Raspoutin Japonais
テーマ:その他雑感「インテリジェンス武器なき戦い」という本を読みました。元NHKワシントン支局長の手嶋龍一、休職外務省員の佐藤優の両名が書いた本です。本屋ではベストセラーに入っています(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9-%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%88%A6%E4%BA%89-%E6%89%8B%E5%B6%8B-%E9%BE%8D%E4%B8%80/dp/4344980115/ref=sr_1_1/250-4891905-1066658?ie=UTF8&s=books&qid=1172976119&sr=1-1 )。
結論から言うと「内容的にはなかなか面白い」です。国際情勢を知るに際して色々と示唆的なことが書いてあります。両名ともなかなかの奇才だと感じます。ただ、大きな欠点があります。それは「両名ともコンプレックス丸出しで、しかもお互いを褒め称えている」気持ち悪さがあるのです。NHK、外務省という、各人がかつていた組織において適正な処遇を受けることができなかった恨み、つらみが読み取れてしまうのです。「オレ達ってこんなに優秀なのになんで世間はもっと評価してくれないんだろうね」という感情を共有しあいながらお互いを誉める。とても気持ち悪いのです。「読んでいて気持ち悪くないか?」と疑問でなりません。
手嶋氏についてはあまりよく人となりを知らないので、もう片方の佐藤優氏について思ったことを書いておきます。とても有能な人間だと思います。最近、立て続けに著作を出しています(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-4891905-1066658?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E4%BD%90%E8%97%A4%20%E5%84%AA )。小説を書いてみたり、外交論を書いてみたり、情報論を書いてみたりとどれも洞察の深い本だと思います。外務省で専門にしていたロシアだけでなく相当に幅広く学んでいることは容易に分かります。あれ以上の知識人は外務省広しと言えどもそうそういないでしょう。外務官僚現役やOBが著作を出すことがありますが、そのうちの9割はつまらないものばかりです。自慢話か、説教めいた内容か、政府の擁護者となるかのどれかで知的深みがないものをよく見ます。そういうのに比すると、同氏の書くものはどれも傑作と言えるでしょう。
今、同氏は起訴されています。起訴自体は検察と司法に属する話なのであえて立ち入りませんが、まあ簡単に言えばお縄にかかった状態です。とても優秀だった同氏が何故お縄にかかり、外務省を追われるようなかたちになったのか。これは一個人の資質を越えて、興味深いテーマなのです。とどのところ、同氏の優秀さを同氏が望むかたちで評価してもらえず、そこで溜まった鬱々とした感情とプライドのはけ口を某北海道選出国会議員の政治力に求めたということなのだと思います。オレは優秀だという感情・自負心からスタートして、自我の増大が組織の器を越えそうになる、その自我を満たしてくれる場を某国会議員に見出してからは自我の増大を抑えられないようになり、最終的には潰されてしまった、まあ、こんなところです。同氏の自我の増大が異常だったのか、外務省という組織が小さかったのかは難しいところですが、まあ、色々な意味で行政組織において分不相応だったのでしょう。そう思いながら同氏の著作を読んでいくと幾ばくかの憐憫の情が湧かないでもありません。
同氏は非常に巧みなやり方で外務省批判をしています。ポイントは2つです。
● 自分に都合の悪いことは隠す。
● 日本外交において本来秘密に当たるような部分を自分に都合の良いかたちで公開している。
非常に上手く世論誘導をやっているなと思います。同氏は「日本外交の秘密に当たる部分に触れても絶対に役所が反論してくることはない」とタカを括っているわけです。それは読みとしては正しいのです。同氏があれこれと秘密を暴いていることに反論すると同じ土俵に乗って議論しなくてはなりません。そうすると、秘密に相当する部分の真贋にまで立ち入らなくてはならなくなる、その議論に乗ってはいけないという判断を外務省側がすることを知っているのです。かつて、西山事件という事件がありました。某新聞の記者が外務省幹部の秘書と情を通じて(←渋い表現です)、沖縄返還交渉に関する秘密情報を取ったことが問題にされたケースです。その秘書は国家公務員法で起訴されました。この時は当時の佐藤栄作政権の不退転の決意があったから、国家公務員法による秘密漏洩というかたちでの起訴まで持ち込まれましたが、佐藤氏については、日露交渉の秘密や外務省の秘密を少々バラしたところでそこまでは行かないことと踏んで、現在、あれこれと著作を書いているわけです。
ただ、彼が外務省で何をやっていたかということを思い直すと、彼の著作の出来や世論誘導が白々しく見えるのも事実です。こういうことは現役の外務官僚は絶対に書かないので、こっそりと部分的に書き残しておこうと思います。
● 外務省内に恐怖政治を敷いた。
某国会議員と密接につながり、某国会議員にすべての情報を流し、気に入らない相手は某国会議員が介入してくるシステムを作っていました。佐藤氏全盛期の時代、彼は自分のスクールを作り、どんどんお仲間を増やし、そのお仲間が省内をゲシュタポのように闊歩していました。ロシア外交に関わる人たちの間では疑心暗鬼が増大し、その圧力に耐え兼ねて多くの有為な外務省員が辞めていきました。その損失は大きいです。私自身、ある案件で某国会議員に説明に行ったら、同氏が横に聳えていて強権的にご託宣を垂れていたのを思い出します。「おい、おまえ外務省のお役人じゃないのかよ?」と思ったのが懐かしいです。
● 相当程度、ロシア外交を私物化した。
まあ、これはちょっと書きにくいですんですけどね。ただ、両国で作った「支援委員会」という国際機関に溜まったお金をあれこれと変なことに使っていたのは事実です。よく変な出張をしていました(目的地、同伴者等が変だった)。お金の使途に少しでもストップがかかると、佐藤氏ルートですぐに某国会議員(当時、官房副長官だった)に伝わり、内閣総理大臣官邸に呼びつけられ怒鳴られるという構図が相当罷り通っていました。まあ、あれを私物化と言わなければ、私物化という言葉が死語になってしまうくらい私物化していました。
そんなこんなで某国会議員と共に失脚してしまったのです。
と、ここまで書くと、私が元職場の外務省を擁護しているように聞こえるでしょう。もうちょっと筆を進めます。何故、某国会議員が外務省の中に容喙することができるようになり、そしてそこに付け込むようなかたちで省内にいる有能な人物だが自我を抑えられない人物の増殖を防げなかったのかということを考えてみます。結論は簡単なのです。外務省が某国会議員の介入を幾度となく求め、内部への容喙への道を開いたからなのです。外務省というのはあまり国会議員の応援団もおらず、そういう応援団を作ろうという努力もしないので、政治の風が吹くと辛い立場に置かれることがあります。「ODAを減らせ」、「組織を削れ」・・・、こういった圧力がよく掛かるのですが、こういう時に外務省は幾度となく某国会議員を頼ったことがあるのです。「先生、ODAが減らされそうです。何とかしてください。」、「●●局が潰されそうです。何とかしてください。」、何度も頼りました。某国会議員は馬力があったので、外務省から物事を頼まれると八面六臂の活躍で政治の風を押し返してくれました。
しかし、アメリカとの通商摩擦でも経験したように、この手の「ガイアツ(組織外からの圧力)」に結果としてお高くつくのです。日本の国内制度を改革するために、まずそれをアメリカに主張させ、頑固な改革反対派を篭絡するきっかけとする手法を1980年代に使った政治家・官僚がいました。それはお手軽ではありましたが、アメリカから国内経済制度への介入を許すルートを確立してしまいました。それと同じです。外務省は某国会議員というガイアツに頼りすぎたのです。そして、そこに隙が生まれ、更に悪いことに一人の異才外務官僚が巣食ってしまったのです。某国会議員が失脚しかけた時、そして失脚した後、外務省は某国会議員を叩きに叩きました。しかし、そのきっかけを作ったのは「ガイアツに頼りすぎた自分自身」であることへの反省が足らないようです。経済学の世界に「ただのランチは存在しない(ミルトン・フリードマンがインフレ論について述べた言葉)」という警句があります。外務省は「某国会議員による介入」というランチに手を出しすぎた結果、大きな代償(日本外交そのものへの容喙)を招いたことへの反省はあって然るべきなのです。
本の紹介のつもりが、支離滅裂に長々と書きました。しかも、ある程度事情通でないと意味が分からないでしょう。もう少し分かりやすく書きたかったのですが、私の筆力の限界です。ご容赦ください。
1 ■にんともかんとも
やはり日本は、「外圧」がないと変われない体質なのかいな?よく、明治維新・太平洋戦争後そして現在と変革のタームではこぞってこのキーワードが出てくるけど、結局、「外圧」が主たる要因なのよね。
内たる変革は所詮厳しいの~
やっぱり楽なのよ。「外圧」のせいにするのがね。
でも地方自治は外圧なんて関係ないからね。外を国なんて矮小化しちゃいかんよ。