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がんを生きる:鳥越俊太郎の挑戦/1(その2止) 「つらい経験、役立つ」

 <1面からつづく>

 ◇最後まで見届けてやろう

 記者の因果なのか。がんとの付き合いの始まりは、告知ならぬ「目撃」だった。

 05年夏に下血した鳥越俊太郎さん(69)は、その年の9月、東京・虎の門病院で大腸の内視鏡検査を受けた。横になって頭上のモニターを見ていると、サーモンピンクの腸内に、馬てい形の赤黒い盛り上がりが現れた。

 「これ、良性じゃないですよね」。恐る恐る口にすると、医師はこともなげに答えた。「ええ、良性じゃないですね」。自分の体内を見て、取材までし、その場で真相を知ってしまったのだ。

 鳥越さんはずっと「おれには弾は当たらない」と思ってきた。

 毎日新聞のテヘラン特派員としてイラン・イラク戦争を取材していた時のことだ。日本人記者ではただ一人、チグリス・ユーフラテス両川の合流点近くにあるマジヌーン島に向かった。両国軍が争奪戦を繰り返す最前線の島だった。

 到着すると、突然、数十メートル先のイラン軍の対空砲がバリバリバリとうなりだした。やがて、上空にイラク軍のミグ戦闘機が飛来し、爆撃のごう音が響いた。ぼうぜんと空を見上げると、後ろから「危ない」と声がした。振り返ると、同行した他国の記者たちは、みな地面にへばりついていた。

 戦場取材ですくみ上がった経験は一度だけではないが、そのたびなんとか切り抜けた。いつの間にか、偶然を幸運だと信じるようになっていた。

 だが、がんだけは見逃してくれなかった。鳥越さんをカメラで撮り続けてきた井手康行さん(37)は、自分の病巣を目の当たりにし、病院から出てきた時の鳥越さんの表情を覚えている。「ビンゴ(当たり)、ビンゴだよ」とつぶやくその顔は、レンズ越しにもこわばり、青白く見えた。

 翌週行われた手術は、3時間ほどで終わった。直腸を20センチ近く取ったが、幸いにもリンパや腹膜への転移はなかった。

 撮りためた映像が民放で放送されると、予想以上の反響が来た。「同じ患者として勇気づけられた」「前向きに生きられるコツを教えて」……。病室には、俳優の渡哲也さん(67)からも花束が届けられた。渡さんも同じ直腸がんになり、手術を受けて仕事に復帰した経験がある。ともに闘う多くの仲間ができたような気がした。

 「この世に、つらい経験が役に立つ二つの職業がある。報道に携わる者と俳優だ」。かつて鳥越さんは、俳優であり歌手でもある次女さやかさん(37)に言ったことがある。失恋に悲しむ娘への励ましだった。がんになって、そんな昔話を思い出した。今回は自分が試されているのだと思う。

 「考え方や感じ方が深くなった。見るもの聞くもの、すべてが心にしみこんでくるんだ。がんは必ずしも敵ではない」

 自分の細胞から生まれ、原発巣を自分の目で確かめたがん。これがどうなっていくのか。「ニュースの職人」として最後まで見届けてやろうと考えている。【前谷宏】

毎日新聞 2009年6月21日 東京朝刊

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