刻により復活しているが、「新作の最終話」として収録するのだから、てんコミ版が選ばれると思う。パー坊は「スーパー星への道」に出番があるのだし。
 なお、第2巻巻末には「帰ってきたパーマン」が単行本初収録となるが、これはあくまで旧作の後日談なので、ミツ夫とスミレがどうこうと言った展開は全くない。そのあたりを期待されている方がいらっしゃるかもしれないので、念のため。

 次に『オバQ』だが、「ゆうれい部落」はFFランドでは「ゆうれい村」のタイトルで収録された。
 ここで使われている「部落」は、単に「集落」「村」の意味であり、いわゆる被差別部落ではない。実際、FFランドで「村」に変えても問題なく意味は通っている。しかし、「村」の意味であっても現在は「部落」と言う単語を使う事そのものが避けられる傾向にある。
 FFランド版はF先生ご存命中の単行本だったので、今回も「ゆうれい村」のまま収録しても特に問題はないのだが、それをあえて「部落」に戻している点に、今回の全集の「本気」が感じられる。この分だと、少なくともF先生の死後に変えられた表現については、生前のバージョンに戻される事を期待してもよさそうだ。
 思えば、SF短編パーフェクト版での「言葉狩り」はひどかった。はたして全集の「ボノム =底抜けさん=」では「パン助」の復活はあるのだろうか。出るとしても第2期以降だろうけど。

 そして、『ドラえもん』。第2巻の収録内容が発表された時点で予測はしていたが、第3巻でガチャ子編の残り4話が完全収録される。それだけではなく、冒頭9話がことごとく単行本初収録なのが素晴らしい。個人的にはガチャ子編以外では「かべぬけき」もお勧めだ。ドラえもんが道具を使っていたずらをしまくる展開は初期でしか観られないもので、初めて読んだ時には新鮮さすら感じてしまった。
 「小学一年生」掲載分はカラーが多いので、出来ればそのままカラー収録して欲しいのだが、『エスパー魔美』と違ってアナウンスされていないから、モノクロ収録なのだろうか。収録の状態という点では、FFランド版は下手なトレスだった「ツチノコさがそう」も気になる。二コマだけあった描き足しが非常に浮いていたが、今回はどうなるのだろう。
 巻の最後が、のび太のささやかな成長を描いた「シャラガム」で締められるのは「学年繰り上がり収録」ならではで、やはり上手い収録方法だ。FFランドでは「ぼくももうすぐ中学生」のセリフに無理を感じたが、それも今回は自然に読める。



 この全集については何度かとりあげてきたが、新たな情報が出るたびに、刊行開始がより待ち遠しくなってしまう。このような全集だと、重度のファン・マニアは収録内容についてうるさい(自分を含む)ものだが、少なくとも現時点では素直に期待できる内容だ。実際刊行されたものを読んだら事前情報と違って「なんだこりゃ」…なんて事にならないように祈るばかりだ。
 そろそろ予約もしなければいけない。最初は近所の本屋で月払いにするつもりだったが、毎月取りに行くのも面倒くさいので、いっその事小学館公式の通販で一括払いにしてしまうか、迷っている。定額給付金がもう一ケタ多ければ、迷わず一括払いなのだが。なるべく早く決めてしまおう。
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「笹の葉ラプソディ」を観た

 『涼宮ハルヒの憂鬱』3年ぶりの新作エピソード、「笹の葉ラプソディ」をようやく観た。
 名古屋での放送は26日深夜の予定だが、サンテレビの映る実家に頼んだ録画のおかげで、先ほど観る事が出来た。全国的に見れば、すでに兵庫(&大阪)、埼玉、新潟、東京、神奈川で放送されているが、少なくとも名古屋市民としては、かなり早く観た方だろう。
 もっとも、名古屋にも、わざわざ遠征するほど気合いの入った人もいたようだが。私も、サンテレビが木曜でなく金曜深夜だったら実家に帰って観たかもしれないが、翌日も平日では難しい。


 とりあえず、「笹の葉ラプソディ」を観た証拠のキャプ画像を貼っておこう。
 「どうせ動画サイトで観たんだろう」と思われるのは癪なので、録画の最後に入っていたサンテレビからのお知らせも一緒に入れておく。さすがに某動画などでは、これは観られないだろう。







 話自体は、すでに原作を読んでいたせいもあり、特に観てびっくりと言うような事はなかったが、中一ハルヒはやや幼めの演技が可愛かったし、久々の眼鏡バージョン長門もよかった。作画に一部『けいおん!』チックなところも観られたが、紛れもなくテレビアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』の新作であり、3年前のシリーズと同様に楽しめた。
 今回は、完全に時系列通りの放送だったから、今回の「あらためて放送」で初めてアニメの『ハルヒ』を観た人にとっては、自然に観られたのではないだろうか。

 私自身はアニメ(2006年本放送)→原作→アニメ(あらためて放送)の順番だったが、2006年のシリーズは時系列シャッフルだったおかげで原作短編1話分がまるまる抜けている事には気が付かなかった。「ミステリックサイン」での七夕云々のセリフも、「七夕がどうした?」とは思ったが、そのうちその話もやるのだろうと考えて聞き流していた。
 2006年のシリーズでは、他にも時系列順で見ると抜けている原作エピソードがあるが、今から考えると時系列シャッフルは上手いごまかし方だったと思う。原作付き作品をアニメ化する時、話数の都合などで一部のエピソードをカットして、辻褄を合わせる為に展開やセリフを改変する事が多い。そうなると、飛ばされた話を後から原作通りにアニメ化しようとすると更に矛盾が出てきて難しい。
 この「笹の葉ラプソディ」のように、再放送の間に新作を挟んでも問題なく話がつながるのは希有な例と言っていいだろう。3年前から第2期を見越してあの時系列シャッフル構成にしていたのだとしたら、大したものだ。


 それにしても、今回は作品の舞台(のモデル)となった地域が最速放送とは、偶然なのか角川の意向なのかはわからないが、後者だとしたらなかなか気が利いている。
 逆に、もし名古屋が地上波で一番遅いのも角川の意向だったとしたら怒るが。まあ、UHFアニメは各局がそれぞれの都合で編成するから、たまたまか。

 第8話での「笹の葉ラプソディ」放送はテレビ和歌山の番組表で事前に情報が漏れたが、はたして単純にテレビ和歌山のミスなのか、角川側が意図的に頼んだものなのかが気になるところだ。
 もしテレビ和歌山の件が無く、まったく事前情報無しで放送されていた場合はどうなっていたのだろう。全く情報が無く「時系列順なら今回は「笹の葉」のはずだ」と言う推測だけで、兵庫や埼玉に遠征してまで観ようとする人はいたのだろうか。『ハルヒ』なら、いても不思議はないか。



 今後も時系列順の放送なら、次の新作は「ミステリックサイン」「孤島症候群」の後だから、第12話になるのか。「エンドレスエイト」が来るのかな。これも楽しみだ。
 さすがに、名古屋でも放送される番組の録画を毎回実家に頼むのは気がひけるので、この手段は今回限りにしよう。5日遅れなんて、『けいおん!』の2週間遅れと比べたら、はるかにマシだ。
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